日本女子テニスの象徴クルム伊達を超えろ=土居美咲と奈良くるみの成長物語

内田暁

「憧れ」のクルム伊達に勝利

土居はHPオープン2回戦で憧れの存在、クルム伊達に勝利。試合後、興奮冷めやらぬ様子で「緊張した」と振り返った 【写真は共同】

 10月7日〜13日に大阪で行われたHPジャパン女子オープンで、土居美咲(ミキハウス)と奈良くるみ(大阪産業大)という同期の2選手が躍進した。土居は2回戦でクルム伊達公子(エステティックTBC)を破りベスト8へ。奈良はキャリア初のWTAツアーベスト4へと歩みを進めた。この結果は、彼女たちのキャリアにおいて、いかなる意味を持つだろうか? そこには、クルム伊達という日本テニス界のカリスマの存在も、複雑に絡んでくる。

「正直、落ち着いているように見せていただけで、試合中は本当に緊張していました」
 そう口にする土居の精悍(せいかん)な相貌は、試合終了から1時間ほど経ったにもかかわらず、いまだ冷めぬ高揚感からか、あるいは極度の緊張から解放された安堵(あんど)感からか紅潮し、大きな瞳は幾分潤んでいるように見えた。

「やはり相手は伊達さんだし、日本でやる機会はなかなかないので、すごく緊張しました」
 土居はあらためて、緊張という言葉を繰り返す。土居という選手は、日ごろは大人びた立ち居振る舞いを見せ、試合中も、あるいは会見のときなども、胸の内を言葉や顔に表すことは少ない。それだけにクールな印象を周囲に与えるが、彼女をよく知る人たちは「本当はすごく繊細な子」と口をそろえる。多くの報道陣の目やテレビカメラが向けられる中で、「憧れであり、勝つのは一つの目標だった」とまで言う存在との対戦は、彼女の心身を末端までしびれさせていたようだ。

運命のめぐり合わせは5年前

 土居とクルム伊達、そして「緊張」というキーワードから思い出されるのは、5年半前の日のことである。かつて世界4位まで上り詰めた“世界の伊達”が、12年の空白を経て衝撃の現役復帰宣言をした2008年4月。その彼女の復帰2大会目となる福岡国際でダブルスパートナーを務めたのが、17歳の誕生日を迎えたばかりの土居である。“年齢差20歳ペア”としても注目された二人は、善戦するも初戦で敗退。試合後の記者会見では、多くのテレビカメラと報道陣が待ち受ける中、土居は全身をカチコチにして、クルム伊達の横に座っていた。

「あのときは私もまだジュニアだったので、正直、テレビカメラもいっぱいあって圧倒されてしまった」
 クルム伊達を破り、再び多くのテレビカメラが向けられた中、22歳になった土居はそう言って自然な笑みを浮かべた。

 クルム伊達が復活し女子テニスにかつてない視線が注がれたこの当時、若い土居がクルム伊達と組んだ背景には、日本テニス関係者たちの、土居に懸ける期待が当然のようにあった。ジュニアとして結果を残していた土居の“大人のテニスプレーヤー”としてのスタートは、くしくも「若い選手の刺激になれば」と現役復帰を決意したクルム伊達の、第二のキャリアの始まりと歩調を重ねている。

 さらには、これも運命の必然だろうか。土居とクルム伊達のキャリアのスタートには、もう一つの符号がある。先ほど、土居がクルム伊達とダブルスを組んだのは「復帰2大会目」と書いたが、復帰第1戦となったのは岐阜で行われたカンガルーカップであり、そのダブルス初戦でクルム伊達と対戦したのが、土居と久見香奈恵(フリー)のペアだった。さらにはネットを挟み対峙したクルム伊達のその横には、土居にとって見慣れた――恐らくはあまりに見慣れた――顔がある。クルム伊達復帰戦のダブルスパートナーの大役を務めたのは、土居の親友であり同期のライバルでもある、奈良くるみだったのだ。

復帰戦優勝の陰に16歳・奈良の活躍

5年前のクルム伊達(右)復帰戦、ダブルスでは当時16歳の奈良(左)とペアを組んで、見事優勝を勝ち取った 【写真は共同】

 土居がクルム伊達と福岡でダブルスを組むそのわずか一週間前、奈良はクルム伊達と組んで復帰戦を戦い、そのまま週末の日曜日まで白星を4つ連ねた。クルム伊達が、復帰第1戦でダブルス優勝した快挙の陰に16歳の奈良の活躍があったことは、あまり知られていない事実かもしれない。

 奈良は、小学生のころからテニス関係者、特に生まれ育った関西では“大阪に天才少女あり”として知られた存在だった。各世代で全国優勝のタイトルを手にし、15歳時には世界スーパージュニアテニス選手権でも戴冠。その奈良がクルム伊達と組んだ経緯にも、土居と同様、日本テニス関係者の厚い期待があった。

 そして奈良は、周囲の期待に十二分すぎるほどに応える。コート上では物おじせずにはつらつとプレーし、試合後の会見でも、大量のカメラレンズが向けられ撮影用の照明に照らされながらも、堂々とした受け答えを見せていた。このダブルスを後押ししたクルム伊達の恩師の小浦猛志氏は当時、「奈良は身体は小さいが、やってくれるのでは」と手応えを口にしている。158センチの身体は大型化が進む女子テニス界にあって特異なまでに小柄だが、その小さな背には、日本テニス界の希望が大きくのしかかっていた。

 その5年前から今日に至るまでの土居と奈良の足跡を、順調と呼ぶか、あるいは紆余曲折と呼ぶかは、意見が分かれるかもしれない。

 奈良は18歳のときにウィンブルドンでグランドスラム初勝利を手にし、ランキングも101位まで急激に伸ばした。だが、その後は小さなケガにつまずき、次にグランドスラムでの勝利を手にするまでに3年の月日を要している。それでも奈良は「3年は言われてみれば長いが、やっていて長いとは感じなかった」と振り返る。12年初頭にコーチを代えて以来、彼女はフォアハンドの打ち方からボールに入るステップまで抜本的な改良に取り組み、同時にフィジカルを徹底的に鍛えあげてきた。身長は5年前と変わらず158センチだが、服のサイズは1つ上がりLサイズに。努力の跡は、目に見える形で結実している。

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著者プロフィール

テニス雑誌『スマッシュ』などのメディアに執筆するフリーライター。2006年頃からグランドスラム等の主要大会の取材を始め、08年デルレイビーチ国際選手権での錦織圭ツアー初優勝にも立ち合う。近著に、錦織圭の幼少期からの足跡を綴ったノンフィクション『錦織圭 リターンゲーム』(学研プラス)や、アスリートの肉体及び精神の動きを神経科学(脳科学)の知見から解説する『勝てる脳、負ける脳 一流アスリートの脳内で起きていること』(集英社)がある。京都在住。

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