早大競走部 箱根事後特集『蕾(つぼみ)』 第7回 伊藤大志駅伝主将
2024年度駅伝主将として「強い早稲田」復権の礎を築いた伊藤大志(スポ4=長野・佐久長聖)。学生最後の大舞台は7区を任され、本調子ではないながらも懸命に21キロを走り抜いた。4年間エンジを背負い、エンジのために戦った伊藤大に東京箱根間往復大学駅伝(箱根)最終走を振り返ってもらった。
※この取材は1月25日に行われたものです。
強いチームの基礎をつくれた
2週間くらい前は正直外れると思っていたくらい調子が悪かったです。エントリーして走れるだけでよかったという感じに思っていたので、入れてもらったからにはしっかり仕事をしないとなという気持ちでした。よかった反面、しっかりしないとという使命感が半分半分でした。
ーー箱根当日までにどのくらい調子は戻りましたか
残り1週間くらいになって、これならいけそうだなというところまでは戻ってきましたが、それでも100パーセントの状態から見たら7、8割の調子でした。正直に言えば、区間5番とかまではいかずに、うまくいって区間一桁、落ちたら区間二桁だろうなというくらいではあったと思います。
ーー上位を争う中でタスキを受けることにプレッシャーかワクワク、どちらを感じましたか
正直プレッシャーの方が大きかったです。4年間の箱根で一番いい順位でタスキが来て、過去2回の箱根は順位を上げる立場でチームを勢いに乗せる役割でしたが、今回は乗せてもらった流れを切らさずにさらに勢いづける走りになると思ったので、今までの駅伝の中で初めてのことでした。流れを切らしてはいけない重圧や責任感がすごく大きかったですし、後輩たちが往路でいい走りをしてくれて、6区も山﨑(一吹、スポ2=福島・学法石川)がかなりいい走りをしてくれたので、その分プレッシャーがどんどん増していったような気もします。
ーー結果は区間11位でしたが、調子から考えると仕方ないかなという感じでしょうか
レース展開から見てもずっと単独走だったので少し仕方ない部分はあったのかなと思います。ただもう少し踏ん張るというか、後に走る選手たちを楽にさせてあげればいけなかったなと思うので、そこは申し訳なかったという気がします。
ーー花田勝彦駅伝監督(平8人卒=滋賀・彦根東)からはどのような声かけがありましたか
テクニカルな声かけもちょくちょくありました。特にありがたかったのは前を走っている青学大、駒大や中大の選手のペース変動を教えてもらったことです。実際自分が一番きつかった地点で他の大学の選手もペースが落ちていることを聞くと、まだまだいけるなと、気持ちを持ち直すことができた声かけもありました。最後には「4年間ありがとう」というふうに言っていただけたので、感無量でしたし、4年間頑張ってきてよかったなと思いました。
ーー8区の伊福陽太(政経4=京都・洛南)選手とのタスキリレーでは何か声をかけましたか
声をかける余裕がなくて、ただタスキを渡すだけになってしまいましたが、渡す時に花田さんが、最後だから笑顔で渡そうというような声かけをしてくれたので、頑張って笑顔をつくった記憶があります。
ーー8、9、10区の4年生たちの走りはどのように見られましたか
第一としては大丈夫かなという心配の気持ちの方が正直強かったです。往路で後輩たちがかなりいい流れで来てくれたので、その分4年生で崩すわけにはいかないというプレッシャーが大きくて、頼むぞと思いながら見ていた部分が大きかったです。レースが全部終わってから振り返ると、10区間のうち4区間を4年生が占めるようになったことに対して、1年目の時から考えると本当に強く、層が厚い学年になったなということは少し思いましたね。
ーーご自身やチームの結果を振り返ると、安心した気持ちと悔しさは半分ずつくらいでしょうか
本当に半々くらいですね。それこそ僕や4年生にとっては本当に半々だと思います。箱根で3位以内を目指して1年間やってきた中で、全日本(全日本大学駅伝対校選手権)の予選や本戦の結果を踏まえると、3位以内というのは少し絵空事になってしまうのかなというような気もしていました。実際に3位争いや3強に対してしっかり勝負できるようになったという点では正直ほっとして、有言実行の一歩手前までいけたなという安心感はあります。でも、最後の最後で3位以内が見えていたところでの4位で、そこの悔しさは大きいので半々だと思います。逆に下級生になればなるほど、その悔しい気持ちの割合が大きくなってくると思いますし、僕らの学年は4年間負け続けてしまって、負けに少し慣れてしまった分、僅差の4位ならというふうに思えてしまうのもあるかなと。だからこそ、チームの転換期というか、これから強い早稲田しか知らない学年がどんどん増えていくと思うので、僕らの学年がその転換期のタイミングだったのかなと振り返ってます。
ーー3回走った箱根駅伝はどのような舞台でしたか
早大は箱根駅伝など3大駅伝に特化したチームではなく、駅伝とトラックの両方の比率を考えていかなければならないですが、チームを表現する最高の場になるのはやはり箱根駅伝だと思います。仮にトラックシーズンや出雲(出雲全日本大学選抜駅伝)、全日本があまり良くなくても、最後の箱根でいい結果が出れば終わり良ければ全て良しというふうになると思いますし、その逆も然りで、箱根が悪くなると勝てないシーズンだったなというイメージになってしまうので、チームとしても個人としても評価の比率を大きく占める機会だなと思います。そこがすごく興味深く面白い反面、ひやひやするというか怖い存在でもあるかなと思います。
ーー終わり良ければ全て良しというお話ですが、実際に今シーズンの評価はいかがですか
強い早稲田が戻ってきたなと自分自身で感じられるチームになったので、そこは胸を張って卒業できると思います。それこそ最後3位で勝ち切れたら100パーセントというか万々歳で卒業できたので、そこが悔いが残る部分ではありますが、それも含めての4年間というか、多分僕らが転換期だなというふうに、今は結構割り切っています。これから先の早稲田は強いチームになってくると思うので、その基礎をつくることができたのはよかったです。
ーー先日は全国都道府県対抗男子駅伝に出場して優勝に貢献されました
箱根から調子が上がっている状態で臨めました。プレッシャーのある立場や区間で不安も大きかったですが、箱根から一個乗り越えたというかプレッシャーをうまく楽しめるようになってきたなと思える試合だったと思います。
ーーチームメイトの佐々木哲(佐久長聖高)選手とは何かお話をされましたか
走る前は冗談交じりで(後続に)1分つけてこいと話していました。実際は30、40秒くらいだなと高見澤監督とも話していましたが、本当に1分半つけてくると思ってなかったのでもう感服というか、違うなと思いました。
日本選手権で勝てる選手に
トラックシーズンで5000メートルの自己ベストを更新できて、13分30秒を切ることができたのは一つ大きかったと振り返っています。これからトラックで勝負していくには13分30秒は当たり前に切っていかなければいけないですが、ここまで足踏みして、13分35秒からの5秒がどうしても一年間詰め切れなかったので、まずそこを突破できてほっとしたのが一番です。もう一つ成長した点としては、下振れがなくなってきたなという感想を持っています。特に全日本関東選考会から日本選手権にかけての流れであったり、ホクレン(ホクレン・ディスタンスチャレンジ)だったり、あまりコンディションが整わない中でも、日本選手権で13分40秒をしっかり切ってまとめることができました。調子が悪い中でもラストを切り替えて、競り合った相手に勝って帰ってくるというところではかなり成長できたかなと思います。そこにだいぶ厚みというか土台の部分がしっかりしてきたなというイメージを持っています。
ーー花田監督はどういった監督でしたか
他の大学の監督にはない、テクニカルでクレバーな部分と人情のある部分がうまく合わさっている方だなと最近は思っています。早稲田という一般組と推薦組がいる特殊なチームだからこそ監督ができるのかなと思いますし、花田さんでないと早稲田の監督はできないと、3年間を通して感じました。
ーー同学年の選手に対してはいかがですか
客観的に見たらパンチがない学年だと4年間言い続けてきましたが、個性が際立つ学年というよりかはまとまりのある学年だな思います。選手スタッフ問わず、そういう雰囲気が僕らの学年にはあるのかなと思います。4年間を通して思うと、年を経るにつれわちゃわちゃとした機会というか、みんなでバカしながら4年間できたのもこのメンツだったからこそできたのかなと思うと、感慨深いものがあるし、単純にこの学年がこのメンバーでよかったというふうに思うことができました。
ーー相川賢人駅伝主務(スポ4=神奈川・生田)はどういった存在でしたか
チームの影の精神的支柱はやはり相川なのかなと僕自身は分析しています。いろいろな立場を横断できる役職なので、そのことを自覚して動いてくれてすごいありがたかったかなと思います。他の人がどう見ているかはわからないですが、僕個人としては多分それを意識してやっているのだろうなと思ったので、ありがたいなと思いますし、少し上から目線になってしまいますが、4年間で頑張ったな、成長したなと思います。
ーー次期駅伝主将の山口智規(スポ3=福島・学法石川)選手と何かお話はされましたか
あまり力みすぎるなという話はずっとしています。キャプテンやトップに立つ人間はいろいろ種類があって、僕なんかは背中や姿勢で引っ張るというよりかはうまくテクニカルなことを活用して雰囲気を良くしようとか、いろいろな人の相乗効果を使って化学反応を起こして、チームを良くしていこうとするタイプでした。いろいろ良し悪しがあって最後の選択肢として、キャプテンとしてまとめる走りをするのか、エースとして突き抜ける走りを目指すのか、二者択一を迫られる時に、キャプテンの走りを選んでしまうと、やはりエースの走りだったり突き抜けた走りというのは多分できなくなってしまうのかなと僕個人として思っています。ただやはり山口智の走りを見ていると、それをやるにはもったいない人材だなと思います。チームをまとめる立場ではあると思いますが、キャプテンとしてこうしなければとか、あまり力みすぎずに、自分のキャプテン像、自分のやるべきことを貫いてほしいと思います。
ーー早大の4年間で成長したこと培ったことはどのようなことですか
人を見る目というのはすごく養われたかなと思います。全体の人数がそんなに多くないチームなので、一人一人を見てどういった声かけやどういったことをするとチーム全体にいい影響を及ぼすのかなという視点を持つことができたのは、特に4年目にキャプテンをやったことによってかなり養われた点かなと思います。一歩引いて視野を広げて俯瞰して見るというスタンスは、これからの人生でかなり役に立つ根幹になるスタイルかなと思いますし、それは多分早稲田でないとできなかったことだと思います。トップダウンのチームにいると、その人についていくか自分が一番上になるかのどっちかになるだけなので、早稲田のように規模感が小さくて、自主性を重んじて一般組や推薦組がいるという特殊なチームにいたからこそできた姿勢なのかなと思います。
ーーこれからは実業団で競技を続けますが、短期的な目標や長期的な目標はありますか
まず長期的には、日本選手権で勝てる選手にならなければいけないと思っています。最近よく取材でお話しさせていただく話として、早稲田に入学した当初は、なんとなく世界を目指したいという話をしていましたが、海外遠征を何回か経験したことにより軽い気持ちで世界を目指すには程遠い立ち位置にいるということをすごく痛感しました。今は世界を目指すために日本で勝ち切らなければいけないことをすごく強く感じています。世界の土俵に立つために日本選手権で勝負して勝ち切る姿勢や13分20、10秒を切っていくクラスの選手にならなければいけないということを思っています。短期的な目標としては13分20秒を切りたいなと思いますし、そのためのステップとして、社会人1年目から力みすぎるのは良くないかなと思いますが、自分の新しいスタイルを模索しながら13分20切りを社会人1年目から目指していきたいかなと思います。
ーーありがとうございました!
2002(平14)年2月2日生まれ。173センチ。長野・佐久長聖高出身。スポーツ科学部4年。第101回箱根7区1時間3分36秒(区間11位)。競走部の練習で印象に残っているのは、1年時に行った150メートル×50セットの練習。「きつかったわけではないですけど、とにかく本数が多くて今考えるとよく走ってたな(笑)」と振り返ってくださいました。大学卒業後は実業団・NTT西日本に進み、競技を継続する伊藤大選手。早大での4年間の走りを糧に、今後のさらなる活躍に期待です!
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