日本女子テニスの象徴クルム伊達を超えろ=土居美咲と奈良くるみの成長物語
「憧れ」のクルム伊達に勝利
土居はHPオープン2回戦で憧れの存在、クルム伊達に勝利。試合後、興奮冷めやらぬ様子で「緊張した」と振り返った 【写真は共同】
「正直、落ち着いているように見せていただけで、試合中は本当に緊張していました」
そう口にする土居の精悍(せいかん)な相貌は、試合終了から1時間ほど経ったにもかかわらず、いまだ冷めぬ高揚感からか、あるいは極度の緊張から解放された安堵(あんど)感からか紅潮し、大きな瞳は幾分潤んでいるように見えた。
「やはり相手は伊達さんだし、日本でやる機会はなかなかないので、すごく緊張しました」
土居はあらためて、緊張という言葉を繰り返す。土居という選手は、日ごろは大人びた立ち居振る舞いを見せ、試合中も、あるいは会見のときなども、胸の内を言葉や顔に表すことは少ない。それだけにクールな印象を周囲に与えるが、彼女をよく知る人たちは「本当はすごく繊細な子」と口をそろえる。多くの報道陣の目やテレビカメラが向けられる中で、「憧れであり、勝つのは一つの目標だった」とまで言う存在との対戦は、彼女の心身を末端までしびれさせていたようだ。
運命のめぐり合わせは5年前
「あのときは私もまだジュニアだったので、正直、テレビカメラもいっぱいあって圧倒されてしまった」
クルム伊達を破り、再び多くのテレビカメラが向けられた中、22歳になった土居はそう言って自然な笑みを浮かべた。
クルム伊達が復活し女子テニスにかつてない視線が注がれたこの当時、若い土居がクルム伊達と組んだ背景には、日本テニス関係者たちの、土居に懸ける期待が当然のようにあった。ジュニアとして結果を残していた土居の“大人のテニスプレーヤー”としてのスタートは、くしくも「若い選手の刺激になれば」と現役復帰を決意したクルム伊達の、第二のキャリアの始まりと歩調を重ねている。
さらには、これも運命の必然だろうか。土居とクルム伊達のキャリアのスタートには、もう一つの符号がある。先ほど、土居がクルム伊達とダブルスを組んだのは「復帰2大会目」と書いたが、復帰第1戦となったのは岐阜で行われたカンガルーカップであり、そのダブルス初戦でクルム伊達と対戦したのが、土居と久見香奈恵(フリー)のペアだった。さらにはネットを挟み対峙したクルム伊達のその横には、土居にとって見慣れた――恐らくはあまりに見慣れた――顔がある。クルム伊達復帰戦のダブルスパートナーの大役を務めたのは、土居の親友であり同期のライバルでもある、奈良くるみだったのだ。
復帰戦優勝の陰に16歳・奈良の活躍
5年前のクルム伊達(右)復帰戦、ダブルスでは当時16歳の奈良(左)とペアを組んで、見事優勝を勝ち取った 【写真は共同】
奈良は、小学生のころからテニス関係者、特に生まれ育った関西では“大阪に天才少女あり”として知られた存在だった。各世代で全国優勝のタイトルを手にし、15歳時には世界スーパージュニアテニス選手権でも戴冠。その奈良がクルム伊達と組んだ経緯にも、土居と同様、日本テニス関係者の厚い期待があった。
そして奈良は、周囲の期待に十二分すぎるほどに応える。コート上では物おじせずにはつらつとプレーし、試合後の会見でも、大量のカメラレンズが向けられ撮影用の照明に照らされながらも、堂々とした受け答えを見せていた。このダブルスを後押ししたクルム伊達の恩師の小浦猛志氏は当時、「奈良は身体は小さいが、やってくれるのでは」と手応えを口にしている。158センチの身体は大型化が進む女子テニス界にあって特異なまでに小柄だが、その小さな背には、日本テニス界の希望が大きくのしかかっていた。
その5年前から今日に至るまでの土居と奈良の足跡を、順調と呼ぶか、あるいは紆余曲折と呼ぶかは、意見が分かれるかもしれない。
奈良は18歳のときにウィンブルドンでグランドスラム初勝利を手にし、ランキングも101位まで急激に伸ばした。だが、その後は小さなケガにつまずき、次にグランドスラムでの勝利を手にするまでに3年の月日を要している。それでも奈良は「3年は言われてみれば長いが、やっていて長いとは感じなかった」と振り返る。12年初頭にコーチを代えて以来、彼女はフォアハンドの打ち方からボールに入るステップまで抜本的な改良に取り組み、同時にフィジカルを徹底的に鍛えあげてきた。身長は5年前と変わらず158センチだが、服のサイズは1つ上がりLサイズに。努力の跡は、目に見える形で結実している。