「現役を続ける理由は、彼の存在」リーチマイケルがモンゴル人留学生に託す未来。 アジアラグビーを盛り上げる夢の実現へ
【photo by Yuito Kokubu】
ラグビーを通して自身が日本で夢を叶えたように、次世代のアジアの子どもたちにも同じ経験をしてほしい――そんな想いから、リーチ選手が“発掘”した一人のモンゴル人留学生の現在を追った。
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モンゴルからのラグビー留学生。国士舘大学のノロブ選手
国士舘大学グラウンドで笑顔を交わすリーチマイケル選手(写真左)、ダバジャブ・ノロブサマブー選手(中央)、佐藤幹夫先生(右) 【photo by Yuito Kokubu】
「ノロブとは日曜のマイケルの試合の日に会ったのが1年ぶりくらいですかね。でも、全然変わらないですね」(佐藤先生、以下佐藤)
「僕は3カ月ぶりくらいかな。山の手高校出身の選手で日本一になったのは僕が初めてだと思うから嬉しいですね。やっぱり、ノロブには勝つ姿を見せたいですからね」(リーチ選手、以下リーチ)
「リーチさんはいつも通り、凄かったです」(ノロブ選手、以下ノロブ)
リーチ選手と佐藤先生が親しみを込めて「ノロブ」と呼ぶその相手は、国士舘大学ラグビー部でプレーする2年生のダバジャブ・ノロブサマブー選手。リーチ選手が描くアジアラグビーの発展・強化プロジェクトの一つとして、モンゴルから招き入れた留学生だ。
「高校時代の自分に似ている」
笑顔で言葉を交わす二人の雰囲気は、まるで仲の良い兄弟のよう 【photo by Yuito Kokubu】
「ひと目見て、この子はいいなと思いました。決め手になったのは手のデカさ。今は僕と同じくらい?」(リーチ)
そう言われてリーチ選手と手のひらを合わせたノロブ選手は「ギリギリで私の方が大きいですね(笑)」といたずらっぽく笑った。
「当時はちょうどラグビーボールを触り始めたころで、初めてラグビーを見た時に面白そうだと思ったんです。その前は中学校でバレーボールをやっていました。リーチ選手のこともこのセレクションの話を聞いて知ったくらいです。ただ、自分は色々とチャレンジしたくなるタイプ。とにかく1回チャレンジしてみようと思って参加したんです」(ノロブ)
とはいえラグビーは未経験に等しく、今でこそ身長187センチ・体重99キロにまで成長した体躯も当時はリーチ選手いわく「細くてヒョロヒョロ」。だから、ノロブ選手自身もまさか受かるとは思っていなかったという。それでもその線の細い体格も含め、シャイな性格、そしてハングリーさが「高校時代の自分に似ている」と、リーチ選手は大抜擢したのだった。
「受かると思っていなかったから、選ばれたと電話で聞いた時には急に涙が出てきましたね。両親に相談することもなく、その場で『日本に行きます!』と。その後に両親に報告したら『頑張ってこい』と応援してくれました」(ノロブ)
3年はラグビーができない……大病を奇跡的に克服
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「今もたまにリーチさんの家に呼ばれるんですけど、リーチさんの奥さんがつくるしゃぶしゃぶは本当に美味しいですね。しゃぶしゃぶだったら、ほぼ私が食べている感じです(笑)」(ノロブ)
「僕の方が食べますよ(笑)」(リーチ)
リーチ選手、ノロブ選手の高校生活を見守ってきた佐藤先生 【photo by Yuito Kokubu】
「日本に来た当初はラグビーのルールもあまり知らなかったのですが、パワーがすごかったので将来は大物になるなという片りんは見えましたね」(佐藤)
そんな期待の1年生であり、ノロブ選手自身も「日本ではどんなスポーツでも有名だから、どんなスポーツでも一生懸命やればいい選手になれるチャンスがあると感じました」と希望に満ち溢れた日本での新生活を送ろうとしていた。ところが、年が明けてすぐに思いがけないアクシデントに襲われる。モンゴルにいたころに負傷していた右腕のケガが急速に悪化し、骨髄炎にまでなっていたのだ。
「病院に行ったら『手術しても2、3年はラグビーができない、モンゴルに帰した方がいいのではないか』とお医者さんから言われました。マイケルに電話したら『面倒見てください』と言うから日本に残って手術しようということになったのですが、ノロブには『ラグビーができなくても高校は卒業しような』という話をしました」(佐藤)
「練習終わりに幹夫先生に呼ばれて、この手術の話を聞きました。私としてもできれば残りたい気持ちがあったので、日本で手術をすることに決めました」(ノロブ)
ラグビーで大きな夢をつかむために日本に来たのに、そのラグビーができなくなるかもしれない――16歳の少年にとって目の前が真っ暗になるほどのショックだったに違いない。だが、佐藤先生が方々へ手を尽くす中、医療通訳やノロブ選手の親代わりとなる保証人が次々と見つかり、ついにはラグビー繋がりで医大の教授が手術執刀に手を挙げてくれた。
「ビックリしましたね。手術が上手くいって治ってしまった。それで3年どころか『3カ月でラグビーしていいですよ』と先生が言ってくれたんです。すごい回復力でしたし、これもノロブの運命なのか。大病を乗り越えて、よく頑張ったなと思います」(佐藤)
「奇跡ですよ。日本に来たのもそうだし、チャンスがあればそれをモノにする選手なんだと思いますね」(リーチ)
「モンゴルにいたままだったら腕を切断しなければいけなかったかもしれないと言われました。日本に来て本当に良かったです。いろんな人が助けてくれたので」(ノロブ)
コミュニケーションの大切さ、高校時代の同期から学んだこと
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「勉強もラグビーもちゃんとやりたいなと思って、日本語と英語の授業をしっかりと受けていました。コミュニケーションが取れないと友だちもできないですから」(ノロブ)
ノロブ選手はシャイな性格だとリーチ選手は語っていたが、こうして取材を通して話してみると、確かにシャイな雰囲気は感じるものの根は明るい好青年という印象が強い。こちらの質問にも積極的に答えてくれており、こうしたコミュニケーションを大切にする姿勢は高校時代の仲間から学んだものだという。
【photo by Yuito Kokubu】
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「ノロブは真面目、それに明るいですよね。ポジティブだからチームにもいい影響を与えているし、ウチに入って来た時からリーダーっぽかった。一番きつい時に一番大きな声を出していますが、それができるのは高校時代のちゃんとした蓄積が大きいからでしょう。モンゴル人だということを忘れますよ」(古田監督、以下古田)
「日本代表になりたい。リーチさんと一緒にプレーしたい」
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「私のところに『モンゴル語を話せるイケメンはいないか?』という相談がありましてね、それはノロブのことじゃないかと(笑)。それでオーディションに行く途中の電車で『こんなこと頼んで迷惑?』と聞いたら、『楽しいです。色々な人に会えるから面白いです』と言うんですよ。もう頼もしくて、こういう人がやっぱり国が変わってもラグビーを頑張ろうと思うんだなと感じましたね」(古田)
「僕も1回やってみたいと思って。でも、これもまさか受かるとは思っていませんでした。将来は俳優? それは絶対にないです(笑)。でも、日本に来て本当にたくさんいい体験をさせてもらっています」(ノロブ)
モンゴルから来た留学生がラグビー選手と俳優の二刀流となったら、それは異色のプレーヤーどころの騒ぎではないだろう。しかし、今のノロブ選手が目指す夢はラグビー選手としてリーチ選手と同じトップの舞台に立つこと。それしか見ていない。
「まず今は、大学卒業するまでにできればリーグワンのいろいろなチームから声をかけてもらいたいなと思っています。声をかけてもらえないと日本代表の夢もなくなっていきますから。そして声をかけてもらうために、今は目の前のことを一生懸命やっています。日本でラグビーを習ったので、やっぱり日本代表になりたい。できればリーチさんと一緒にプレーしたいです」(ノロブ)
次世代へと繋がり広がっていくリーチ選手の夢
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「モンゴルのラグビーの試合を見に行く時もあるのですが、やっぱり(レベルは)まだまだ。でも、できれば未来のモンゴル代表がワールドカップに出られたらうれしいですし、年下のモンゴルの子どもたちにラグビーというスポーツを伝えたい。リーチさんがやっていることから学ぶことは大きいですね」(ノロブ)
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「どれだけ鮮明に夢を描くかが大事。そうすると、そのために何をすればいいか自ずと出てくる。あとは自分がやるかやらないか、ノロブ次第です。本当、楽しみですよ。誰も歩いたことのない道を彼は歩いている。私としてはいくらでもサポートしたいですし、もしリーチとノロブが同じピッチに立って、それがワールドカップだったら泣きますね(笑)」(古田)
「ラグビーを日本だけじゃなくてアジアに広めていく夢は嬉しいですね。私も北海道でラグビーをどんどん広めたいという夢がありました。それが今、日本を越えて世界に広がっているのがすごく嬉しいです」(佐藤)
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「ノロブは体格もルールもゼロからスタートして、日本語も分からないし、食生活も全然違う。そこから立派なラグビー選手になったのは感動的でした。それも幹夫先生の指導があったからできたと思います。彼の試合を見ると、僕もまだまだ頑張りたい、やらないといけないなと思うんです。すごく良い刺激をもらっていますね。今はラグビーに夢中になっていてほしい」(リーチ)
そして、最後にこう言った。
「僕が現役を続ける理由の一つがノロブ。一緒にプレーしたいね」(リーチ)
「はい、頑張るしかないです!」(ノロブ)
リーチ選手から投じられたパスをしっかりと受け止めたノロブ選手は、憧れの先輩から「現役を続ける理由」と言われるまでに大きく、頼もしく成長している。でも、まだまだ道の途中。リーチ選手の夢を自分の夢に置き換えて、もっともっと大きくしていく日が将来きっとやって来るだろう。そうしてリーチ選手の想いは次の世代、そのまた次の世代へと、アジアラグビーの明るい未来というトライに向かって繋がっていく。
リーチ選手、ノロブ選手の人生を大きく変えたように、ラグビーというスポーツはこれからも多くの人々の人生をもっと豊かなものにしていくはずだ。スポーツが紡ぐ国を越えた絆は、これからも関わる人の心を明るく照らしてくれることだろう。
text by Atsuhiro Morinaga(Adventurous)
edited by Adventurous
photo by Yuito Kokubu
※本記事はパラサポWEBに2024年7月に掲載されたものです。
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