【コベルコ神戸スティーラーズ/震災から30年 特集企画part.3】 1.17メッセージ動画公開。「神戸スティーラーズの選手としてこれからも震災を伝え続けていく」

チーム・協会

【コベルコ神戸スティーラーズ】

30年前の今日、震度7の激震が神戸の街を襲いました。
地震発生時刻の午前5時46分、チーム公式YouTubeチャンネルとSNSでメッセージ動画を公開し、私たちの思いをお届けしています。

※リンク先は外部サイトの場合があります

今回、メッセージ動画の収録に臨んだ現役選手は神戸市出身の日和佐 篤選手をはじめとする6選手です。震災から30年。彼らの神戸に対する思い、特別な年である今シーズンにかける意気込みを紹介します。

コベルコ神戸スティーラーズは神戸の街とともにある

震災後、当時の選手が潰れた民家から人を助けたり、自警団をつくって街を守ったりしていて、チームは街の方々とともに復興を遂げたと聞いています。そういう過去があるからこそ神戸スティーラーズは、地域とのつながりがとても深いですし、街の一部になっているのだと思います。
だからこそ、30年という節目のシーズンに優勝し、街を盛り上げたいという思いが強くて。まずは特別な試合である1月19日に行われる第5節浦安D-Rocks戦でしっかり勝利し、神戸スティーラーズは神戸と共にあることをあらためて発信したい。
それに、スポーツには見ている人たちを笑顔にする力があると思います。
神戸の街の方々や、各地でさまざまな災害で被災され、辛い思いをしている方々にもラグビーを通じて元気や勇気を与えたい。
ただ勝つだけではなく、見ていて面白いと思ってもらえる試合をして勝利したいと思います。

山下 裕史

1986年1月1日生まれ。大阪府四條畷市出身。震災発生当時は9歳だった山下 裕史 【コベルコ神戸スティーラーズ】

「復興の象徴」から「飛躍の象徴」へ 

当時、僕は小学1年生でした。神戸市北区に住んでいて、二段ベッドの上段で寝ていたら、突然ガーッと揺れて…。父が冗談でベッドを揺らしているのかと思ったら、違って…。それが阪神・淡路大震災でした。
幸い北区はそれほど大きな被害はなかったのですが、当時所属していた兵庫県ラグビースクールの友達が六甲アイランドに住んでいて液状化で大変なことになっていると言っていて。その後、ラグビースクールの練習で灘浜グラウンド(現コベルコ神戸スティーラーズラグビーグラウンド)へ行く機会があったのですが、グラウンドに瓦礫が山積みになっていたことをよく覚えています。
チームの前身である神戸製鋼ラグビー部は、僕にとって特別な存在ですし、子どもの頃からよく試合を見ていて奮い立つものを感じました。
そんなチームで今、プレーできていることを誇りに思います。
震災から30年が経ちました。
これまでチームは「復興の象徴」だったと思います。けど、これからは「飛躍の象徴」になっていきたい。そのきっかけとして、今シーズン、節目の年にリーグワン初優勝をして大きく羽ばたきたいですし、僕自身も溌剌としたプレーを神戸の皆様に見せて、元気を与えられる存在になりたいと思います。

日和佐 篤

1987年5月22日生まれ。兵庫県神戸市出身。震災発生当時7歳だった日和佐 篤選手 【コベルコ神戸スティーラーズ】

節目のシーズンに優勝し神戸の街を盛り上げる

チームは震災当時、グラウンドが液状化現象で使えなくなるなど大きな被害を受けました。
それを乗り越えて、今のコベルコ神戸スティーラーズがあります。
震災はチームの歴史のひとつです。神戸を代表するチームとして震災を伝え続けることは僕たちの役割。
チームには震災を経験していない若い選手が増えてきていますが、チームの歴史を理解し、伝えていかないといけないと思います。
そして、今シーズンは震災から30年という節目のシーズンです。
街の方々から求められているのは、強い神戸スティーラーズの復活。
チームは2018-2019シーズンに優勝して以来、頂点から遠ざかっていますので、節目のシーズンに優勝し、神戸の街を盛り上げたい。
神戸の代表として、街の方々の思いを背負って戦っていきます。

山中 亮平

1988年6月22日生まれ。大阪府大阪市出身。震災発生当時6歳だった山中 亮平選手 【コベルコ神戸スティーラーズ】

震災から30年を経て、V7を超えるチームをつくっていく

震災が発生した当時、京都に住んでいたのですが、すごく揺れたことを幼いながらによく覚えています。ただ、京都は比較的被害が少なかったこともあり、阪神・淡路大震災のことはどこか遠いところの出来事のようで…。
神戸を拠点に活動している神戸製鋼コベルコスティーラーズ(当時)に入団し、震災のことを学び、震災が街や神戸製鋼所、チームに何をもたらしたのかを深く考えるようになりました。
震災を経験したチームの選手として歴史や背景を知った上で次の世代に伝え続けないといけないと感じています。
そのためにも毎年1月17日に公開するメッセージ動画は意味のあるものだと考えます。メッセージ動画を通じて、震災のことを伝え、見ている方々に笑顔になってもらいたいと思います。
神戸スティーラーズの前身である神戸製鋼ラグビー部は、震災の2日前に日本選手権V7を達成しました。
あれから30年経った今、V7を超えるようなチームをつくっていきたい。
今シーズンがそのスタートの年になるように、僕自身もトライを量産し、チームの優勝に貢献できるよう頑張ります。

山下 楽平

1992年1月30日生まれ。京都府宇治市出身。震災発生当時2歳だった山下 楽平選手 【コベルコ神戸スティーラーズ】

これからも神戸スティーラーズだからこそできる地域への貢献を

芦屋市で被災しましたが、当時僕は1歳だったので、震災の記憶はありません。ただ、地元の小学校、中学校に通う中で、家族を亡くしたり、家が倒壊したりするなど、大きな被害にあった同級生に出会いましたし、街がどのように復興してきたかは今でも心に刻まれています。その後、高校大学も、兵庫県西宮市にある関西学院に進み、卒業後は神戸製鋼コベルコスティーラーズ(当時)に入団しました。
僕自身、地域に貢献したいという気持ちが誰よりも強いです。
震災から30年という月日が経ち、街だけを見たら、綺麗になり復興したように思えますが、まだまだ苦しんでいる方々もいます。
震災を風化させることなく、兵庫県や神戸市をホストエリアとするチームとして、また震災を経験したチームとして、震災の経験を伝えていくことが僕たちの役割だと思います。これはほかのチームはできないことです。
そして僕自身は兵庫県出身の選手として、これからも、みんなに元気や勇気を与えられるようなプレーをして、地元の方々に恩返しがしたいと思います。

徳田 健太

1993年10月7日生まれ。兵庫県芦屋市出身。震災発生当時1歳だった徳田 健太選手 【コベルコ神戸スティーラーズ】

僕らが何不自由なく活動ができるのは、当時の街の人やOBのお陰

震災から3ヶ月後に愛知県で生まれました。阪神・淡路大震災のことはほとんど知識がなかったのですが、神戸製鋼コベルコスティーラーズ(当時)に入団し、チームが震災からどうやって復興を遂げたのか学ぶ機会があり、震災により、街も会社もチームも大きなダメージを受けたことを知り、信じられない気持ちになりました。
今、僕らが何不自由なくラグビーができるのは、当時の街の方々やOBが復興に向けて頑張ってくださったから。
僕らは震災のこと、復興を遂げたことを後輩たちにつなげないといけません。
今シーズンは震災から30年という節目を迎えるシーズンです。
神戸をホストエリアとして活動するチームとして、震災を経験したチームとして、優勝して街や会社を盛り上げたいという思いが強いです。
試合に出て、グラウンドを走り回って、優勝に貢献できるよう頑張りますので応援よろしくお願いします!

井関 信介

1995年4月24日生まれ。愛知県春日井市出身。震災の年に生まれた井関 信介選手 【コベルコ神戸スティーラーズ】

「メッセージ動画を通じて阪神・淡路大震災を経験していない世代に震災を知ってもらいたい、震災などで辛い思いをしている方々に笑顔を届けたいと、30年を機にますます思うようになりましたね」
チーム最年長の山下 裕史選手はメッセージ動画の収録に臨み、思いを新たにしたとも語っていました。これからもコベルコ神戸スティーラーズは、震災を忘れずに、次世代へ継承していきます


取材・文/山本 暁子(チームライター)

昨年の1月17日はクラブハウスにキャンドルで「1.17」をかたどり、追悼の祈りを捧げました。今年は1月16日、17日に神戸市中央区の東遊園地にて行われる「阪神淡路大震災1.17のつどい」にボランティアとして参加させていただいております。 【コベルコ神戸スティーラーズ】

<NTTジャパンラグビーリーグワン2024-25 第5節>
神戸新聞DAY
1月19日(日) VS浦安D-Rocks
12:05キックオフ @ノエビアスタジアム神戸
この試合では、「1.17メモリアルジャージ〜阪神・淡路大震災30年〜」を着用して試合に臨みます。なお、選手が着用した1.17メモリアルジャージはチャリティーオークションに出品します。

【コベルコ神戸スティーラーズ】

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著者プロフィール

兵庫県と神戸市をホストエリアとして、日本最高峰リーグ「NTTジャパンラグビー リーグワン」に参戦しているラグビーチーム「コベルコ神戸スティーラーズ」。チームビジョンは『SMILE TOGETHER 笑顔あふれる未来をともに』、チームミッションは『クリエイティブラグビーで、心に炎を。』。 ホストエリア・神戸市とは2021年より事業連携協定を締結。地元に根差した活動で、神戸から日本そして世界へ、笑顔の輪を広げていくべく、スポーツ教室、学校訪問事業、医療従事者への支援など、地域活性化へ向けた様々な取り組みを実施。また、ピッチの上では、どんな逆境にも不屈の精神で挑み続け、強くしなやかで自由なクリエイティブラグビーでファンを魅了することを志し、スタジアムから神戸市全体へ波及する、大きな感動を創りだす。 1928年創部。全国社会人大会 優勝9回、日本選手権 優勝10回、トップリーグ 優勝2回を誇る日本ラグビー界を代表するチーム。

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