【浦和レッズ】特別な場所があることの幸せを噛みしめながら原口元気は闘う「世界で一番情熱を燃やせる場所がここ」
【©URAWA REDS】
その瞬間、原口元気は感情を爆発させた。
「マチェイ スコルジャ監督も俺も来たばかりで、そこで良いスタートを切ることができるかどうかが今のチームにとって大切だと思っていた」
勝利の喜び。チーム全体への影響を考慮した末の安堵。その両者が同居していた。
加えて、「帰って来た」という実感があった。
「いろんなところでいろんな人が『お帰りなさい』と言ってくれた。だけど自分の仕事を考えたら、ピッチでサポーターと一緒に闘って、そして勝って、そこで初めて『帰って来たな』と思えた。その実感が、ようやく得られた瞬間でした」
【©URAWA REDS】
あれから10年――。
その年月の間、『浦和レッズ』という存在は原口にとってどういうものだったのか。
改めて尋ねてみた。
「浦和にいたときは、浦和のためにという気持ちがすごく強くて、『こう』なってた」
原口は「こう」と口にして、両眼の幅に合わせて左右の手を垂直に立ててみせる。「視野が狭くなっている」ことを意味するポーズだった。
「『浦和レッズ』という場所に、すごく執着していたんです。本当に心の底から、タイトルを獲って出ていきたかった。でも、それが簡単なことではなくて、もがいていた」
【©URAWA REDS】
心残りを抱いたままの旅立ちだったが、その先に待っていた『世界の広さ』に、原口は魅了されたのだと語る。
「世界は広くて、とんでもない選手がたくさんいて、そこでチャレンジしていきたいって気持ちになりました」
「だから――」と原口は続ける。
「いったん意識をその『世界』に集中していた時期は正直ありました」
そう言って、少しだけ申し訳なさそうな顔をみせた。つまり、浦和のことは追憶の中の存在として一旦は突き放した。そういうことなのだろう。
だがそんな時期も含め、浦和レッズのフットボール本部は彼とのコンタクトを欠かすことはなかった。
【©URAWA REDS】
前スポーツダイレクター(SD)土田尚史、現SD堀之内聖はこの10年の間に何度もドイツへと飛んでいる。その結果、二人の思いは原口の心に届き、特に堀之内SDとの間には、強い信頼関係が結ばれていった。「年齢の近さもあったし、ホリさんとは一緒にプレーもしていたから」だ。
「ホリさんがドイツまで来てくれるたびに、俺がその時々のレッズのサッカーを見て感じたことを、ふたりでよく話しました。そういうディスカッションはかなりしていましたね」
両者の思いは一致していた。
「いつかは再び、レッズで――」。
下地は完成していた。問題はタイミングだけ。
それが、今回だったのだ。
【©URAWA REDS】
原口はそう言って続ける。
「そのときに、『やっぱり浦和だな』と思いました。ドイツで過ごす間に好きなクラブもできたし、長くいてもいいなと思えるクラブもあった。でも、心情的な部分で『すべてを懸けてこのクラブのために頑張りたい』と思えるようなところには、ヨーロッパでは出会えなかったかな」
ドイツでの10年を経て『大人』になった彼との話は、尽きなかった。
「でも、帰って来たということだけで『美談』にされたくはない。これで終わりではないから」
そんなふうに、今の思いを主張する場面もあった。
【©URAWA REDS】
だから、以下に書くことを原口が読めば、「美談にしようとしている」と批難するかもしれない。
それでも、ファン・サポーターには、次のような彼の言葉は伝えるべきだと感じる。
「ドイツに行った当初は、バーッと世界が広がって、浦和レッズがすごく狭い場所に感じた時期もありました。でも、10年の間にいろいろなものを感じた末に、もう一度このエンブレムを付けてプレーするってことが、こんなに感情を揺さぶられることだとは思ってなかった。それってすごく幸運なことでしょ。だから、そんな特別な場所があって幸せだなと思う」
【©URAWA REDS】
『井の中の蛙 大海を知らず』
だが、「大海」を知った後になってなお、「井の中」をこそ恋焦がれる蛙もいるのかもしれない――。
頭に思い描いたそんな可能性について、原口に問うてみた。
彼は肯定した。「そういうことだと思う」、と。
「今でも世界を、その諺で言えば『大海』を知っているつもり。ここはバイエルン ミュンヘンでもレアル マドリードでもない――」
浦和レッズは世界から見れば、ありふれた「井戸」のひとつなのだ。
それでも、原口元気はこう断言する。
「だけど俺にとっては、世界で一番情熱を燃やせる場所。それがここ」だと。
【©URAWA REDS】
(取材・文/小齋秀樹)
- 前へ
- 1
- 次へ
1/1ページ