奈良くるみ、ついに覚醒…次世代担う 158センチの元“天才少女”が初優勝

内田暁

幼少時から将来を期待された奈良くるみが、ついにツアー初優勝を達成。日本テニス界が長年待ち望んだ瞬間だ 【Getty Images】

 ブラジルの紺碧の空にラケットが舞うと同時に、会心の笑顔と歓喜の叫びが158センチの小柄な体からはじけ、赤土のコートに映えた。奈良くるみ(大阪産業大)がリオ・オープンで果たした悲願のWTAツアー初優勝。それは彼女が、日本女子史上8人目のタイトルホルダーとして、歴史に名前を刻んだ瞬間でもあった。

 日本女子選手が最後にツアー優勝を果たしたのは、2009年に韓国オープンを制したクルム伊達公子(エステティックTBC)である。当時39歳の誕生日を翌日に控えた彼女の優勝は歴史的快挙として世界を驚かせたが、それは、クルム伊達が現役復帰を決意した要因でもある“日本の若手選手の伸び悩み”という問題を、むしろ浮き彫りにするものでもあった。

 それから、4年半――。22歳の奈良の優勝は、日本テニス界が長らく待ち望んだ、次世代を担う選手の目覚めの時である。

「早熟」と称賛、一方で将来性への懐疑も

 奈良はそのような期待と宿命を、幼いころから背負ってきた存在でもあった。小学生や中学生の各年代で全国制覇を成し遂げ、12歳のときには、錦織圭(日清食品)同様に『盛田正明テニスファンド』の援助を受けIMGテニスアカデミーに留学。ジュニア時代にもウィンブルドン・ジュニアのダブルス準優勝や、世界スーパージュニア選手権優勝などの輝かしい成績を収め、常に日本テニス関係者の注視を集めた早熟の“天才少女”であった。

 もっとも、「早熟」の称賛の言葉は同時に、将来性に対する懐疑的な視線と、どこか表裏一体でもあったはずだ。奈良とダブルスを組んだ経験を持つクルム伊達は「彼女のテニスは、15〜16歳ですでに完成していた」と評したことがあるが、それは伸びしろの少なさを指しているようにも感じられた。その最大の理由はやはり、158センチという、世界で戦うにはあまりに小柄な体にある。ジュニア時代に小さな体で勝利を重ねた奈良の武器は、プレーの精度の高さと、詰将棋のように相手を緻密に追い詰める戦略性にあった。

 だが、年齢を重ね、上のレベルに行けば行くほど、欧米諸国の選手たちとのフィジカルの差は顕著になっていく。プロ転向後しばらくは順調に結果を残したが、100位突破を目前にして大きな壁にぶつかった。18歳の夏に106位まで達したランキングは、1年後には231位まで落ちてしまったのだ。その後も成績は足踏み状態が続いたまま、2年の月日が過ぎ去っていた。恐らくはテニス人生で初めて経験する、長く暗いトンネルだった。

他者への憧れに苦しんだ3年を経て

 奈良という選手は、幼少期から「期待」と「将来性への懐疑」の両方の視線を向けられてきたように、その小さな体に、相反する魅力を多く抱え込んだアスリートである。

 とてつもなく大人びた態度や発言をしたかと思えば、一方で子供のような一面を見せることもある。敗戦後にコーチから「もっとこうするべきだった」などのアドバイスをもらった際に、口をとがらせ「やってたもん!」と言い返してしまうことがあった。あるいは天才少女の愛称にふさわしい結果と自信を見せてきたかと思えば、その素顔は驚くほどに素直であり、時には劣等感にも似た謙虚さや脆さを見せもする。

「自分に才能があると思ったことはなくて……。ジュニアのころは結果がついてきて良かったけれど、逆に『何で勝てているんだろう?』と、いつもどこか不安だった」
 彼女がそう明かしたのは、ランキング100位の壁をついに破った、昨年末のことだった。「人のプレーを見ては、『ああいうショットが打てたらなー』とか『自分もあんなフォアを打つカッコいいテニスができればな』と思い続けていたんです」

 天才と呼ばれた少女が、人知れず他者に向けていた憧憬の視線。ないものねだりと知りながら、一時は158センチの体で、憧れたプレーへと必死に手を伸ばし、自分のテニスを崩してしまったこともある。それが、18歳から21歳までの、苦しんだ3年間だった。

 そんな彼女に開花と覚醒の兆しが見えたのは、昨年の夏ごろだ。何より顕著だったのは、目に見えてたくましくなった体である。バランス強化なども含め徹底的にフィジカルを鍛え、同時にフォアハンドの打ち方やボールに入る足の運びなど、抜本的なプレーの改革に取り組んできた。体が大きくなったため「昔の服は、ピッチピチでもう入らない」と苦笑いするが、その成果は昨年夏の全米オープン3回戦進出や、今年1月の全豪オープン3回戦進出という結果となって表れている。

「苦しんだ3年間は、自分のテニスを追いかけていなかったというか、もっとパワーあるショットを打ちたいと思って、自分の良いところが崩れてしまった」

 過ぎし日をそう振り返る22歳は、今は「私のテニスでできることは限られている」と諦念にも似た視線で自身を俯瞰し、「それを磨いていけば、ここまで来られることを証明できた」と胸を張る。他者の評価と自己認識の乖離(かいり)に苦しみ、憧れのテニスと現実の狭間で葛藤してきた少女はついに、あるがままの自分を受け入れ、現実的な成功へと向かい、心身を重ねて今の境地へと到達した。そんな彼女のツアー初優勝が、長く苦手意識を抱いてきたクレー(赤土)のコートで訪れたというのも、どこか象徴的である。

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著者プロフィール

テニス雑誌『スマッシュ』などのメディアに執筆するフリーライター。2006年頃からグランドスラム等の主要大会の取材を始め、08年デルレイビーチ国際選手権での錦織圭ツアー初優勝にも立ち合う。近著に、錦織圭の幼少期からの足跡を綴ったノンフィクション『錦織圭 リターンゲーム』(学研プラス)や、アスリートの肉体及び精神の動きを神経科学(脳科学)の知見から解説する『勝てる脳、負ける脳 一流アスリートの脳内で起きていること』(集英社)がある。京都在住。

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