箱根駅伝を主催する関東学連に、戸塚中継所を提供するトヨタの販売店 「箱根駅伝」知られざる当日の舞台裏に迫る

柴山高宏(スリーライト)
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提供:トヨタ自動車

【撮影:熊谷仁男】

 1920年に第1回大会が開催され、2024年に記念すべき100回目を迎えた箱根駅伝。

 正月の風物詩となって久しいこの大会は、主催する学生自治団体である一般社団法人関東学生陸上競技連盟(以下、関東学連)の学連幹事、各大学の主務、マネージャーといったサポートスタッフはもちろん、警視庁と神奈川県警察の白バイ隊員や沿道の自治体、大会関係車両を提供し、ドライバーを派遣しているトヨタ自動車をはじめとする企業など、実に多くの裏方によって支えられている。

 この連載では、箱根駅伝を支える裏方たちによる、知られざる物語を紐解いていく。第2回は、箱根駅伝を運営する関東学連の学連幹事と、8区と9区の中継地点「戸塚中継所」を提供するウエインズトヨタ神奈川の社員による、箱根駅伝当日の知られざる舞台裏を紹介する。

箱根駅伝を主催する「関東学連」とは

 12月中旬。本連載の取材班は、渋谷・千駄ヶ谷にある関東学連の事務所を訪ねた。ここに来るたびに驚くことがある。それは、飛び交う会話と作業風景が、社会人のそれと何ら遜色がないということだ。電話への応答は迅速かつこなれていて、若手というより中堅社員のよう。名刺の受け渡しの所作も洗練されており、余裕すら感じさせる。

「社会人になってから覚えるようなビジネスマナーを、ここでは学生時代から身に付けられる。何より、箱根駅伝の運営に携わることができるのは、関東学連に在籍している学生時代の4年間だけ。とても貴重な経験をさせてもらっている」

 そう語るのは、関東学連幹事長の次呂久直子(じろく・なおこ)だ。

 関東学連は日本の陸上競技界最古の連盟組織だ。第1回箱根駅伝の前年にあたる1919年に創立され、箱根駅伝とその予選会を主催している。他にも、5月に行われる関東インカレ、6月に行われる全日本大学駅伝の関東地区選考会など、さまざまな大会を主催している。

 第101回箱根駅伝に向けた準備は、8月末に始まった。実行委員会を立ち上げ、共催の読売新聞社とともに警視庁、神奈川県警察へあいさつ回りを行う。そして、鶴見、戸塚、平塚、小田原の4つの中継所を担当する4年生の主任を中心に、所轄の警察署と中継所の場所を貸してくれる企業などと打ち合わせを行い、準備を進めていく。

 約40人いる学連幹事の大部分は、前述の4つの中継所とスタート地点、フィニッシュ地点に振り分けられる。他にも、東京陸上競技協会と神奈川陸上競技協会から派遣される審判員を委嘱する「陸協」担当、各大学から派遣される補助員の配置を決める「補助員」担当など、さまざまな担当がある。

 準備段階における幹事長の業務は、学連幹事の業務を監督するとともに、競技実施要項や競技注意事項、応援実施要項といったルールの制定を行う。ちなみに、第101回大会では「給水」で大きなルール変更があったことはご存知だろうか。

「これまで、給水は関東学連が用意した水かスポーツドリンクと決められていたが、大学側からはマラソンのスペシャルドリンクのように、自分たちで用意した飲み物で給水したいといった要望を、以前からもらっていた。そこで、次回から関東学連が用意する水、もしくはボトルを使用し、ボトルの中身は関東学連が用意するスポーツドリンクか、大学側で用意する飲み物とルールを改めた」(次呂久)

各々の業務に取り組む関東学連の学連幹事 【撮影:熊谷仁男】

大会が無事に終わる安堵感

関東学連の次呂久直子幹事長 【撮影:熊谷仁男】

 大会当日。1月2日の往路では、幹事長と副幹事長、スタート地点を担当する学連幹事と緊急対応車に乗務する学連幹事は、5時前には大手町の読売新聞社前に向かう。そして、レース開始の1時間10分前にあたる6時50分に提出される、各大学の区間エントリー変更に対応する。

「箱根駅伝がスタートする8時を迎えるまでは、いつも緊張する。号砲が鳴って、選手が日比谷通りに向かって走り出した姿を見ると、それだけで心が軽くなる。ただ、交通規制が解除されるため、すぐにスタート地点を撤収しなければならず、さらに私は芦ノ湖のフィニッシュ地点へ急行しなければならないので、一息ついている時間はない」

 そう語るのは、常任幹事の金子帆夏(かねこ・ほのか)だ。

関東学連の金子帆夏常任幹事 【撮影:熊谷仁男】

 レースがスタートすると、幹事長は大会本部車に審判長と乗って、隊列の前の方でレース全体を統括する。各中継所を担当する学連幹事は中継所の開設と撤収を行うとともに、運営をサポートする補助員に指示を送る。

 1月3日の復路は、選手が通り過ぎた区間の中継所から順次撤収していく。例年、閉会式はフィニッシュ地点の大手町で15時30分頃から行われるのだが、関東学連の学連幹事がそろうのは、会が終わり、選手たちが会場を去った17時頃になる。

「膨大な時間をかけて準備をしているので、箱根駅伝が終わると大きな達成感を得られると同時に、正直『もう終わってしまうの……』という気持ちになる」(次呂久)

「大きなトラブルがなく無事に大会を終え、久しぶりに仲間たちが揃う瞬間はホッとする。私が1年生の頃は、泣いてしまった同期もいたくらい」(金子)

支えがあって、選手は輝ける

関東学連の次呂久直子幹事長(左)と金子帆夏常任幹事 【撮影:熊谷仁男】

 前回、記念すべき100回目を迎えた箱根駅伝。来春、第101回が行われ、箱根駅伝はまた次の100年へ向けて、新たな歴史を紡いでいくことになる。「あくまでも、主役は走る選手だが」次呂久はそう前置きをしながら、「スポットライトが当たらないところでサポートしてくれる本当に多くの方々のおかげで、箱根駅伝の今がある。私はそのことを1人でも多くの方に知ってもらいたい」という。

「沿道に立って選手の誘導と安全確保を担う2000人を超える走路員は、関東学連に加盟している大学の陸上競技部から派遣された学生たちが務めている。そこには、予選会を通過できなかった大学の選手、16人のチームエントリーから漏れてしまった出場校の選手も含まれているし、短距離や投てきなど、陸上競技部の他のブロックの選手も大会を支えてくれている。さまざまな方の支えがあって、選手たちは輝ける」(次呂久)

「箱根駅伝を支えてくれるのは学生だけではない。東京陸上競技協会と神奈川陸上競技協会から派遣される審判員の中には、何十年も同じ地点で、プライドを持って審判を務めてくださっている方がいる。箱根駅伝が100回継続できたのは、この大会に並々ならぬ思いを抱いている方々の尽力があってこそ。そういうところにも思いを馳せてもらえると、嬉しい」(金子)

 次呂久、金子ら関東学連の学連幹事を筆頭に、膨大な数の裏方によって支えられる箱根駅伝。その新たな歴史が、まもなく幕を開ける。

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