【ハマのチーターが語る野球人生「My VOICE」】元横浜DeNAベイスターズ 村川凪さん 独占インタビュー【徳島インディゴソックスOB】
2021年シーズンに徳島インディゴソックスでプレー。1年間の独立リーグ生活を経て、同年のプロ野球ドラフト会議で横浜DeNAベイスターズから育成指名されました。
目指していたNPBという華やかな世界で感じた喜び。非情な宣告。これからの展望についてお話を伺いました。
村川さんのファンの方はもちろん、インディゴファン、ベイスターズファンにとって、最初から最後まで見逃せない内容になっています!
※この取材は、2025年2月4日に行われたものです。
(1)我が道を進んだ徳島での日々
村川 大学4年生のときはコロナ禍でした。そのため、卒業後に野球が続けられるか続けられないかの瀬戸際でした。大学卒業後に野球をやるのであれば、NPBを目指したいと考えていました。そこで、四国アイランドリーグplus合同トライアウトを受けて、拾っていただけなかったらNPBは無理だという思いで受験しました。
_インディゴでの経験がNPBに結びついたと感じることがあれば教えてください。
村川 インディゴの選手間での競争に勝てたことはNPBで生きました。インディゴは全員がNPBを目指している集団です。ドラフトで指名されるためには、他の選手と同じことをやっていてもダメだと考え、僕は人と違うことをやったことで指名につながりました。NPBでも同じことが言えるのですが、他の選手の良い部分や悪い部分も見たうえで自分に落とし込むことができたことは、インディゴでの1年間があったからだと思います。
(2)目指していたフィールド
村川 ドラフト当日は、古市尊選手(現:埼玉西武ライオンズ)と一緒に指名を待っていました。注目されるという経験はそれまでの野球人生であまりなかったのですが、NPB球団や周囲の人から「期待をされている」という実感はありました。また、「足を売りにしている選手を欲しい球団は多くあるだろう」と考えていました。自信もあったので支配下指名を期待していましたが、支配下では名前が呼ばれず、育成指名開始前の休憩時間では、「もしかしたら指名されないかも」と思い、席を立つことすらできませんでした。しかし、育成指名が始まってすぐに指名されたので体が軽くなりましたし、あのときの気持ちは忘れられません。
村川 もちろんレベルは高かったのですが、「無理だな」とはならず、逆に「やれないこともないな」と思いました。特に、僕はベイスターズで一番足が速いと感じていましたし、球団からも「足のスペシャリストになってほしい」という話を聞いていたので、そういう思いは持ち続けていました。
_NPBでも通用すると感じた部分はありましたか。
村川 オープン戦(2022年3月2日 対広島東洋カープ)でも盗塁を決めることができましたし、ファームでも試合を重ねることで結果もついてきていたので2年目の時点では「一軍でもできる」と思っていました。
_オープン戦に出場したときの心境はいかがでしたか。
村川 頭が真っ白過ぎて緊張自体はなかったです。「盗塁を決めるだけ」という気持ちでした。全然周りも見えていなかったですし、歓声を楽しむ余裕はありませんでした。
_今、お話にあった「余裕」というのは、どのような経験によって培われましたか。
村川 実践を積んだことで、相手チームが僕の脚力を認知し始めました。それにより、警戒選手としてマークされるようになりました。相手からの警戒は、僕にも伝わり、そこで心に余裕を持ってプレーできるようになりました。
_一方で、NPBの世界で厳しさを感じた部分はありますか。
村川 戦力外通告を受けたことで分かったのですが、自分に能力があってもそのフィールドがなければプロ野球選手ではいられないということを痛感しました。
_独立リーグとNPBの違いを感じた瞬間は何ですか。
村川 環境はもちろんですが、野球脳の部分に一番の違いを感じました。練習一つとっても「自分に何が足りなくて練習をやるのか」「足りない部分をどう補うのか」「得意な部分をとにかく伸ばしていくのか」など多くの選択肢がある中でやるべき練習を選択していて「レベルが違うな」と思いました。他にも、一般的には「打てなかったから練習する」「練習すれば上手くなる」という考えだと思いますが「連戦中だから身体を休める」という考え方をNPBで学び、インディゴとの違いを感じました。
_NPBでの「野球脳」に関する学びから、どのようなことを心掛けて練習していましたか。
村川 良いときも悪いときもあるのが普通なので、やることとやらないことを事前に決めておくことがスランプをなくす方法だと考え、自分自身も取り組んでいました。一流の人は、このような考え方や練習方法を皆やっていたので僕も取り組むようにしていました。
_では、独立リーグとNPBで技術面での違いはありましたか。
村川 NPBに入ったことで全体的な能力は上がりました。盗塁において、NPBではバッテリーとの駆け引きが勉強になり、盗塁の奥深さを感じました。
_NPBでは何がモチベーションとなっていましたか。
村川 支配下登録や一軍出場はもちろんですが、一番はファンの方の声援です。プロ野球である以上、多くのファンの方に見られるので僕が活躍することでファンの方が盛り上がれば鳥肌が立つし、特に試合終盤での自分の活躍による歓声は気持ち良いので「試合に出たい」や「活躍したい」というモチベーションにつながりました。
_2023年にはファームで最多盗塁のタイトルを獲得しました。そのときはどのような心境でしたか。
村川 うれしかったです。シーズン終了後に行われたNPBの表彰式(NPB AWARDS 2023 supported by リポビタンD)では、ほとんどの選手が支配下選手という中で僕もスーツを着て、一緒に表彰されることに喜びを感じていました。ファンの方の「これで村川は支配下になれるだろう」という声も耳にしていたので、支配下登録に向けて大きな自信になりました。
村川 「支配下登録まだされないのか」と思い、多少は心が折れかけました。
_育成選手ではあったものの2024年春季キャンプはA班(一軍)帯同でした。そのときはどのような意気込みでキャンプに参加しましたか。
村川 2023年の秋季トレーニングでは石井琢朗チーフ打撃兼走塁兼1塁ベースコーチとマンツーマンで走塁練習をやっていたこともあって、「今年こそ」と思っていました。キャンプ自体はラストチャンスという気持ちで臨みました。
_覚悟を持って挑んだ春季キャンプですが2月4日の肉離れにより離脱ということになりました。そのときの心境はいかがでしたか。
村川 怪我をした瞬間に感じたことのない痛みに襲われたので、シンプルに「終わった」と思いました。何もやる気が起きなかったです。ファンや家族、インディゴ関係者を含め、多くの方の顔がすぐに思い浮かびました。申し訳ないという気持ちがあり、「何と言おう」と思いました。
_その怪我明けの最初の試合(2024年4月20日 ファーム公式戦 対読売ジャイアンツ 4回戦)でのエピソードはありますか。
村川 その日は「代走で行くぞ」と事前に言われていました。ベストな状態に仕上げてから試合復帰するというプランだったので、リハビリの期間を長く要した分、久々の実践でアドレナリンがすごかったです。「やっと復帰できた。ここからだ。」と思っていました。この試合が、NPBでの3年間において、一番印象に残っているシーンです。ファンの方の「凪!走れ!」の声でスタートを切ることができましたし、だいぶ背中を押していただきました。
_ベイスターズは昨年、日本一となりました。その原動力となったのが村川さんと同じ1998年世代でしたが、牧秀悟選手や山本祐大選手を中心に活躍する同世代をどのように見ていましたか。
村川 山本選手、知野直人選手、細川成也選手(現:中日ドラゴンズ)など一緒にファームでプレーしていた同級生が、今では一軍にいるだけでなく、一軍で活躍していることがうれしかったです。それと同時に、「自分もその中に割って入りたかったな」というのが正直な思いです。
(3)チームの歓喜の裏にあった厳しい秋
村川 戦力外通告を受けたときに球団の方へ理由は聞かなかったのですが、「何で」と思いました。悔しさを含めたいろいろな感情がありました。誰とも会話したくなかったですし、先のことを考えることもできなかったです。一方で、少し経ってから「他球団からチャンスをいただけないかな」と期待していました。しかし、NPB以外の球団でプレーをするという選択肢はなかったので、連絡を待つ期限を決めたうえで、連絡が来なかったので思い切って「引退しよう」と決断しました。
_引退時に「プロ野球っていいところだな、とファームの試合ですら感じていました。」というコメントを出されていましたが、どのようなところにそう感じましたか。
村川 チームの勝敗やプレーの良し悪しは、選手だけでなくファンの応援によっても左右されると思うので、そこに面白さを感じました。また、野球というスポーツにおいて走攻守だけでない深みをすごく感じました。特に学生野球や独立リーグとは違った駆け引きが面白かったです。
_引退を発表してから2カ月近くが経過しましたが、現役生活を終えた今の気持ちはいかがですか。
村川 思った以上に結果を残せた中での現役引退なので悔いが残っています。まだ、身体が動く状態ですし、今も「NPBで野球がやりたい」と思っています。現在もNPBのキャンプに関するニュースなどをあまり見ることができないです。
_NPBでの経験から得た一番大きな財産は何ですか。
村川 ベイスターズの1998年世代のメンバーです。メンバーも多いですし、仲が良いです。僕が引退を決断したときも声をかけてくれました。また、これからやることに関しても「すごいな」と応援してくれています。自分がベイスターズを離れた今も「このメンバー良いな」と思っています。
_3年間を通して様々な経験をしたと思います。ターニングポイントになった場面を挙げるとすればいつですか。
村川 キャンプでの怪我が自分の野球人生を変えた大きな出来事になりました。ファームにずっといる選手は一軍の首脳陣に見てもらえる機会がなかなかないので、キャンプ期間の練習や試合で「自分のプレーを見てほしかったな」と思っています。
(4)オフの楽しみ
村川 寮生だったときは一人でカラオケに行ってました。チームメイトと一緒のときには、遠征先で知野選手や梶原選手とよく食事に出かけていました。
_ファンの方から差し入れをもらうこともあったと思います。もらって嬉しかった差し入れは何ですか。
村川 スターバックスのカードです。遠征のときには移動も多いのでスタバに行くことがあります。スタバカードは選手みんなうれしいと思います。
_プライベートにおいて野球以外で挑戦したことはありますか。
村川 ゴルフを始めました。あまり上達しなかったので「辞めよう」と思っていましたが、オフシーズンに毎年同級生とゴルフをする機会があるので、恥をかかないように練習しています。同級生だと山本選手と堀岡隼人選手が上手です。
(5)新たな挑戦、始動
村川 これからは元プロ野球選手という肩書が付くと思います。自分が頑張ってプロになったことで得たこの肩書を簡単に捨てるのはもったいないと思ったので、野球教室やランニング教室を行いたいと考えています。「野球教室を始めよう」と思ったきっかけは、自分がなかなか試合でのチャンスがないという境遇と照らし合わせたことでした。試合でのチャンスが少ないという少年少女も多くいると思います。この教室を通して、打つ機会やノックを受ける機会を与えてあげることでそのような子どもたちの手助けをしたいです。将来的には神奈川県内で屋内の施設を作りたいと考えています。今年2月からは施設を借りて野球教室を行っています。他にも、ファンイベントを定期的に開催したいです。昨年12月にはファンイベントを行い、多くのファンの方に来ていただきました。
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(6)応援してくれたファンの方へ
村川 NPBの一軍で活躍するというのはかなりハードルが高いのですが、僕がインディゴ出身者で「一番活躍した選手になりたい」という思いでした。その期待に応えることができなかったので、すごく申し訳なかったなと思っています。毎年、徳島には帰っているのですが、これからも徳島に足を運んで何か還元できることがあればしたいと思っています。また、インディゴでの試合で村川デーを作って始球式をしたり、イベントにも行きたいと思っています。これからも徳島から僕を応援して頂きたいです。
_ベイスターズファンの方にもメッセージをお願いします。
村川 足のスペシャリストとして期待して頂いたにも関わらず、期待に応えられず申し訳なかったと思っています。これからも表舞台に立って活動をしたいと思っているのでファンの方への恩返しも兼ねて、また皆さんのお目にかかることができたらと思っています。これからも応援よろしくお願いします。
_ありがとうございました。
プロフィール
出身:広島県
生年月日:1998年6月26日
身長:174cm
体重:65kg
投/打:右/左
経歴:如水館高-四日市大-徳島インディゴソックス-横浜DeNAベイスターズ
タイトル:四国IL 最多盗塁 2021年(40個),イースタン・リーグ 最多盗塁 2023年(29個)
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ベイスターズを背負い、村川さんも「最高の同級生」だと話す1998年世代。そんな仲間への感謝を述べるも、同じ喜び方ができていないことへの悔しさを覗かせていました。
高い志と大きな自信を持ってプレーした期間を振り返り、様々な葛藤や苦悩が滲み出るインタビューとなりました。
また、ファンへの感謝を熱く口にする姿も印象的でした。今回のインタビューを通して、「ファンの声援は選手に必ず届いている」ということを強く感じました。
既に村川さんは大切な同級生に負けず、自分を信じて進んでいます。悔しさを味わった先の未来に向かう村川さんを心から応援しています。
取材・執筆 横田恵周
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