〔コスモヘルスカップ/FR〕田中秀道が15年ぶりにトップ10入り! リーダーボードに自分の名前を見つけ「涙が落ちそう」
【©PGA】
コスモヘルスカップ シニアゴルフトーナメント2024 最終ラウンド
田中が最終18番グリーンに行くと、リーダーボードには6位タイで『田中秀道』と載っているのを見つけた。「正直いうと、ちょっと一粒の涙が落ちそうな状況ではありました。この5、6年はシニアツアーに携わって、戦っている選手たちを『いいな』と思いながら見ていた。だけど自分が同じステージ立つことはなかなかイメージできない状態だった。そこに自分の名前を見られて幸せな感じでした」。
【©PGA】
1998年の「日本オープン」を含む日本ツアーで10勝を挙げている田中が、ショットイップスに悩まされるようになったのは、米PGAツアーに参戦していた2006年。「切り返しでアッとクラブが消える感じです。100ヤード(幅)のフェアウェイがあっても隣の家に入るくらい」。
米ツアーでシードを落として07年は日本ツアーに復帰。「休まなきゃいけない状況なのに、男子ツアーがいまいち盛り上がっていないと聞いて、頑張らなきゃと思って1年やっちゃったんですよ。症状が治まらないまま2006年、2007年と2年やってしまったので、もっと悪化しました。2008年に1年間休養したんですけど、なかなかアクは取れずに、2005年から19年くらい普通のゴルフができていませんでした」。
【©PGA】
「ドライバーはシャンクみたいな球でスライスして隣の隣のホールまで行っちゃう。フェアウェイ真ん中からショートアイアンでも隣のホール、サンドウェッジでも隣のグリーンに乗ったりするケースが多かった。OBが止まらないので、スコアでいうと『120』が切れないときも。(ツアー外競技の)岐阜オープンには毎年出ていて、去年と一昨年は途中で棄権していますが『100』を切ってないんですよ」。
そんな田中の最大の難関はアマチュアと一緒に回る“プロアマ戦”。「見えるところに飛ばないとやばいな、隣のホールに行ったらどうしようと思うと、余計にクラブが上がらなくなる。試合で曲がっても自分が頑張ればいいだけなんですけどね。試合以外のプロアマの話があっても全部断っていました」。それが今週はプロアマ戦にも出場にも出場して、「第一段階でしたけど楽しくやらせていただきました」と話す。
【©PGA】
そこから試行錯誤を繰り返し、ドライバーのフレックスは『X』から『S』に、アイアンからサンドウェッジまでは「生まれて初めて」スチールからカーボンにスペックダウンした。今年4月に出場した岐阜オープンは予選落ちだったが、「75」で回って手応えを得る。
【©PGA】
選手としては長くツアーから遠ざかっていたが、今後は試合出場が増えていく可能性を示唆する。「シニアツアーのセッティングに関してもまだやれることがたくさんあるという思いもある。フル参戦はできずとも、もう少し参戦させてもらえたらなと思っています」。ホールアウト後はギャラリーが田中に駆け寄りサインを求める場面もあり、人気は健在。ピンを刺すドローボールを多くのファンも楽しみに待っている。
【©PGA】
- 前へ
- 1
- 次へ
1/1ページ