【浦和レッズ】若手の相談に乗り、練習では意地を見せ…宇賀神友弥はやれることはなんでもやる「すべては浦和のため」

浦和レッドダイヤモンズ
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 ホームでは埼玉スタジアムのスタンドから、アウェイでは画面越しにピッチをじっと観察している。

 たとえメンバー外になっても、宇賀神友弥は仲間の一つひとつのプレーに目を凝らし、イメージする。もしも自分がピッチに立っていれば、この局面はどうすべきだったのか――。

 3連敗を喫し、13位に沈むチームの改善点も自ずと見えてくる。ポジショニングが少し違うだけで致命的なミスにつながり、わずかなパスのずれから相手のプレッシャーを受け、押し込まれる場面もあるという。

「失点のシーンだけではなく、その直前のプレーなど、もっと突き詰めないといけない。局面に応じて、味方のどちらの足にパスを出したほうがいいのかなど、自分のポジションと近い選手とは練習場で細かい点までよく話し合っているんです。修正は監督、コーチがしてくれると思いますが、僕は微調整している感じですかね」

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 メンバーに入れない悔しい気持ちを抱えつつも、積極的にコミュニケーションを取り続けている。

 ただ、頭ごなしに指摘することはない。年の離れた後輩であっても、相手の意見をしっかり聞き、建設的な助言をする。伝え方ひとつにも注意を払う。練習中はフランクに声をかけるが、個別に話すときだけは声色を変える。

「そこのメリハリは大事にしています。普段と違う雰囲気で話すほうがより真剣に聞いてもらえるので。少しでもその選手のプラスになってほしいし、成長に役立てばいいな、と心から思っています。それが勝利にもつながっていけばな、と」

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 仲間に伝えるのは、耳当たりのいい言葉だけではない。ときには厳しいことも口にする。今季、FC岐阜から3年ぶりに復帰したばかりだが、浦和レッズでのプロ通算在籍は13年目の古株。中学年代からアカデミーで育ち、エンブレムの重みを肌で感じてきた。

 だからこそ、同じようなミスを繰り返せば、あえて自身の経験を踏まえていう。

「修正する能力を持たないといけないよ、と。本来であれば、レッズは1回のミスでも自分のポジションを奪われるクラブ。それくらいの覚悟と責任を背負ってプレーしないといけない。


 本当は1回も許されないので。正直、そういう意識は、まだ足りないと思っています。ストレートに伝えて、それがどうはね返ってくるか。その選手のひとつのターニングポイントにもなるかもしれません」

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 試合に勝てばどこよりも大きな盛り上がりを見せるが、その分、負けが込んだときの反動も大きい。試合後にブーイングが響きわたることも珍しくない。

 耐性がないと、ひとつのミスから負のスパイラルに陥ってしまう選手もいる。「どうすれば、厳しい状況から抜け出せますか」と相談も受けるが、前を向くしかないのだ。

「サッカーって、このレベルまでくれば、自分に自信を持てるかどうかだと思うので。ほとんどの人間はミスを犯せば、自信を失うもの。でも、いくら考えても、そのミスは戻ってきません。『もう忘れるしかないだろ』と言っています。

 とにかく、ポジティブに考えること。うまくいかないときこそ、思い切ってプレーする。例えばコーナーキックをひとつ取るだけで、会場は盛り上がるので。もっとファン・サポーターを味方にするイメージを持ったほうがいい。下を向けば向くほど、重圧に押しつぶされますから」

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 宇賀神自身もスタンドから容赦のないヤジを浴びたことはある。いまでもはっきりと覚えている。

「『お前を試合に出さないといけない契約でもあるのか』って。そのときは、きょうはダメだったけど、『次は見とけよ』と思っていました。それくらいの気持ちでいないと。メンタルを一定に保つのは難しいですが、レッズは活躍すれば、返ってくるものも大きいので」

 苦しむチームを救いたい気持ちは、誰よりも強い。仲間へのアドバイスは、いまできる仕事のひとつ。ただ、それよりも頭にあるのは自らがピッチに立ち、チームを直接助けることだ。今季、レッズでの公式戦400試合出場を果たした男は、自分の置かれている立場を理解している。

「監督に『ちょっと、宇賀神を使ってみようか』と思わせないと」

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 かつて背中を追っていたレジェンドたちもそうだった。坪井慶介、平川忠亮、阿部勇樹らはキャリア終盤に出場機会が少なくなっても、練習から決して手を抜かなかった。若い選手たち以上に懸命にボールを追い、ひたむきにサッカーと向き合っていた。年長者の献身的な姿勢を見るたびに自らも発奮を促されたことを思い出す。

「当時は、あの人たちが、これだけやっているんだから、自分ももっと頑張らないといけないって思っていました。年上の人たちから少しでも何かを吸収したくて、練習に打ち込んでいたので。


 年齢を重ねて自分がそのような存在になれているかは分からないけど、若い選手に負けたくない気持ちはあります。きっと尊敬する先輩たちもそう思っていたはずです」

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 秋の深まりを感じる10月のある日、実戦形式の練習で宇賀神はハツラツとプレーしていた。

 スピードあふれる松尾佑介の突破をいぶし銀の守備でストップ。主力組の守備陣が置き去りにされるなか、1対1でベテランの意地を見せた。ピッチでも存在感を示している。

「松尾と“スプリント対決”のようなシチュエーションは嫌ですよ。でも、足の速い選手への対応は、僕なりに分かっているので。

 現在ヨーロッパでプレーしている伊東純也選手、古橋亨梧選手、前田大然選手らとJリーグで対峙してきましたからね。簡単にはぶっち切られませんよ。まだ体は動くし、できる実感もあります」

 静かな大原サッカー場には「ウガ、ナイス」という原口元気の大きな声が響いていた。宇賀神にとっては、アカデミーの後輩でもあり、盟友。ピッチではルーキーイヤーから左サイドで縦に並んでプレーし、ずっとコミュニケーションを取ってきたひとり。当然、思い入れも深い。

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「原口は強い覚悟を持ってレッズに帰ってきています。ひとりで背負いすぎてしまうタイプで、昔は感情をコントロールできない部分もあったけど、いまはチームのために闘うというマインドになっている。すべてはレッズで優勝するため。

 僕も思いは同じで、そこはブレていない。それを成し遂げるのは、ひとりでは難しい。少しでもチームを引っ張っていくサポートをしたい。僕だけではなく、関根貴大、渡邊凌磨らもそうだと思います。そういう選手が増えていけば、レッズは変わっていきます。チームは苦しい時期を乗り越えて、強くなっていくものです」

 厳しい現状を嘆くファン・サポーターの心情も、理解している。今季は残り7試合。重苦しい雰囲気を変えるために何でもするつもりだ。

 マリウス ホイブラーテンの負傷離脱で手薄になっているセンターバックでの起用にも備えている。2016年、YBCルヴァンカップで優勝を果たしたときには準々決勝、準決勝で急きょ3バックの一角に入って勝利に貢献したこともある。ふと昔を懐かしみ、自信ありげな笑みを見せた。

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「自分はチームが苦しいときに助けられる選手だと思っているので。そのために準備しています。浦和の責任を背負ってプレーするって、こういうことなんだ、というのを見せたい。体現者になりたいです」


 酸いも甘いも経験してきた36歳は、自らの存在意義を示すことを誓っていた。


(取材・文/杉園昌之)
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著者プロフィール

1950年に中日本重工サッカー部として創部。1964年に三菱重工業サッカー部、1990年に三菱自動車工業サッカー部と名称を変え、1991年にJリーグ正会員に。浦和レッドダイヤモンズの名前で、1993年に開幕したJリーグに参戦した。チーム名はダイヤモンドが持つ最高の輝き、固い結束力をイメージし、クラブカラーのレッドと組み合わせたもの。2001年5月にホームタウンが「さいたま市」となったが、それまでの「浦和市」の名称をそのまま使用している。エンブレムには県花のサクラソウ、県サッカー発祥の象徴である鳳翔閣、菱形があしらわれている。

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