「俺がL・I・Jに入った理由は内藤さんとやるため。これが最初で最後のシングルマッチにしたい」1.4東京ドーム“夢の師弟対決”目前!高橋ヒロムにロングインタビューを敢行!!

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【新日本プロレスリング株式会社】

1万字越えの激語り!! 2025年1月4日(土)『JR東海 推し旅 Presents WRESTLE KINGDOM 19 in 東京ドーム』で、内藤哲也とスペシャルシングルで対戦する高橋ヒロムにロングインタビューを敢行!

撮影/中原義史

■『JR東海 推し旅 Presents WRESTLE KINGDOM 19 in 東京ドーム』
2025年1月4日(土) 14:45開場 17:00試合開始 ※第0試合は16:00開始
東京・東京ドーム
※「ロイヤルシート」「アリーナA」「バルコニースタンド」「逸材シート」「ソファーシート」「ファミリーシート」は完売、「アリーナB」は残りわずか

※リンク先は外部サイトの場合があります

■『JR東海 推し旅 Presents WRESTLE DYNASTY』
2025年1月5日(日)11:00開場 13:00試合開始 ※第0試合は12:00開始
東京・東京ドーム
★チケット情報 ★対戦カード情報
※「ロイヤルシート」「バルコニースタンド」「ソファーシート」「ファミリーシート」は完売、「アリーナA」は残りわずか

※リンク先は外部サイトの場合があります

■ただただカッコイイ、凄いって思っている選手から「俺で良かったらプロレス教えるよ」なんて言葉が出るとは思わなかったです。

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――さて、ヒロム選手、1.4東京ドーム『WRESTLE KINGDOM 19』にて師匠である内藤哲也選手とのスペシャルシングルマッチが決まりました。あらためて、お二人の関係性についてお聞かせいただけますか?

ヒロム 関係性ですか……自分がまだヤングライオンと呼ばれる前、練習生の頃でデビュー前ですね。2010年3月、尼崎のベイコム総合体育館だったと思うんですけど、そのリング上で練習していた姿を見て、内藤さんが「ダメだな、この子はクビになる。絶対に辞めさせられるだろう」と思ったらしく……。

その巡業が終わって帰ってきて、道場2階の自分の部屋を出て廊下を歩いているときに内藤さんとすれ違ったんです。そのときに「この前の練習見ていたけど、ちょっと他の子たちについていけてなかったから、俺で良かったらプロレス教えるよ」と。そう言ってもらえたのが内藤さんとの始まりですね。そこから二人の関係は始まりました。まあ、いわゆる“師匠と弟子”の関係が始まった瞬間でしたね。

――内藤選手から声をかけられた瞬間はどのような気持ちだったんですか?

ヒロム そのときの内藤さんは(高橋)裕二郎さんとのタッグ、NO LIMITをやっていたときです。海外遠征から凱旋して、道場に帰って来ていたんです。道場に二人の姿があったときに「うわぁ凄いな! コレが海外遠征終わりの姿なんだ!」って。凄く自信に満ち溢れている顔だったんですよ。二人ともなんか大きく見えました。正直、まだデビューもしていない、ヤングライオンとも呼ばれていない、同じ位置にももちろん立ってないような人間だったので……ただただカッコイイ、凄いって思っている選手から「俺で良かったらプロレス教えるよ」なんて言葉が出るとは思わなかったです。

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まず、俺のことなんて見てすら……名前すら知っていないと思ったので……。それを言われたときは「内藤さんがなんで俺に教えてくれるの?」って疑問が最初だったかもしれないですね。でもそんなふうに言ってくださったので、コレは自分にとってチャンスだと。一瞬いろいろと考えましたけど、こんなチャンス、そしてこんなありがたいことがあるなんて……って思ったので、「是非よろしくお願いします!」って、そのとき即答したと思います。

――そんなキッカケだったんですね。実際に教えてもらっていた期間はどれくらいですか?

ヒロム そこからデビューする8月24日までの5ヵ月間ぐらいですかね。その間、本当に毎日、道場に来ていただいて。あの当時から今もですけど、内藤さんって夜型で、普段昼間は道場に来ていなかったんです。道場の練習って朝10時から始まって14時くらいに終わるんですが、そこから内藤さんが来て練習が始まる。そんな感じでやっていましたね。

――もともと深夜に道場に来て練習していた人が、ヒロム選手のために14時に来てくれたんですか!?

ヒロム たぶんそうだと思いますよ。内藤さんは道場に来てもウエイトトレーニングとか自分の練習はしていなかったんです。もしかしたらそれが終わって深夜にまた道場へ来ていたのか、どこか別のジムへ行っていたのかわからないですけど……。たまに一緒にウエイトやったりしましたが、基本的には合同練習が終わった後に1~2時間ずっと内藤さんとプロレスの練習をする感じでした。

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それで、内藤さんが練習風景を動画に撮るんですよ。どんな受け身を取って、どんなドロップキックを撃って、どんなロープワークをしているとか。いろんな人から教えてもらっていましたけど、たしかに自分の練習している姿を見たことはなかったです。

それを内藤さんと見ながら振り返るって教え方でした。それは凄く自分の為にもなりましたし、今でも自分で練習風景を動画に撮るようになりましたね。例えば、技の練習をしていて、ここはもっとこうしたら良いとかって。そういう練習をあれからするようになったかもしれないです。

――その当時の動画はまだ残っていたりしますか?

ヒロム 当時はもうスマホだったかな? 内藤さんのスマホで撮っていたので残っていればですけど……。あれ以来「あの動画ってまだありますか?」って話をしたことがないので、もしあったとしても内藤さんの2、3個前のスマホなんじゃないですか?

――でも凄いですよね、内藤選手のスマホに“高橋ヒロムのフォルダ”があったわけですから。

ヒロム あったのかな……それとも毎回消していたかもしれないですし。「容量食うなあ」って(笑)。内藤さんがあの当時「コレは俺の練習でもある」と言っていました。アメリカ、メキシコ遠征の後だったので、内藤さん自身も自信に満ち溢れていました。それはもちろん顔からも出ていたんですけど、それを「誰かに教えたいな」みたいなことを言っていたのを聞いていたんですよ。

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――なるほど。そこからもう15年くらいの長い歴史がお二人にはあるんですね。

ヒロム 自分が若手の頃、一番苦労したことは道場に来る選手、来る選手が“全員プロレスの先生”みたいな感じだったんです。プロレスラーって個人個人でいろんなスタイル、いろんな受け身の取り方があるので“プロレスの受け身はコレが正解です”ってものがないんです。やっぱり個人個人違う受け身の取り方や、プロレスへの想いとか、教え方も違います。だから、道場に来る選手、来る選手に教わっていたので、どれを信じたら良いのかわからなかったんですよ。

最終的に自分が出した答えとしては……今日はこの選手がいるから、この選手に教えてもらったやり方。今日はあの選手がいるから、あの選手に教えてもらったやり方。この選手とあの選手ではこの選手の方が先輩だからこっちを優先しようとか……。そういうやり方になっちゃったんです(苦笑)。そして「プロレスっていったい何なんだろう?」「誰が正解を言っているんだ?」っていうふうに、わからなくなっちゃって……。

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そんなときに、内藤さんが「俺で良かったらプロレス教えるよ」って言ってくれたので、凄く助かったんですよね。それで、内藤さんに「今いろんな選手からこういうふうに教えてもらっているんですけど、どうしたらいいですか?」って聞いたら、「今、内藤さんに教わっていて、内藤さんにも俺の言うことだけを聞けと言われているので」って言えばいいよって。当時、それがカッコよかったですね。その一言を聞いて凄く安心しました。内藤さんの言うことを聞いてればいいんだって。

――そんな苦労があったときに心強いアドバイスですね。

ヒロム そんな内藤さんも「俺が言ったことで、もし違うなと思うことがあったら遠慮なく言っていい。受け身とかロープワークとか技とか、プロレスに何一つ正解はないから、自分のやりたいようにやればいい。ただ、俺はデビューするまでしか教えない。デビュー後は自己プロデュースで、そこから先俺は関係ないから。どんなプロレスをしようが俺は関係ない。俺はデビューまでを教えてあげるよ、君に」みたいな感じで言われたんです。それは今でも覚えていますし、凄く良い言葉でした。

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――今となっては、内藤選手が「高橋ヒロムは俺が育てた」「彼がこんな立派なレスラーになったのは俺のおかげだ」と発言していますね。

ヒロム 俺がここまで行くことによって、内藤さんの自信にも繋がったんじゃないですかね。俺があのとき、教えたいと思った選手、アメリカやメキシコで経験してきたものを伝えたいと思った選手。そしてそれを伝えた選手がここまで大きくなって、ここまでの自信をつけた。それは内藤さんの自信なんじゃないかと思います。そうやって内藤さんは自身のことも奮い立たせているんじゃないかな。内藤さんの自慢の一つなんじゃないですか、高橋ヒロム自体が。ただ、デビュー前までしか教えてくれていないですけどね!(キッパリ)。そこから先は自己プロデュースなので。

――関係性を深めていく中で、内藤選手のどんなところが好きになりましたか?

ヒロム あの当時、プロでも何でもないド素人の練習生の分際ですよ。その人間が「内藤さん、コレはこうじゃないですかね?」みたいな。「もし違うなと思うことがあったら遠慮なく言っていい」ってそれを真に受けた19歳の高橋ヒロムが、海外遠征から帰ってきたスターに口答えをするわけです。それでも内藤さんは「そうだね、じゃあそれでやってみようか」と怒らず親身になって話を聞いてくれました。それが今となってわかる内藤さんの凄さだなと思います。

あんなの普通はぶっ飛ばされますよ、他の先輩に言ったら(笑)。でも内藤さんは「遠慮なく言っていい」って言ってたし……そこじゃないですかね、内藤さんの心の大きさというか。遠慮なく言える先輩なんていないと思いますよ。

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――なるほど。『WORLD TAG LEAGUE』のシリーズ中、バックステージコメントを見てもヒロム選手の愛よりも、内藤選手の愛のほうが上回っている感じがしました。

ヒロム そうなんですよね、俺も感じていますよ。内藤さん俺のこと好きなんじゃないかな? たぶん、スゲー好きな後輩なんだろうなって感じますね。だって、あそこまで口答えというか先輩に対してテキトーな感じなのに、それをヘラヘラ笑って返してくれる。なかなかないことだと思いますよ。すべてに乗っかってくれるじゃないですか。内藤さんの中では、おもしろければ何でもいいって感じなんですよ。それを含めて人の自己プロデュースにもついて来て、一緒になってやってくれる。付き合いがいいんじゃないですかね。

■今回こうやって二人で『WORLD TAG LEAGUE』に出て、二人で優勝して。おたがいチャンピオンではないですけど、同じ王者としての位置になったっていうのは、内藤さんの中でもここがタイミングだったのかな……。

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――ところで、『WORLD TAG LEAGUE』優勝直後のマイクで内藤選手から1.4東京ドームで闘おうと話があったとき、ヒロム選手は第一声で「内藤さん、一歩踏み出すのが遅すぎますよ」とおっしゃいました。やはり本当はもっと早く一騎打ちしたいと思っていたんですか?

ヒロム もちろんそうですね。とくに2023年、俺は1年間待ち続けましたからね。いろいろなところで内藤さんの名前を出してきましたし。あのとき、中止になってしまいましたが、どちらもチャンピオンで対決というあのシチュエーションを、この4年間ずっと求めてきたんですよね、おたがいが。

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(※編集註:当時、内藤がIWGPヘビー&IWGPインターコンチネンタル、ヒロムがIWGPジュニアヘビーを保持しており、2020年3月3日『旗揚げ記念日』大田区総合体育館大会にて“IWGPチャンピオン対決”としてスペシャルシングルマッチを行なう予定だったが、コロナ禍で大会自体が中止になった)

それで2023年、俺は1年間IWGPジュニアのチャンピオンでいたときに、やりたいなと。ここでやらないと、おたがいどちらかがダメになってしまってからやっても遅いと去年から思っていたわけです。それで俺は2024年の初めにベルトを落としてしまって……「やっぱり俺と内藤さんって本当にやるチャンスねえなぁ」って思ってたところで、今回こうやって二人で『WORLD TAG LEAGUE』に出て、二人で優勝して。おたがいチャンピオンではないですけど、同じ王者としての位置になったっていうのは、内藤さんの中でもここがタイミングだったのかな……。

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もう今やらないと、やれないなって思ったんじゃないですかね? 俺も内藤さんの目の状態を知っていましたし。だからそれをカバーできるよう最大限この『WORLD TAG LEAGUE』でもジュニアながらヘルプをしてきたつもりです。そんな中で掴んだ二人の優勝だったので、内藤さんの中でも「今だ!」ってなったんだと思います。

――あの12.8熊本大会でのマイクで「人生をおもいっきり楽しんでくれ!」というフレーズであったり、いつにも増してヒロム選手の想いが乗っかっていたような気がします。

ヒロム 楽しんでない人が多い気がしたんですよ、単純に。やっぱり今はSNSの時代じゃないですか。あんまりSNS、SNSってなっちゃうのが俺は好きではないので。でも、今ってやらないといけない武器というか、持っていないといけない武器であるから仕方なく……って俺はいつも思っているんですよ。

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そういった中で、プロレスに限らずいろんな人の文章だったり、芸能人の文章だったり、いろいろと目に入るわけじゃないですか。いろんな言葉が入ってくる中で「何でもっと自分から楽しもうとしていないんだろう?」って。自分から楽しもうと思わなかったら何も楽しめないんじゃないかな。とくに、自分たちの世界はスポーツであり、格闘技であり、エンターテインメントの世界です。お客さんからお金を取っている時点で俺はエンターテインメントだと思っていて、そのエンターテインメントを「何でおもいっきり楽しもうと思わないんだろう?」って。

ちょっとした文句が出ることすら俺はあり得ないと思うんです。俺がファンだったときなんて、ひとつも文句なかったですからね。それを人の見えるところに発信しようなんて俺は思ったことがなかった。俺がファンだったあの当時にSNSがあったとしても、俺はたぶん楽しいことしか発信していなかったでしょうね。なので、何でもっとみんな自分から楽しもうとしないんだろう……お金を払っているならなおさら。

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その文句を言うことによって楽しむ人もいるのかもしれないですけど、「つまんない時代だなぁ」って思ってしまって……“まずは自分が幸せになることからみんな考えたほうがいいよ”って俺は思っちゃったんですよ。俺は自分が第一に幸せになれるように自分から楽しむ。俺自身が楽しまなかったらそれはお客さんに絶対に伝わらないと思っているし。だから俺が楽しんで、楽しんで、楽しんでやろうと。

どんな嫌なことがあっても、どんなにツラいことがあっても、人前では楽しむ姿を見せようと思ったんですよ。だから、あのマイクに繋がったんじゃないですかね? あまり何も考えてないでしゃべったので……ただあのとき思ったことをどう短くまとめようかなと一瞬で頭の中で考えたことをバーッとしゃべっただけなんです。やっぱり、楽しんでほしいんですよ、1人残らず。

――なるほど。そんな想いが込められていたんですね。

ヒロム そうです。お金払っているんですよ。お金払って観に来ていて、文句ばっかり言ってもおもしろくないですよ。楽しもうとしないと。今、俺はそれで凄く楽しい人生だから。同じように楽しみたいんですよ、みんなで。

■俺は本隊、CHAOS、他のユニットに入って内藤さんとシングルマッチなり、タッグマッチなりでそんな簡単にやりたくはなかったんです。

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――話を戻しまして、2020年の3月3日の大田区大会で内藤選手とのIWGP王者対決が予定されていました。あのときは“本当にここしかない”みたいな機運も高まっていたように思えます。

ヒロム じつは俺と内藤さんってちょっと似ているんですよ。試合前になると「嫌だなぁ」と。すごく「うわぁ……試合か……嫌だなぁ、怖いなぁ……もう早く終わりたい」ってなるタイプなんです。今だから言えるんですけど……あのカードが決まったのは2020年2月9日の大阪城ホール大会。メインを締めた内藤さんからリング上に呼ばれて決まったんですけど、その数日後、内藤さんと会ったときに「嫌だね……」って(笑)。

あの場ではテンションが上がっていて、二人とも今しかないって思っていました。でも、アドレナリンがすべて抜けた後にあらためて考えて「やるのが嫌だよね……怖いよね……」みたいな話をしていたんです。毎回試合前に恒例で言うことで「嫌だなぁ……早く終わらないかなぁ……」みたいな感じで(笑)。そんな話をしていました。それで本当になくなってしまって、なくなったらなくなったで、今度は「このタイミングだったよね」というわけですよ(苦笑)。

――そんな心境だったんですね(笑)。それが満を持して今回実現しますね。

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ヒロム 俺がLOS INGOBERNABLES de JAPONに入った理由って内藤さんとやるためなんですよ。基本的に新日本プロレスってユニット同士の対決をしないじゃないですか。だから俺は本隊、CHAOS、他のユニットに入って内藤さんとシングルマッチなり、タッグマッチなりでそんな簡単にやりたくはなかったんです。軽い場所や内藤さんに縁があってみたいな雰囲気でやりたくはなかった。

高橋ヒロムという選手が出来上がって軌道に乗ったくらいで俺はやりたいと思っていました。L・I・Jに入った当時も「まあ来年、再来年くらいには内藤さんとやるかな……」と思っていたくらい、ここまで大きな物語になる目標ではなかったんです。海外遠征から帰って来てすぐにチャンピオンになって軌道に乗ると思っていたし、実際に2017年の1.4東京ドームでKUSHIDA選手とのタイトルマッチに勝って一発でベルト獲っています。

そのあとも防衛戦を重ねて、自分の中では軌道に乗ったと思っていたんです。それで2018年には出来るだろう……と。そしたら今度はなかなかそういったチャンスが出てこない。ここまで内藤さんとやることが大きくなるのを予想出来ていなかったので、いざ2020年、ついにやるって決まったときに「ああ、このタイミングだ。このタイミングがベストだ!」と思ったらそれが中止になってしまい……そして今回に至る。

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――なるほど。タイミングが合わず実現までに時間がかかりましたね。

ヒロム 俺が内藤さんとやりたいと思ってL・I・Jに入ってから8年以上が経ったわけです。自分の中でもL・I・Jに入った理由が内藤さんとやるためだけだったので、自分でもわからないですよ。2025年1月4日、内藤哲也 vs 高橋ヒロムが終わった後、俺はどうなっているんだろう……って。内藤さんとグータッチするのかな……勝っても負けても俺はL・I・Jに残るのかな……って、いろいろと余計なことを考えてしまう。

だから俺は今、「内藤さんとやり終わったらどうなってしまうんだろう?」「高橋ヒロムは何をする? どういう行動をとる?」 とかってことを一切考えないようにしよう……。それが、内藤哲也とやるにあたっての正解なんだとここ数日で気が付きましたね。考えないほうがいいなってことを。

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ただ1つ……これは新日本プロレスに対しても言いたいのは……内藤哲也vs高橋ヒロムのシングルマッチは俺の勝手なワガママですけど、これで“最初で最後に”してもらいたい。たとえ俺が勝とうが負けようが、このシングルマッチはこれで終わりにしたい。内藤哲也という男をシングルマッチで越えたとしても、越えられなかったとしても、これで最後にしたい。最初で最後のシングルマッチにしたいなって想いがありますね。

それだけ自分は内藤さんに対する想いが強いです。いわゆるライバル関係とかの人間とは何度もやりあって、何度も闘っていろんなストーリーが生まれますけど、俺と内藤さんのシングルマッチは“これで完結にしたい”って想いがあります。内藤さんがどう思っているかわからないですけど、現時点で俺の中ではこれが最初で最後のシングルマッチです。

■覚悟を持って手術をした内藤さんを相手に、手を抜くなんていうことは出来ないです。俺はとことん最強の内藤哲也を潰しにいこうと決心がつきました。

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――他のインタビューで「内藤哲也と闘う目標を達成したら、この先何が待っているんだろうっていう楽しみと怖さがある」とおっしゃっていましたね。もしかしたら、ファンの方々もこのカードを見たときに“終わり”が始まってしまうような気持ちなっているかもしれません。

ヒロム ひとつ言えるのは、“終わりが始まる”じゃなくて“これで終わる”なんですよ。俺の中では終わるんです。高橋ヒロムと内藤哲也のシングルマッチの物語がこれで終わっちゃうんです。ここから始まることがあるなら、それはまたおもしろくなります。でも現時点では終わるものしかない。ここから始まるものはないなと俺は思っていますね。

――ヒロム選手だからこそ、“翌日からのヒロム選手”を期待してしまうところがあるのですが……

ヒロム どうなるんですかね……? いや、本当にわからないですよ。本当にここまで言っていても、試合後はグータッチをして、いつも通り何事もなかったかのように二人で試合をしているかもしれない。普通に組んでまた一緒に闘っているかもしれない。それはわからないです。ただ、俺がL・I・Jに入った理由が内藤さんとやることなので、その目標を達成してしまったらどんな気持ちになっているか俺にはわからないですね。だから、そういった意味でも楽しみでもあり、怖さもあります。ただ、内藤哲也vs高橋ヒロムという師弟対決、シングルマッチはこれで終わってしまうので。そこからの始まりはないっていうのは言えますね。

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――そういう想いがあって実現するんですね。一方の内藤選手は、高橋ヒロム戦が決まったから目の手術をもう1度すると決断したそうです。

ヒロム 内藤さんの目が良くないのはもちろん『WORLD TAG LEAGUE』前からずっと聞いていました。会う度に「内藤さん今日は目大丈夫ですか?」って話もするくらい悪いのは知っていましたし、内藤さんの目が日に日に悪くなっていくのも感じていました。そんな中で「良いほうの目を悪いほうの目に合わせる」って。

お医者さんでもなんでもないし、わからないし……、それだけを聞くとやめたほうがいいし、ギャンブルみたいなことに自分は聞こえてしまって。それで良くなるってのが想像できないし、「内藤さんも自分の人生大事にしたほうがいいですよ」みたいな話もしたんですよ。それでも内藤さんは「覚悟は決めているから」という話をされました。内藤さんの人生なので俺が何か言うことではないし……ただ、内藤さんも頑固なんでね(苦笑)。

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それで内藤さんは「万全の状態でドームに立ちたいから」と。もうそこまで言うんだったら俺は止めること出来ないですし、だったらそれだけの覚悟を持って手術をした内藤さんを相手に、手を抜くなんていうことは出来ないです。俺はとことん最強の内藤哲也を潰しにいこうと決心がつきました。いいんですよね、内藤さんのこと越えちゃって? 内藤さんのこと越えちゃいますよ。

――内藤選手がそこまでしてくるのは、なぜだと思いますか?

ヒロム それだけこの試合に懸けているんじゃないですかね。それだけこの試合のために内藤さんがしてきてくれたと、俺はそう受け止めましたね。内藤さんに15年前に初めて会って、内藤さんにプロレス教えてもらって……なかなか15年も自然と生まれて出来上がったストーリーって存在しないと思うんです。俺にとって新日本プロレスが出せる究極のカードだと思っています。内藤さんも同じことを思っての決意なんじゃないですかね。

■4年前はまだ上がいて、ちょっと追っている自分がいたけど、もう今は圧倒的なトップである自覚と、やってきたことへの自信があるんですよね。

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――本当にこういう状況の今だからこそ出来るお二人の闘いなのかと感じるのですが、この闘いを見せることで何をお客さんに伝えたいですか?

ヒロム それは難しいですね……。俺自身がそれをわかっていないですし、そこが俺自身の楽しみな部分でもあります。この試合がどんな試合になるかも想像が出来ないんですよ。まず、内藤さんの目の状態がどうなっているかもわからないし……。これは当日、試合をして終えてみないと出せない。簡単に言えるような答えじゃないかもしれないですね。

――もし2020年に内藤哲也戦が実現していたら目に見えるカタチでのトップ同士の対決だった思うのですが、今回は存在感という意味でトップになった印象があります。あれから4年間で自分たちの成長を感じたりしますか?

ヒロム 4年前も、今も、俺と内藤さんはトップでしたよ。ただ、俺の中でトップの位置の気持ちが変わったんです。4年前はまだ上がいて、ちょっと追っている自分がいたけど、もう今は圧倒的なトップである自覚と、やってきたことへの自信があるんですよね。4年前とはその自信の違いがあるのかな……。あとはお客さんが感じ取ってくれることでいいのかな……。わざわざ自分から言うことではないと思います。

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――ところで今回の1.4東京ドーム大会ですが、メインイベントに海野翔太選手が出場したり、辻選手とフィンレー選手のIWGP GLOBAL戦であったり、わりと若い世代が台頭してきてラインアップされている印象があります。いわゆる新世代と呼ばれる選手たちや、他のカードは意識されていますか?

ヒロム まあ新世代が活躍しないと未来はないですからね。その新世代が上に出てきているっていうのは凄く良いことなんじゃないかなと思います。なんか不思議なのは、8年前のL・I・Jに入ったときの自分のことを思い出してしまうんですよね。俺もこういう立場になって、もうすっかり上になったと。あのときは上を追いかけていましたから。そしてもちろん、試合順に文句言ったりだとか……俺がずっとやり続けてきたことですからね。

今回もスペシャルシングルマッチがセミファイナル……俺が他の選手だったら言いますね。実際に去年のオカダ・カズチカvsブライアン・ダニエルソンもスペシャルシングルマッチでセミファイナルでしたし。もちろん俺は言いましたね(笑)。

――たしかに(笑)。

【新日本プロレスリング株式会社】

ヒロム でも俺の中での答えが、さんざん新日本プロレスに試合順だのなんだの、ジュニアはもっと上に上げろだの言い続けてきた結果、俺はジュニアを上に上げられたと思っていますし、ヘビー級と同等レベルに上げられたと思っています。俺だけはそれだけのことをやってきた自信があります。

その中でやっぱり、試合の順番にさんざん口を出してきました。その結果、ドームのセミファイナルでIWGPジュニア戦をやったこともあります。それでもIWGP世界ヘビーを越えることは出来なかった。でも、いつの日か越えたい。でも、選手が口を出してその言う通りにする新日本プロレスは違うなって、ある時期から思ったんですよ。

新日本が「いやぁ、ジュニア凄いな。高橋ヒロム凄いな」「ちょっと今回、IWGP世界ヘビー戦じゃなくてIWGPジュニア戦だな」と思わせたうえで東京ドームのメインイベントに立ちたいって、俺は去年言ったんですよ。それが一番気持ちいい上がりかただなと。選手発信ではなく、ファンの人発信でもなく、新日本プロレスの上の一部ですよ。上の一部の数人を“IWGP世界ヘビーを越えた”と言わせたうえで、IWGPジュニア戦をドームのメインイベントにするっていう新しい夢が俺には出来たので……。だからスペシャルシングルマッチがセミファイナルなことに対して言ってきてくれ。言ってきたほうがいい、もっと言ったほうがいい。そのうえで自分なりに答えを見つけてくれって思います。

【新日本プロレスリング株式会社】

俺もついに上の目線になったんだなっていうふうに、今いろいろと考えていますね。感慨深いなあ……。“この目線”だからこそわかること、見えることってあるんだなと思いました。そういったすべてのモノを背負って引き受けたうえで、2025年1月5日の内藤哲也vs高橋ヒロム、セミファイナルをキッチリと盛り上げたいなと思っています。いやあ、俺も丸くなったなぁ……尖らなくなったなぁ……。でも、これでいいのかなと思っています。

――それでは最後の質問です。わりと内藤選手は他の選手のコメントをチェックしているタイプですし、きっとこのインタビューも目を通しているはずです。そんな内藤選手にあらためてメッセージはありますか?
ヒロム 内藤さんに今さらですか(笑)。まあ当たり前のように見ていますからね。たぶんコレをニヤニヤしながら見ているでしょう、間違いなく。そして俺のことをもっと褒めてくれって思っているはず。でも、俺も照れ臭いんですよ、内藤さんに。そんな……「あのときはありがとうございました」なんて言うのも照れ臭いんですよ。だから、あのとき内藤さんが一歩踏み出したように、俺も一歩踏み出して内藤さんに(12.8熊本大会の)リング上で「ありがとうございました」と言ったので……それが内藤さんに対するメッセージです。(了)
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著者プロフィール

1972年3月6日に創業者のアントニオ猪木が旗揚げ。「キング・オブ・スポーツ」を旗頭にストロングスタイルを掲げ、1980年代-1990年代と一大ブームを巻き起こして、数多くの名選手を輩出した。2010年代以降は、棚橋弘至、中邑真輔、オカダ・カズチカらの台頭で再び隆盛を迎えて、現在は日本だけでなく海外からも多くのファンの支持を集めている。

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