ソフトバンクの和田投手。「サウスポー物語」が終幕。島根の県立高校からの出世物語。プロ生活22年。米国での苦しい時期を乗り越えて日米通算165勝。お疲れさまでした
【これはnoteに投稿されたセイノさんによる記事です。】
ソフトバンクの和田毅投手(43)が現役生活に別れを告げた。島根の県立高校からの出世物語。決して剛球投手ではない。巧みなコントロールで相手打者を翻弄した。プロ生活は22年。1試合1試合が真剣勝負だった。米国時代はけがに苦しんだ時期もあった。それがさらなる成長の糧になった。日米通算165勝。立派な投手人生だった。
1998年の夏の甲子園。和田投手は島根県立浜田高校のエースだった。進学校だ。決して甲子園の強豪ではない。初戦の新潟の新発田農に初戦で勝つと、優勝候補だった東東京の帝京にも勝ち8強に進出した。前年初戦敗退を喫した左腕が甲子園のスターになった。
大学は早稲田大学に進学。高校時代に130キロにも満たなかった直球。それが140キロ台までアップした。しかし和田投手を神宮のヒーローとした原動力は巧みなコントロールだった。
大学4年の2002年には早大を春秋連覇に導いた。東京六大学リーグで奪った三振は476個。今もこの記録は破られていない。打者には球の出所が見えにくい。その上、制球術に優れているのだから、大学生バッターが打ち崩すのは至難の業だった。
ダイエー(現ソフトバンク)に自由獲得枠で入団。ルーキーシーズンに14勝を挙げ新人王に。日本シリーズ第7戦では阪神相手に完投勝利を収め、日本一に輝いた。和田投手はこの日の勝利がプロ生活での最高の思い出と振り返る。
日の当たる坂道をぐんぐん上り続けた。2010年には17勝を挙げ最多勝のタイトルを獲得。さらなる高みをめざして2012年に大リーグへ挑戦した。
しかし4年間の米国時代は苦しみの連続だった。左ひじの手術を受け、マウンドに立つことすらできない。海外FA権を行使して入団したオリオールズではメジャーでの登板はなし。
自由契約となり、カブスとマイナー契約を結び、そこからメジャーの道をめざした。カブスでの2年間はメジャー21試合に投げ計5勝。
米国生活の4年でたったの4勝。マイナー生活の方が長かった。しかし、この苦しみが和田投手をさらに成長させた。
2016年にソフトバンクに戻ると、復帰初年に15勝を挙げ、最多勝を手にした。鮮やかな復活劇だった。
そして坂道をぐんぐん上がるだけでなく、後輩たちの指導にもあたった。合同自主トレには他チームの投手も参加するほどの人気ぶり。米国生活での苦しみがあったからこそ、周囲を気遣うようになり、さらなる尊敬を集めるようになった。
そして今季限りでの現役引退。島根の県立高校から出世したサウスポー。日の当たる坂道を上り続けた。途中でつまずいても、それがその後の糧になった。
和田投手の「サウスポー物語」。現役編は完結したが、きっと指導者編が始まるだろう。好投手を育てる和田さんを楽しみにしている。
1998年の夏の甲子園。和田投手は島根県立浜田高校のエースだった。進学校だ。決して甲子園の強豪ではない。初戦の新潟の新発田農に初戦で勝つと、優勝候補だった東東京の帝京にも勝ち8強に進出した。前年初戦敗退を喫した左腕が甲子園のスターになった。
大学は早稲田大学に進学。高校時代に130キロにも満たなかった直球。それが140キロ台までアップした。しかし和田投手を神宮のヒーローとした原動力は巧みなコントロールだった。
大学4年の2002年には早大を春秋連覇に導いた。東京六大学リーグで奪った三振は476個。今もこの記録は破られていない。打者には球の出所が見えにくい。その上、制球術に優れているのだから、大学生バッターが打ち崩すのは至難の業だった。
ダイエー(現ソフトバンク)に自由獲得枠で入団。ルーキーシーズンに14勝を挙げ新人王に。日本シリーズ第7戦では阪神相手に完投勝利を収め、日本一に輝いた。和田投手はこの日の勝利がプロ生活での最高の思い出と振り返る。
日の当たる坂道をぐんぐん上り続けた。2010年には17勝を挙げ最多勝のタイトルを獲得。さらなる高みをめざして2012年に大リーグへ挑戦した。
しかし4年間の米国時代は苦しみの連続だった。左ひじの手術を受け、マウンドに立つことすらできない。海外FA権を行使して入団したオリオールズではメジャーでの登板はなし。
自由契約となり、カブスとマイナー契約を結び、そこからメジャーの道をめざした。カブスでの2年間はメジャー21試合に投げ計5勝。
米国生活の4年でたったの4勝。マイナー生活の方が長かった。しかし、この苦しみが和田投手をさらに成長させた。
2016年にソフトバンクに戻ると、復帰初年に15勝を挙げ、最多勝を手にした。鮮やかな復活劇だった。
そして坂道をぐんぐん上がるだけでなく、後輩たちの指導にもあたった。合同自主トレには他チームの投手も参加するほどの人気ぶり。米国生活での苦しみがあったからこそ、周囲を気遣うようになり、さらなる尊敬を集めるようになった。
そして今季限りでの現役引退。島根の県立高校から出世したサウスポー。日の当たる坂道を上り続けた。途中でつまずいても、それがその後の糧になった。
和田投手の「サウスポー物語」。現役編は完結したが、きっと指導者編が始まるだろう。好投手を育てる和田さんを楽しみにしている。
見出し画像:myao 〜前略 ハイエースから〜
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