ロッテ益田 今季はセーブ球団新記録を更新。来年はいよいよプロ通算250セーブへ。あと「7」。
千葉ロッテマリーンズ益田直也投手 【千葉ロッテマリーンズ提供】
ZOZOマリンスタジアムで行われた6月26日のイーグルス戦。3点リードの九回に登板をしたマリーンズの守護神 益田直也投手は三者凡退で締めると「オッシャー」と、幕張の夜空に向かって吠えた。この瞬間、今季10セーブ目を記録し6年連続二桁セーブに達し通算セーブ数を228とした。これはこれまで小林雅英氏が記録していた227セーブを抜き、球団新記録となったことを意味していた。
「小林雅英さんにはコーチの時に『俺の記録を抜いてから偉そうなことは言え』と言われてきた(笑)。そういう意味ではこの数字に到達して、嬉しいなあという思いはありますが、まだまだこれからだと思います。頑張ります」。試合後、ロッカーに戻った益田は大粒の汗を拭いながら、シミジミと語った。
記録を抜かれた事をニュースで知った小林雅英氏は「いつも、そうやってハッパをかけていたからね。なにかあるたびに『まずは俺の記録を抜いてからにしてくれ』と話をしていた。そういう意味では感慨深いものがあるよね。記録は抜かれるものだから。おめでとう言ってあげたい。ただ、セーブは自分だけで出来るものではない。リードをするシチュエーションを先発とそこれまで投げてくれた投手が必死に繋いで作ってくれて打線が打ってくれて、最後に首脳陣が自分を指名してくれてマウンドに向かって、そこで抑えて成り立つ。だから周りに感謝をして欲しい」と小林雅英氏。そして「まあ、オレは9年間でその数字になったけどね。益田は13年間かあ」と言って、大きく笑った。
益田はヒーローインタビューで「ここまで自分が成功した記憶より失敗した記憶の方がすごく頭に残っている」と口にした。抑えと言うポジションの過酷さを物語る言葉だった。試合を観戦している人やメディアは抑えて当たり前、打たれると悲劇としてクローズアップすることが多い。すべての人の想いと共にチームの勝利を背負って最後を投げる重圧は計り知れない。小林雅英氏も「現役時代、一年間は投げたすべての球を覚えていた。誰にどんな球を投げたか。カウントなどの状況。1球1球、覚えていた。打たれた球も抑えた球も。そして一年が終わったらリセットする。その繰り返しだった。でもやっぱりそれでも打たれた場面は覚えている」と振り返る。彼もまた思い出深いゲームとしてやはりセーブ失敗をした場面をあげた。数々のセーブと栄光をマリーンズの歴史と共に重ねてきた2人はお互い、笑顔の思い出より辛い経験の方を今も胸に残している。つくづくストッパーとは辛いポジションだ。
2人は15年からの4年間、コーチと選手の関係で一緒の時間を過ごした。その時の思い出を小林雅英氏は「丁寧に野球と向き合っていた。練習をよくしていた。ウェートとかはあまりしないけど、とにかく走っているイメージ。無事是名馬というけど、彼はまさにそんな感じで故障をしない。タフだった。身体のケアもしっかりとしていて、食事にも気を使っていたしトレーナーさんを雇ったりしていた。でも大前提として産んでくれた親に感謝をしないといけない」と振り返った。
抑えとして様々な心得をアドバイスした。セーブに失敗した時に足早に帰宅する姿に「打たれた時にすぐに帰るな。いつもと同じようにしておけばいい」と苦言を呈したこともある。勝っても負けても抑えても打たれても心を乱すことなく同じリズム、雰囲気を作りだすことが長いシーズンを戦う上で大事だということを伝えたかった。
そんな小林雅英氏から益田へと球団記録は更新された。次に待つ大記録は名球会入りとなる通算250セーブだ。小林雅英氏は益田には「名球会入りはやっぱり大きなステータス。そして次、俺の現役の年齢を超えて欲しいなあ。オレは37歳まで現役で38最からコーチだから。40歳を目指して欲しい。それを超えてからだったら俺の前でどんなに偉そうにしてもいいし、文句を受けつける!」と10月に35歳になったマリーンズの守護神にユーモアを交えたメッセージを届けた。
幕張の防波堤の異名をもった小林雅英氏の意思を受け継ぎ、誰よりもマリーンズを愛し、誰よりも勝利を追求する男はいよいよ名球会入りまであと「7」の高みにたどり着いた。「チームの勝ちのためなら腕がちぎれてもいいくらいの気持ちでしっかりと投げたい」と意気込む益田。まずはチームの勝利を優先。一つ一つセーブを重ねた先に節目の数字はあり、その先も見据える。2025年もマリーンズの最後を締めるのは背番号「52」だ。
文 千葉ロッテマリーンズ広報室 梶原紀章
「小林雅英さんにはコーチの時に『俺の記録を抜いてから偉そうなことは言え』と言われてきた(笑)。そういう意味ではこの数字に到達して、嬉しいなあという思いはありますが、まだまだこれからだと思います。頑張ります」。試合後、ロッカーに戻った益田は大粒の汗を拭いながら、シミジミと語った。
記録を抜かれた事をニュースで知った小林雅英氏は「いつも、そうやってハッパをかけていたからね。なにかあるたびに『まずは俺の記録を抜いてからにしてくれ』と話をしていた。そういう意味では感慨深いものがあるよね。記録は抜かれるものだから。おめでとう言ってあげたい。ただ、セーブは自分だけで出来るものではない。リードをするシチュエーションを先発とそこれまで投げてくれた投手が必死に繋いで作ってくれて打線が打ってくれて、最後に首脳陣が自分を指名してくれてマウンドに向かって、そこで抑えて成り立つ。だから周りに感謝をして欲しい」と小林雅英氏。そして「まあ、オレは9年間でその数字になったけどね。益田は13年間かあ」と言って、大きく笑った。
益田はヒーローインタビューで「ここまで自分が成功した記憶より失敗した記憶の方がすごく頭に残っている」と口にした。抑えと言うポジションの過酷さを物語る言葉だった。試合を観戦している人やメディアは抑えて当たり前、打たれると悲劇としてクローズアップすることが多い。すべての人の想いと共にチームの勝利を背負って最後を投げる重圧は計り知れない。小林雅英氏も「現役時代、一年間は投げたすべての球を覚えていた。誰にどんな球を投げたか。カウントなどの状況。1球1球、覚えていた。打たれた球も抑えた球も。そして一年が終わったらリセットする。その繰り返しだった。でもやっぱりそれでも打たれた場面は覚えている」と振り返る。彼もまた思い出深いゲームとしてやはりセーブ失敗をした場面をあげた。数々のセーブと栄光をマリーンズの歴史と共に重ねてきた2人はお互い、笑顔の思い出より辛い経験の方を今も胸に残している。つくづくストッパーとは辛いポジションだ。
2人は15年からの4年間、コーチと選手の関係で一緒の時間を過ごした。その時の思い出を小林雅英氏は「丁寧に野球と向き合っていた。練習をよくしていた。ウェートとかはあまりしないけど、とにかく走っているイメージ。無事是名馬というけど、彼はまさにそんな感じで故障をしない。タフだった。身体のケアもしっかりとしていて、食事にも気を使っていたしトレーナーさんを雇ったりしていた。でも大前提として産んでくれた親に感謝をしないといけない」と振り返った。
抑えとして様々な心得をアドバイスした。セーブに失敗した時に足早に帰宅する姿に「打たれた時にすぐに帰るな。いつもと同じようにしておけばいい」と苦言を呈したこともある。勝っても負けても抑えても打たれても心を乱すことなく同じリズム、雰囲気を作りだすことが長いシーズンを戦う上で大事だということを伝えたかった。
そんな小林雅英氏から益田へと球団記録は更新された。次に待つ大記録は名球会入りとなる通算250セーブだ。小林雅英氏は益田には「名球会入りはやっぱり大きなステータス。そして次、俺の現役の年齢を超えて欲しいなあ。オレは37歳まで現役で38最からコーチだから。40歳を目指して欲しい。それを超えてからだったら俺の前でどんなに偉そうにしてもいいし、文句を受けつける!」と10月に35歳になったマリーンズの守護神にユーモアを交えたメッセージを届けた。
幕張の防波堤の異名をもった小林雅英氏の意思を受け継ぎ、誰よりもマリーンズを愛し、誰よりも勝利を追求する男はいよいよ名球会入りまであと「7」の高みにたどり着いた。「チームの勝ちのためなら腕がちぎれてもいいくらいの気持ちでしっかりと投げたい」と意気込む益田。まずはチームの勝利を優先。一つ一つセーブを重ねた先に節目の数字はあり、その先も見据える。2025年もマリーンズの最後を締めるのは背番号「52」だ。
文 千葉ロッテマリーンズ広報室 梶原紀章
千葉ロッテマリーンズ益田直也投手 【千葉ロッテマリーンズ提供】
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