日本女子テニスの象徴クルム伊達を超えろ=土居美咲と奈良くるみの成長物語

内田暁

負けず嫌いよりも“報いたい”

奈良はHPオープンでキャリア初のツアーベスト4に進出。今年は全米オープンで3回戦に進むなど、飛躍の時を迎えている 【写真は共同】

 奈良は“負けず嫌い世界一決定戦”のような女子テニス界にあって、何とも朗らかな空気をまとった選手だ。2年前、彼女が最も苦しい時期を過ごしただろうシーズンの最後の大会のことである。奈良は取材に来ていた数人の記者・ライターに向け、「今年もお世話になりました。来年もよろしくお願いします」とペコリと頭を下げた。その律義さをうれしく思うと同時に、余計なお世話と知りながらも「こんなに素直な娘が、良い意味で自我の強い世界中の選手たちと戦っていけるだろうか」と不安に感じもした。

 実は当人も「私自身も『自分はあまり負けず嫌いじゃない気がするなー』といつも感じていて、そこが勝利への執着心が足りない私の弱点なのかも」と思っていたという。しかし彼女は、その誰からも愛される人柄で、自分を支えてくれる人間や開花のときを待ってくれるスタッフを、自然と周囲に引き寄せてきた。
「コーチやトレーナーの方たちは、悪いときもずっと一緒にやってきて、すぐに言い訳してしまう私にいつも喝を入れてくれた。自分のチームにちょっとでも褒められたいというか、結果で応えたいという強い気持ちもあった」

 今年の全米オープンで3回戦、HPオープンで準決勝まで進んだ奈良は、 “負けず嫌い”ではなく、支えてくれた人の恩や努力に“報いたい”という思いを勝利への渇望に変えて、ここまで来た。100位突破に費やした3年間は、回り道ではなく、心身の成熟に必要な時間だったのだろう。

試行錯誤を重ね、独自の道を歩んできた土居

 そのように他人の感情に敏感な奈良だからこそ、苦楽を共有できる土居の存在は大きいはずだ。今回のHPオープンで土居がクルム伊達に勝った事実も、まだ大先輩相手に勝利のない奈良にとり、大きな刺激となっただろう。
 その土居が、ここ数カ月の間に自信を深めクルム伊達を破る鍵にもなったのが、大きく向上したサーブだ。そのことは、あのリターン巧者のクルム伊達相手に、第2セットは一度もブレークポイントを与えなかった事実に端的に表れる。

 この数年間の歩みということで言えば、土居は自分に合うコーチや環境を探し、試行錯誤を繰り返しながら、独自の道を歩んできた。昨年はオーストラリア人コーチとツアーを周り、今年の夏からは、上海のテニスクラブで生徒を教える元プロ選手の尾崎文哉に師事している。その尾崎のアドバイスのもと、土居はサーブの抜本的な改革に踏み切る決意をした。
「僕のような、プロ指導の経験のほとんどない人の意見を、なんで素直に聞いてくれたのか分からない」と尾崎コーチは謙遜するが、新鮮な外部の声は、土居のアスリートとしての本能に響くものがあったのだろう。運動力学的に理にかなった新フォームを完成させるべく、すでにプロ4年のキャリアを持つ土居は、まるで昨日今日テニスを始めた初心者のように、ボールを投げることから始めたという。シーズン後半戦までの時間は少なかったが、「日数ではなく、1日に何球投げるかだ」という尾崎の言葉を信じ、土居はボールを投げ続けた。その日々が「今年の前半や中盤はサーブに苦しんだが、今は良くなっているし自信になっている」の言葉に表れている。

天才少女から、日本女子テニスの新たな希望へ

 クルム伊達がプロのコートに戻ってきたときに16歳と17歳だった二人の少女は、程なくして自らもプロとなり、クルム伊達がテニス界に運んできた追い風を帆に受けて、世界へと船をこぎ出した。そして今年の大阪で、土居は日本のテニスファンや関係者が見守る中「憧れ」の存在を破った。奈良は慣れ親しんだ街に戻ることで雑念を振り払い、自身初のツアーベスト4進出を果たしている。そもそも、このHPオープンが設立されたのが、クルム伊達が現役復帰した翌年の09年。冠スポンサーのHPはクルム伊達のパーソナルスポンサーでもあり、大会そのものが“クルム伊達現象”の一環だと見ることもできる。そのような意味でも、二人は帆に受けた追い風のおかげでようやく今、一つの目的地に到達したと言えるだろう。

 その土居と奈良に向け、大先輩のクルム伊達は「私が挫折感を覚えるくらいじゃないと困る」と、厳しくも現実的なエールを送る。
 追い風は、そうそういつまでも吹いてはいまい。それでもきっと、希望に満ちた航海は続く。「二人で、日本のテニスを引っ張っていけるようになりたいと本当に思っているので、まだまだここで満足せずに、上を目指したいと思います」
 そう語る奈良の言葉通り、これからは二人が推進力となり、大海を渡っていくはずだ。

<了>

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著者プロフィール

テニス雑誌『スマッシュ』などのメディアに執筆するフリーライター。2006年頃からグランドスラム等の主要大会の取材を始め、08年デルレイビーチ国際選手権での錦織圭ツアー初優勝にも立ち合う。近著に、錦織圭の幼少期からの足跡を綴ったノンフィクション『錦織圭 リターンゲーム』(学研プラス)や、アスリートの肉体及び精神の動きを神経科学(脳科学)の知見から解説する『勝てる脳、負ける脳 一流アスリートの脳内で起きていること』(集英社)がある。京都在住。

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