【柏レイソル】手塚康平、エレガントレフティーの帰還「2024Reysol Report Vol.15」

柏レイソル
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 電撃復帰と言っていいだろう。8月5日、手塚康平の完全移籍加入が発表された。
 直前の7月30日には高嶺朋樹のKVコルトレイクへの移籍があったため、ボランチを補強するというピンポイントの狙いがあったのは確かだと思うが、個人的な見解では「高嶺が抜けた穴を埋める」という意味合いよりは、「手塚のプレーを必要とした補強」と受け取っている。

 井原正巳監督も、攻撃に違いを生み出せる手塚のプレーに期待を寄せる。
「彼の特長は攻撃にアクセントを与えられ、キックの質も高く、セットプレーでもそのストロングをチームに活かしてほしいと思っています。試合をたくさん経験して、守備の強度も身につけて逞しくなって帰ってきてくれました。それらをチームに還元してくれればと思います」(井原監督)

【©️KASHIWA REYSOL】

 レイソルを離れてからも、「いつかは戻りたい」という思いを持ち続けていた。この夏に移籍のオファーを受けたときには、「率直に嬉しかった」という。手塚の移籍加入が公式にリリースされると、レイソルのサポーターからのSNS上の反響も凄まじかった。レイソル在籍時、手塚がいかにサポーターから愛されていたかが窺い知れるものだった。

 手塚といえば、彼のチャントの歌詞にもあるように、左足キックが武器のエレガントなパサーである。さらにパスだけでなく、正確無比のフリーキックでネットを揺らし、かつては日立台を沸かせてきた。
 ただ、4年半ぶりに復帰した手塚は、以前に在籍した期間を振り返り「自分の足りないものは、すべて周りの選手に助けてもらっていた。外に出て、自分がいかに何もやってこなかったか、自分のことだけをやってきたかを痛感させられました」と話している。
 裏を返せば、レイソルを離れて違う景色を見たからこそ、手塚はそれを糧に自らの成長へとつなげたわけである。

「攻撃は自分のストロングでもありましたが、よりアシストが増えて、ゴールに直結するプレーが増えたイメージがあります。後ろで組み立てることもしますが、前に出ていくところはより、レイソルを離れている間に身についたと思います。守備でもサガン鳥栖では球際やハードワークを求められていました。身につけたものを出すために、周りを動かして、さらにそこで自分の強みを出してやりやすいようにやっていきます」(手塚)

【©️J.LEAGUE】

 以前の在籍時からメンバーは入れ替わり、一緒にプレーをしたことのある選手は、古賀太陽、マテウス・サヴィオ、川口尚紀の3名に、当時は二種登録選手だった細谷真大と鵜木郁哉、そこにサガン時代のチームメートの垣田裕暉、ジエゴ、アカデミーの1学年先輩である白井永地を入れても8人しかいない。当然、チームへの完全フィットには、ある程度の時間が必要だろう。

 それでも古賀は「康平くんが入ることで、解決されることは多い」とチームにもたらすプラスの変化を挙げる。ビルドアップをはじめ、ボールを握る場面と、縦にスピーディーに射抜く攻撃の使い分け。セットプレーのバリエーション増加がそれに該当する。

 そして、手塚が新たに付ける背番号は37。その理由を聞いてみた。
「17はジェイ、30はレンタル中の加藤匠人の番号で、7はもちろん無理なので、自分が付けたことがあって、サウナ好きなので37にした」とのこと。ただ、手塚は「アカデミー出身のボランチ」である。あくまで個人的意見だが、今後の活躍次第では“背番号7”の継承を期待してもいいのではないだろうか。

【文】柏レイソルオフィシャルライター:鈴木潤

【©️KASHIWA REYSOL】

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著者プロフィール

1940年に母体となる日立製作所サッカー部が創部、1995年にJリーグに参戦。1999年ナビスコカップでクラブ史上初タイトルを獲得。ネルシーニョ監督のもと、2010~2011年には史上初となるJ2優勝→J1昇格即優勝を成し遂げる。さらに2012年に天皇杯、2013年に2度目のナビスコカップ制覇。ホームタウンエリアは、柏市、野田市、流山市、我孫子市、松戸市、鎌ケ谷市、印西市、白井市の東葛8市。ホームスタジアムは、柏市日立台の「三協フロンテア柏スタジアム」。主な輩出選手は、明神智和、酒井宏樹、中山雄太。

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