「現役を続ける理由は、彼の存在」リーチマイケルがモンゴル人留学生に託す未来。 アジアラグビーを盛り上げる夢の実現へ

チーム・協会

【photo by Yuito Kokubu】

日本ラグビー界をけん引してきたリーチマイケル選手の夢。それが「アジアのラグビーを強くする」ことだ。その布石として、リーチ選手が現役選手として活躍する傍らで独自に進めていたプロジェクトの一つが、アジアの高校生を留学生として日本に招くことだった。

ラグビーを通して自身が日本で夢を叶えたように、次世代のアジアの子どもたちにも同じ経験をしてほしい――そんな想いから、リーチ選手が“発掘”した一人のモンゴル人留学生の現在を追った。

モンゴルからのラグビー留学生。国士舘大学のノロブ選手

国士舘大学グラウンドで笑顔を交わすリーチマイケル選手(写真左)、ダバジャブ・ノロブサマブー選手(中央)、佐藤幹夫先生(右) 【photo by Yuito Kokubu】

ラグビーのリーグワン・プレーオフ決勝で東芝ブレイブルーパス東京が初優勝を決めた日から4日後の5月30日。キャプテンとして自身初の日本一の栄光をつかんだリーチマイケル選手は、札幌山の手高校時代の恩師である佐藤幹夫先生とともに国士舘大学のグラウンドを訪れていた。

「ノロブとは日曜のマイケルの試合の日に会ったのが1年ぶりくらいですかね。でも、全然変わらないですね」(佐藤先生、以下佐藤)

「僕は3カ月ぶりくらいかな。山の手高校出身の選手で日本一になったのは僕が初めてだと思うから嬉しいですね。やっぱり、ノロブには勝つ姿を見せたいですからね」(リーチ選手、以下リーチ)

「リーチさんはいつも通り、凄かったです」(ノロブ選手、以下ノロブ)

リーチ選手と佐藤先生が親しみを込めて「ノロブ」と呼ぶその相手は、国士舘大学ラグビー部でプレーする2年生のダバジャブ・ノロブサマブー選手。リーチ選手が描くアジアラグビーの発展・強化プロジェクトの一つとして、モンゴルから招き入れた留学生だ。

「高校時代の自分に似ている」

笑顔で言葉を交わす二人の雰囲気は、まるで仲の良い兄弟のよう 【photo by Yuito Kokubu】

高校生のころにニュージーランドから単身来日して大きな夢をつかんだ自分のように、アジアの未来ある若者にもラグビーを通して日本で大きな夢をつかんでほしい――そんな想いからリーチ選手は2019年初頭にモンゴルで選手発掘セレクションを実施。なぜモンゴルかと言えば、「僕が高校生のころ、モンゴル人の朝青龍が大スターだった。白鵬もそうだし、モンゴル人がラグビーをやったら絶対に強くなる」という確信があったから。そして現地で目に留まったのが当時15歳のノロブ少年だった。

「ひと目見て、この子はいいなと思いました。決め手になったのは手のデカさ。今は僕と同じくらい?」(リーチ)

そう言われてリーチ選手と手のひらを合わせたノロブ選手は「ギリギリで私の方が大きいですね(笑)」といたずらっぽく笑った。

「当時はちょうどラグビーボールを触り始めたころで、初めてラグビーを見た時に面白そうだと思ったんです。その前は中学校でバレーボールをやっていました。リーチ選手のこともこのセレクションの話を聞いて知ったくらいです。ただ、自分は色々とチャレンジしたくなるタイプ。とにかく1回チャレンジしてみようと思って参加したんです」(ノロブ)

とはいえラグビーは未経験に等しく、今でこそ身長187センチ・体重99キロにまで成長した体躯も当時はリーチ選手いわく「細くてヒョロヒョロ」。だから、ノロブ選手自身もまさか受かるとは思っていなかったという。それでもその線の細い体格も含め、シャイな性格、そしてハングリーさが「高校時代の自分に似ている」と、リーチ選手は大抜擢したのだった。

「受かると思っていなかったから、選ばれたと電話で聞いた時には急に涙が出てきましたね。両親に相談することもなく、その場で『日本に行きます!』と。その後に両親に報告したら『頑張ってこい』と応援してくれました」(ノロブ)

3年はラグビーができない……大病を奇跡的に克服

【photo by Yuito Kokubu】

2019年秋、日本で開催されたラグビーワールドカップの日本代表の試合にリーチ選手から招待されたのがノロブ選手の初来日。その後、新型コロナウイルス感染症の影響でスケジュールが後ろ倒しとなったものの、2020年11月にリーチ選手と同じ札幌山の手高校に入学した。現在に至るまで学費、生活にかかる費用などはリーチ選手がサポートしている。

「今もたまにリーチさんの家に呼ばれるんですけど、リーチさんの奥さんがつくるしゃぶしゃぶは本当に美味しいですね。しゃぶしゃぶだったら、ほぼ私が食べている感じです(笑)」(ノロブ)

「僕の方が食べますよ(笑)」(リーチ)

リーチ選手、ノロブ選手の高校生活を見守ってきた佐藤先生 【photo by Yuito Kokubu】

一方、佐藤先生はノロブ選手との初対面時の印象をこう語っている。

「日本に来た当初はラグビーのルールもあまり知らなかったのですが、パワーがすごかったので将来は大物になるなという片りんは見えましたね」(佐藤)

そんな期待の1年生であり、ノロブ選手自身も「日本ではどんなスポーツでも有名だから、どんなスポーツでも一生懸命やればいい選手になれるチャンスがあると感じました」と希望に満ち溢れた日本での新生活を送ろうとしていた。ところが、年が明けてすぐに思いがけないアクシデントに襲われる。モンゴルにいたころに負傷していた右腕のケガが急速に悪化し、骨髄炎にまでなっていたのだ。

「病院に行ったら『手術しても2、3年はラグビーができない、モンゴルに帰した方がいいのではないか』とお医者さんから言われました。マイケルに電話したら『面倒見てください』と言うから日本に残って手術しようということになったのですが、ノロブには『ラグビーができなくても高校は卒業しような』という話をしました」(佐藤)

「練習終わりに幹夫先生に呼ばれて、この手術の話を聞きました。私としてもできれば残りたい気持ちがあったので、日本で手術をすることに決めました」(ノロブ)

ラグビーで大きな夢をつかむために日本に来たのに、そのラグビーができなくなるかもしれない――16歳の少年にとって目の前が真っ暗になるほどのショックだったに違いない。だが、佐藤先生が方々へ手を尽くす中、医療通訳やノロブ選手の親代わりとなる保証人が次々と見つかり、ついにはラグビー繋がりで医大の教授が手術執刀に手を挙げてくれた。

「ビックリしましたね。手術が上手くいって治ってしまった。それで3年どころか『3カ月でラグビーしていいですよ』と先生が言ってくれたんです。すごい回復力でしたし、これもノロブの運命なのか。大病を乗り越えて、よく頑張ったなと思います」(佐藤)

「奇跡ですよ。日本に来たのもそうだし、チャンスがあればそれをモノにする選手なんだと思いますね」(リーチ)

「モンゴルにいたままだったら腕を切断しなければいけなかったかもしれないと言われました。日本に来て本当に良かったです。いろんな人が助けてくれたので」(ノロブ)

コミュニケーションの大切さ、高校時代の同期から学んだこと

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リーチ選手と佐藤先生を驚かせたのは“奇跡の回復力”だけではない。ノロブ選手はラグビーにひたむきに向き合う姿勢と同じくらい、日本の生活に誰よりも早く溶け込もうと努力した。その甲斐もあり、日本語を覚えるスピードは札幌山の手高校の歴代の留学生の中でもナンバーワンの速さだったと佐藤先生は太鼓判。リーチ選手も「2回目に会った時にはもう普通に日本語で会話していた」と目を丸くしたほどだ。

「勉強もラグビーもちゃんとやりたいなと思って、日本語と英語の授業をしっかりと受けていました。コミュニケーションが取れないと友だちもできないですから」(ノロブ)

ノロブ選手はシャイな性格だとリーチ選手は語っていたが、こうして取材を通して話してみると、確かにシャイな雰囲気は感じるものの根は明るい好青年という印象が強い。こちらの質問にも積極的に答えてくれており、こうしたコミュニケーションを大切にする姿勢は高校時代の仲間から学んだものだという。

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「練習中はチームメートとよく話しますね。一人ひとりがリーダーシップをもって練習を大切にすれば練習でやってきたことを試合で出せると思っているので、できれば一人ひとりに声をかけて、こうしたらできるかもと自分が思ったことを伝えています。高校時代の同期がやさしくて、いろいろなことを教えてくれました。そこでこういう人間になっていきたいなと思ったんです。特に同期のキャプテンからはいろいろと学びました」(ノロブ)

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国士舘大学に進学してからは「高校時代はまだ日本語も上手じゃなくて、あまり話すことができなかった分、ここでたくさん話そうと思っています」と、持ち前の明るさと積極性に磨きがかかっている。そうしたチーム内での様子を、同大学ラグビー部の古田仁志監督も目を細めながら次のように話してくれた。

「ノロブは真面目、それに明るいですよね。ポジティブだからチームにもいい影響を与えているし、ウチに入って来た時からリーダーっぽかった。一番きつい時に一番大きな声を出していますが、それができるのは高校時代のちゃんとした蓄積が大きいからでしょう。モンゴル人だということを忘れますよ」(古田監督、以下古田)

「日本代表になりたい。リーチさんと一緒にプレーしたい」

【photo by Yuito Kokubu】

また、ノロブ選手のチャレンジ精神がよく分かるとっておきのエピソードがある。なんと、人気ドラマ『VIVANT』にエキストラとして出演していたのだという。

「私のところに『モンゴル語を話せるイケメンはいないか?』という相談がありましてね、それはノロブのことじゃないかと(笑)。それでオーディションに行く途中の電車で『こんなこと頼んで迷惑?』と聞いたら、『楽しいです。色々な人に会えるから面白いです』と言うんですよ。もう頼もしくて、こういう人がやっぱり国が変わってもラグビーを頑張ろうと思うんだなと感じましたね」(古田)

「僕も1回やってみたいと思って。でも、これもまさか受かるとは思っていませんでした。将来は俳優? それは絶対にないです(笑)。でも、日本に来て本当にたくさんいい体験をさせてもらっています」(ノロブ)

モンゴルから来た留学生がラグビー選手と俳優の二刀流となったら、それは異色のプレーヤーどころの騒ぎではないだろう。しかし、今のノロブ選手が目指す夢はラグビー選手としてリーチ選手と同じトップの舞台に立つこと。それしか見ていない。

「まず今は、大学卒業するまでにできればリーグワンのいろいろなチームから声をかけてもらいたいなと思っています。声をかけてもらえないと日本代表の夢もなくなっていきますから。そして声をかけてもらうために、今は目の前のことを一生懸命やっています。日本でラグビーを習ったので、やっぱり日本代表になりたい。できればリーチさんと一緒にプレーしたいです」(ノロブ)

次世代へと繋がり広がっていくリーチ選手の夢

【photo by Yuito Kokubu】

そしてもう一つ。自身だけでなく、母国モンゴルのラグビー発展のためにも力を尽くしたいと力を込める。それはアジアラグビーの発展と強化を目指すリーチ選手の願いでもある。

「モンゴルのラグビーの試合を見に行く時もあるのですが、やっぱり(レベルは)まだまだ。でも、できれば未来のモンゴル代表がワールドカップに出られたらうれしいですし、年下のモンゴルの子どもたちにラグビーというスポーツを伝えたい。リーチさんがやっていることから学ぶことは大きいですね」(ノロブ)

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モンゴルから単身やってきた一人の青年が描くラグビー選手としての自身の夢、そして未来のモンゴルラグビー界にかける想いを応援しない大人などいない。二人の恩師も心からのエールを送っている。

「どれだけ鮮明に夢を描くかが大事。そうすると、そのために何をすればいいか自ずと出てくる。あとは自分がやるかやらないか、ノロブ次第です。本当、楽しみですよ。誰も歩いたことのない道を彼は歩いている。私としてはいくらでもサポートしたいですし、もしリーチとノロブが同じピッチに立って、それがワールドカップだったら泣きますね(笑)」(古田)

「ラグビーを日本だけじゃなくてアジアに広めていく夢は嬉しいですね。私も北海道でラグビーをどんどん広めたいという夢がありました。それが今、日本を越えて世界に広がっているのがすごく嬉しいです」(佐藤)

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そんなノロブ選手の夢のきっかけを作ったリーチ選手。自分と同じ経験をしてほしいと次世代へ託した想いは今、「理想通り」という軌跡を描きつつある。

「ノロブは体格もルールもゼロからスタートして、日本語も分からないし、食生活も全然違う。そこから立派なラグビー選手になったのは感動的でした。それも幹夫先生の指導があったからできたと思います。彼の試合を見ると、僕もまだまだ頑張りたい、やらないといけないなと思うんです。すごく良い刺激をもらっていますね。今はラグビーに夢中になっていてほしい」(リーチ)

そして、最後にこう言った。

「僕が現役を続ける理由の一つがノロブ。一緒にプレーしたいね」(リーチ)

「はい、頑張るしかないです!」(ノロブ)

リーチ選手から投じられたパスをしっかりと受け止めたノロブ選手は、憧れの先輩から「現役を続ける理由」と言われるまでに大きく、頼もしく成長している。でも、まだまだ道の途中。リーチ選手の夢を自分の夢に置き換えて、もっともっと大きくしていく日が将来きっとやって来るだろう。そうしてリーチ選手の想いは次の世代、そのまた次の世代へと、アジアラグビーの明るい未来というトライに向かって繋がっていく。

リーチ選手、ノロブ選手の人生を大きく変えたように、ラグビーというスポーツはこれからも多くの人々の人生をもっと豊かなものにしていくはずだ。スポーツが紡ぐ国を越えた絆は、これからも関わる人の心を明るく照らしてくれることだろう。

text by Atsuhiro Morinaga(Adventurous)
edited by Adventurous
photo by Yuito Kokubu

※本記事はパラサポWEBに2024年7月に掲載されたものです。
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