【浦和レッズ】宇賀神友弥にとって忘れられないあの一戦…次はクラブスタッフとして"止まった時計の針"を動かす
【©URAWA REDS】
ぐるりと見渡せば、浦和レッズが獲得した国内外の主要タイトルは「10」。栄光のカップを掲げる記念写真をのぞくと、2024シーズン限りで15年のプロキャリアに終止符を打った宇賀神友弥の笑顔も多く収まっている。16年のYBCルヴァンカップ、17年のAFCチャンピオンズリーグ、18年と21年の天皇杯。いずれも優勝を決めた一戦のピッチに立ち、歓喜の瞬間に立ち会ってきた。
ただ、レッズで公式戦401試合に出場し、最も忘れられないのは大一番で勝ちきれなかったゲームだという。引退会見でも話した10年前の出来事は、胸の奥にずっと残っている。レッズの歴史が彩られたサポーターズカフェのソファーに腰を下ろすと、しみじみと昔を思い返す。
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「あのときは、すぐにでも次の試合が来てほしかった。マリノスにあんな勝ち方をして、舞台は整ったという状況でしたから」
気持ちは高ぶるばかり。それでも、次節のガンバ大阪戦まで3週間も待たなければいけなかった。プロ6年目を迎え、自身初めてのビッグチャンス。J1リーグ制覇が目の前に迫るなか、これまでに感じたことのない感情を覚えた。
「僕自身、重圧は感じていました。残留争い、カップ戦のファイナルとはまた違うものでした。しかも、ホームで優勝を決められるシチュエーションです。チケットは完売、スタジアムはほぼ満員になるのも分かっていましたので」
ミハイロ ペトロヴィッチ(ミシャ)元監督の標榜するサッカーは、リスクを承知で自陣からも縦パスを入れていくスタイル。特に守備陣は、自らのパスミスひとつで失点につながる可能性もある。プレッシャーがかかればかかるほど、勇気も試される。
「どこまで果敢に攻めるのか、そこのバランスも大事だと思いました。とはいえ、ミシャのスタイルを投げ出してしまうと、相手のペースになってしまいます。個人的にはいろいろ考える時間があり、難しかったです」
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「『自分がキャプテンなんだ』って。それくらいの覚悟を持って試合に臨んでいたし、言動も意識していましたね」
そして、迎えた決戦の11月22日。前泊していたホテルからスタジアムに向かうバスの車中、普段は緊張しないようにあえてサッカーのことを考えないようにしたが、この日だけは違った。ふとリーグ優勝を果たしたあとの光景を想像した。
「浦和の街はとんでもないことになるんだろうなって。すごい1日になるぞ、と」
幼少期から埼玉県戸田市で過ごし、レッズの影響力はひしひしと感じながら育ってきた。2006年のリーグ優勝した時代もよく知っている。流通経済大学を卒業後、浦和でプロになってからは、毎日のようにクラブハウスに飾られている優勝パレードの写真を見てきた。イメージすればするほど、興奮を覚えずにいられなかった。
「自分がその当事者になるかもしれない。チームの主力として、その結果をつかみ取るって、相当なことですよ。僕はジュニアユースからアカデミー組織で育ってきたので、余計に思いは強かったですね」
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「毎回、埼スタはすごいので。残り3試合ありましたが、絶対にホームで決めるんだって、あらためて思いました。ここで決めたら、最高だよな、と。チーム全員がそう思っていました」
試合開始の笛が鳴った瞬間からアクセル全開。前半14分には西川周作のフィードからチャンスが生まれる。味方が頭でつないだボールを受けた宇賀神はスピードに乗ったまま敵陣深くに進入し、アーリークロスで好機を演出。柏木陽介のシュートは枠を捉えられなかったが、攻めの姿勢を見て取れた。序盤からゲームを支配し、何度もゴールに迫る。
「前のめりで攻撃していましたが、なかなか点が入らなくて……。どんどん時間がなくなるなか、焦りが出てきました。終盤の時間帯になり、優勝のことだけを考えれば、最低限0-0でもいいという思いを抱く選手たちもいたのかな。ちょっとブレたかもしれません。そこが弱さ。チームがひとつになっていなかった。
それも優勝を逃した要因かもしれない。いま振り返っても、ゴールを取り切るべきだったと思っています。先の将来を考えても、もっと行くべきだった。あのプレッシャーを乗り越えて点を取っていれば、レッズの歴史は変わっていたかもしれません」
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「相手がすっと寄せてきたのでプレッシャーを感じて……。距離感まではっきりと覚えていますね。自分の得意な角度でしたし、絶対にこの場面で決めてやる、と強く思いすぎてしまったんです。
僕は気負いすぎるとダメになるタイプ。ワンテンポためると足を出されると思い、早めに足を振ってしまった。それでコースが甘くなり、東口順昭選手にセービングされたと思います。本来であれば、自信を持っている角度でした。もう悔しくて仕方なくて、ずっと忘れられないです」
1点のリードを奪われた89分にピッチを退くと、アディショナルタイムに追加点を奪われる仲間の姿を見ながら、ベンチで敗戦を告げるホイッスルを聞いた。1分でも1秒でもピッチに立っていたいのが、プロサッカー選手の性である。
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ここまで悔いが残っているのは、残り2試合で1勝もできずにシーズン終了してしまったこともある。32節の首位攻防戦に敗れてもなお順位表のトップに立っていたが、翌33節のサガン鳥栖戦で悲劇が起きる。
「1点をリードした状況で、僕は終盤(83分)に途中交代したんです。ベンチから眺めていた後半のアディショナルタイム。同点に追いつかれたときは、さすがに崩れ落ちました。『なんで、なんだよ!』と心の底から叫んだのを覚えています。なぜ、僕たちにこんなに試練を与えるんだろうと。
まだ可能性が残された最終節に向けて、『すでに降格の決まっているチームがガンバに勝てるわけがない』などと思うべきではなかった。結果を見れば、徳島ヴォルティス-ガンバ大阪のスコアは0-0。もしも僕らが最後に名古屋グランパスに勝っていれば、レッズの優勝でしたから。1ミリでも勝利を疑わずに信じている者が勝ち取れる世界。勝負は細部に宿っているんですよ」
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「自分にとっても、レッズにとっても、いま最も必要なのはJリーグのタイトル。2006年の優勝で、時計の針が止まっています。それを動かさないといけないとずっと思っていました。あのとき、自分の足でもそれを動かすことができたのに、動かせなかった。本当に悔しいですね。レッズは周りにビッグクラブと言われますけど、冷静になって考えてみてほしい。開幕から31年でリーグ優勝は1回だけですよ。これでは、本当の意味で世界に誇れるクラブにはなれませんよ」
ただ、このまま終わりではない。2024年限りでスパイクは脱ぐが、宇賀神のチャレンジはこれからも続いていく。来季以降はクラブスタッフとして、「ピッチの外から闘う」と宣言。まずは選手時代につかみ取れなかったシャーレの獲得に尽力する。
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(取材・文/杉園昌之)
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