コンテ退任劇に見るイタリアの“深い闇” 慢性的な資金力不足と過度のストレス

チェーザレ・ポレンギ

キャンプ2日目、突然の辞任劇

プレシーズンキャンプ2日目、突然の退任を発表したコンテ。いったい何が起こったのだろうか 【写真:ロイター/アフロ】

 イタリアの夏に雨季があるわけではないが、7月には激しい嵐が吹き荒れることがよくある。青空が突然のように暗い雲に覆われ、稲妻や豪雨が襲いかかり、公園やビーチで穏やかな時間を過ごそうとしていた人々は慌てて避難しなければならなくなる。

 数週間前にユベントスに起こったのも、これと全く同じようなことだった。アントニオ・コンテはイタリア王者の指揮官として4年目のシーズンをスタートさせようとしていたが、プレシーズンキャンプの2日目を迎えたところで、突然クラブを離れることを発表した。

 昨シーズン末の時点ですでに、コンテはユーベの指揮を続けることに多少の疑問を感じている様子を垣間見せていたが、だからといってユーベのようなビッグクラブが事実上のシーズン開始後に監督を探さなければならない状況になるとは想像し難かった。

 ユーベは彼がチームを率いた3年間に成し遂げた成功(スクデット3回、イタリア・スーパーカップ2回)への感謝の言葉とともにコンテを送り出したが、クラブが今回の出来事に満足していようはずもない。

 2分間の短い公式動画を除けば、コンテはこれまで公の場で一切コメントを出していない。その結果としてメディアもサポーターも、実際のところ何が起こったのかという答えを求め続けている。

欧州で勝てない戦力への不満?

勝ち点102の最多記録更新など、国内では圧倒的な強さを誇っていたユーベ。しかし、コンテは欧州の戦いで戦力差を痛感していた 【写真:Maurizio Borsari/アフロ】

 主流となっているストーリーは2つ。1つ目は、コンテはチャンピオンズリーグ(CL)で欧州のトップクラブと戦える戦力の補強を要請していたが、クラブがそれに応えられなかったことが彼の辞任につながったというものだ。国内ではあらゆる記録を更新してきた(2011−12シーズンの無敗優勝、13−14シーズンに勝ち点102の最多記録など)コンテのユーベだが、欧州での戦いは彼にとってのアキレスけんだった。

 12−13シーズンに2年ぶりの欧州復帰を果たしたユーベは、コンテにとって初挑戦となったCLで欧州の8強にまで勝ち残ったものの、最終的に王者となるバイエルン・ミュンヘンに一蹴される結果に終わった。

 2試合連続の0−2というスコア以上に、バイエルンは明らかにコンテのチームとは一段異なるレベルにあり、ピッチ上のあらゆる場所でイタリア王者を圧倒していた。ここに端を発したコンテの不満は、翌13−14シーズンにさらに大きく積み上げられる。ユーベはガラタサライによってCLでグループ敗退に追い込まれた末、ヨーロッパリーグでも準決勝でベンフィカに敗れ、決勝進出を逃してしまった。

「100ユーロが必要なレストランに入って、10ユーロで食事ができると考えるわけにはいかない」と、有名になったフレーズを彼が発したのはこの時だった。ユーベにはバイエルンやレアル・マドリー、チェルシーなど欧州のトップクラブと勝負できるリソースがないという白旗であり、クラブの資金力に対する辛辣(しんらつ)な批判でもあった。

 実際のところ、この夏にもユーベはアレクシス・サンチェスやアンヘル・ディ・マリア、フアン・クアドラードといったレベルの選手たちの獲得を目標とするはずだったが、値札を見て引き下がることを余儀なくされた。アルゼンチンの期待の若手、フアン・イトゥルベの争奪戦でもローマに敗れてしまっている。

 今年もまた欧州で控えめなシーズンを過ごすことを容易に予測することができた45歳の指揮官は、早い段階で脱出することを決意したのかもしれない。

イタリアのサッカー界に嫌気が差した?

イタリアのサッカー界にストレスがまん延している。そんな状況に、コンテは嫌気が差したのかもしれない 【写真:ロイター/アフロ】

 もう1つの推論は、イタリアのサッカー界に絶え間なくまん延するストレスに、コンテは嫌気が差したのかもしれないというものだ。ユーベとその監督は、国内を圧倒的に支配しながらも、36カ月間の大半を通して嵐の中央に置かれ続けてきた。

 イタリア特有の、審判のミスに対する執着もその一つだ。有名な12年のサリー・ムンタリのゴール取り消しに限らず、ユーベに対して有利なものであれ不利なものであれ、相手がインテルであれキエーボであれ、あらゆる誤審がいつも国民的な大問題となり、チームがピッチ上で成し遂げた結果以上にメディアで大きく扱われてしまう。

 12年の秋、コンテに対して4カ月間の活動停止処分が下されていたことも忘れてはならない。シエナで指揮を執っていた際に、2試合の八百長に関与したという疑いによるものだ。

 ベンチから試合の指揮を執ることができず、ガラス張りの観覧席からチームを見守ることを強いられた期間を通して、コンテはイタリアサッカーの体制に対する苦々しい思いを募らせていた。彼は周囲の声に対して過敏(いつも他の監督や記者たちに反論を繰り出していたのも一例)になるとともに、他国のサッカー環境の中で過ごしたいという思いを募らせていた。

 筆者が昨年11月に行ったインタビューの際にも、コンテはユーベに満足していると話してはいたが、将来的に他のリーグへの挑戦を望んでいることを隠してもいなかったし、準備のためにすでに英語も学び始めているとのことだった。

 今になって振り返れば、質問に対する彼の回答の後半部分(イタリア以外で指揮を執りたい)は、前半部分(ユーベで満足)以上に本心から出たものということだったのだろう。過去3年間を通して、コンテはほぼ常に勝者ではあったが、「満足」という言葉で彼を表せる状況は滅多になかった。

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著者プロフィール

イタリア、ミラノ生まれ。1994年より日本に滞在。現在はGoal Japanの編集長として活躍、また今季は毎週水曜日Jスポーツ『Foot!』に出演中。ツイッターアカウントは@CesarePolenghi

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