【浦和レッズ】昨季から一転、不遇に陥った安居海渡のスタメン奪還までの軌跡「受け入れてはいなかった。でも…」
【©URAWA REDS】
高校時代も大学時代もサッカー部に入部してしばらくは試合に絡むことができず、活躍し始めた同級生に羨望のまなざしを送っていた。
浦和レッズでプロ入りしてからも、1年目は出場機会に恵まれず、新監督を迎えた2年目の昨シーズンも開幕から2試合はベンチ外だった。
だが、まさに昨シーズンがそうだったように、いずれの時代も次第に指揮官の信頼をつかみ取り、主力としての地位を確立していった。
「自分はいつも出遅れるんですよ。でも、いつかチャンスが来たときに力を発揮できるように、毎日手を抜かずにやり続けていたら、状況はひっくり返ってきた。どこかで逆転するチャンスが必ず来る。それを信じてやっています」
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だが、しかし……。
さすがに今シーズンは、安居にとって厳しい1年になりそうだと思わざるを得なかった。
沖縄トレーニングキャンプではいわゆる主力組であるAチームにも、サブ組であるBチームにも入れず、ピッチサイドで選手数人とパス&コントロールをしている時間も短くなかった。トレーニングマッチに出場するのも3本目や4本目になってから。3月の公開練習ではBチームのセンターバックを務めることすらあった。
ところが、あれから1カ月が経ち、今では昨シーズンと同じように主力としてピッチを駆け回っている。
安居海渡というサッカー選手を見誤っていたと言うしかない――。
そう詫びてからインタビューに入ると、安居は笑みを浮かべた。
「まあ、たしかにキャンプに入ったばかりのころは全然うまくいかなくて、自分の立ち位置がどんどん落ちていくのを感じました。焦りはなかったですけど、監督のサッカーにどう順応していけばいいんだろうかっていう悩みはありましたね」
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「去年あれだけ試合に出たので(公式戦56試合出場)、今年も最初からどんどん活躍して、日本代表に選ばれることも意識していました」
実際、1月13日の始動日にさっそく組まれた紅白戦では主力組で起用され、対外試合初戦となった1月21日の沖縄SV戦でもスタメンで起用された。
「去年あれだけ頑張ったから、今年はこの位置からスタートできるんだな、これを手放してはいけないなって思っていたんですけど、沖縄戦で全然うまくいかなかったんですよね。ボールをまったく受けられなかったし、どう動けばいいのか難しくて……」
新たに就任した指揮官が自身の戦術を浸透させるため、多くのルールを強調するのは、チーム作りの定石である。
いわば、守破離の「守」の段階――。
ペア マティアス ヘグモ監督もそうした手法を取った。
安居が務めるインサイドハーフも当初は「アンカーの位置まで降りないように」「相手DFの背後でボールを受けるように」と、動きやポジショニングに細かい約束事があった。
これが、安居の頭をフリーズさせた。
「役割やポジショニングがけっこうカッチリしていて。それで、うまく動けなかったんですよね。『降りないように』と思っていても、ボールがうまく回っていないと、どうしても受けにいってしまう。自分としてもボールに触れないと焦れちゃうし、良さも出せないので」
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戦術への順応に苦しむ安居がこのころに考えていたのは、チームメートから動きを学ぶということだった。
「監督は敦樹君のプレーを評価することが多くて。敦樹君は中間ポジションで受けるのもうまいし、抜けていくのもうまい。『ああ、こういうプレーが褒められるんだな』『じゃあ、こうすればいいのかな』って、その動きを真似しようと考えていましたね。いろいろ考えながらやっていました」
まだキャンプの段階であり、ポジションにおける序列はシーズンが始まれば変わっていくものだ。安居自身も「悩みはあったが、焦りはなかった」と振り返る。
とはいえ、昨シーズンに公式戦50試合以上に出場した選手にとって、当時の状況は屈辱以外の何ものでもないだろう。そうした苦況で自身の感情とどう向き合ったのか。
「もちろん、受け入れてはいなかったです。心の中では『なんで使ってくれないんだ』『なんで俺の良さをわかってくれないんだ』って思っていました。でも、それを態度に出して、いいことなんて何もないし、そこで不貞腐れてやらなくなってしまうのはもったいないので」
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「小学生のころは、うまくいかないことがあると、ふてっていたんですよ。そこで親父に『不貞腐れることに、なんの意味があるの? こっちもいやな気持ちになるし、お前にとってもいいことなんて何もないよ』って言われて。子どものころはよくわからなかったんですけど、高校、大学と過ごすうちに『たしかにふてるのは無駄だな』って思うようになって」
そうした安居の姿勢がプラスに働いたのが、トレーニング中にサブ組のセンターバックとして起用されたシーンだと言える。
今季のレッズにはセンターバックを本職とする選手が4人いるが、3月10日の北海道コンサドーレ札幌戦でアレクサンダー ショルツが負傷してしまう。それ以降、ゲーム形式のトレーニングで安居がセンターバックに指名される機会が増えていく。
「最初は、なんの意味があるのかなって思ったんです。でも、センターバックをやるメリットを考えたとき、『中盤の選手にこう動いてもらえると助かる』っていうことがわかるかもしれないなって。
そういう意識でセンターバックとしてプレーすると、サム(サミュエル グスタフソン)や(岩尾)憲君のプレーで、『なるほどな』って思えることがたくさんあったんです。『ああ、サムはこういうときは、こういうポジションを取るんだな』とか」
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一方で、自身を理解してくれている先輩たちの言葉にも助けられた。
3月のある公式戦の日のことだ。メンバー外となった選手数人が大原サッカー場でトレーニングを行う際、かつてトップチームのコーチングスタッフだった平川忠亮(現ユース監督)と塩田仁史(現ユースGKコーチ)から声をかけられた。
「ヒラさんとシオさんから『お前の魅力をわかってもらえるのは後々だから。大丈夫だよ』『いまは使われていないけど、絶対に使われるようになるから』と言ってもらって。軽い感じで声をかけられたんですけど、『やっぱりそうだよな』と思えたので、大きかったですね。
自分でも何かが突出したタイプでないのはわかっているので、『良さをわかってもらえるまで、やり続けるだけだな』って」
シーズンが開幕して1カ月ほどが経つと、負傷者が相次いだこともあり、スタメンの顔ぶれに少しずつ変化が生じていた。
安居自身はこの時点ではまだベンチに入ることができなかったが、出場時間を増やしつつあった中島のプレーに大きなヒントをもらう。
「翔哉君って、けっこう自由にプレーするじゃないですか。『あ、それもいいんだ』『じゃあ、俺もやってみよう』って。縛られているような感じから解放された感覚があったんです」
平川忠亮浦和レッズユース監督 【©URAWA REDS】
塩田仁史浦和レッズユースGKコーチ 【©URAWA REDS】
「『コンディションが良くなってきているのはプレーを見ればわかる。それを持続できるように続けてほしい』と言われたんです。自分もちょうど動きがスムーズになってきて、楽しくやれていたので、『監督にもそう見えているんだな』って」
チャンスは、手の届くところまで近づいていた。
待望の瞬間が訪れたのは、4月7日のサガン鳥栖戦だ。81分からピッチに入り、ようやく今シーズン初出場を果たす。
そして、初先発となった4月28日の名古屋グランパス戦で先制ゴールを決めると、5月15日の京都サンガF.C.戦でも地を這うような強烈なミドルを蹴り込むのである。
「シュートが打てる位置に入っていく意識は去年以上にありますね。自分が取れなくても潰れることで、ほかの選手が空くかもしれないので。(いずれもアシストをしてくれた)チアゴ(サンタナ)の視野に、うまく入っていけているんだと思います。『落としてくれたら決めるよ、アシスト付けてあげるよ』っていうくらいのマインドでいます」
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昨シーズンに50試合以上に出場した実力者がまったく試合に絡めていないのだから、獲得を熱望するクラブがあるのも当然のことだろう。
プロとして、活躍の場を求めて環境を変えるという決断をしてもおかしくなかったが、安居はその提案を断った。
「出場機会を求めて期限付き移籍をするのはひとつの選択肢だと思うんですけど、試合に出られないのは、それなりの理由があるから。ここで試合に出られるように、もっと成長すればいいんじゃないかって――」
ここに、安居海渡というサッカー選手の本質を見た気がした。
名古屋戦で値千金の先制ゴールを決め、ヒーローインタビューを受けた安居は、チームメートに遅れてひとりでファン・サポーターへの挨拶に向かった。
そこで、あらためて気づくのだ。25番のユニフォームを掲げてくれるファン・サポーターが昨年よりも増えたということに。
「すごくうれしかったです。あらためて期待に応えたいなって思いました。試合中は集中しているのでよくわからないんですけど、試合後にああやってピッチを回ると、ファン・サポーターの方々の笑顔や声援がよくわかるので、自分にとって大切な時間です」
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昨シーズン公式戦50試合以上に出場しながら、グスタフソンの加入によってサブに回り、しかし、インサイドハーフとしてスタメン起用のチャンスを得ていた岩尾は、自身と同じように昨シーズンとは一転、苦しい状況に置かれる11歳下の後輩について、こんなふうに語っていた。
「海渡はいま、ベンチに入れず、ましてやトレーニング中にセンターバックに指名されることもある。去年の海渡の立ち位置を考えれば、不貞腐れてしまってもおかしくないんですけど、そうせずに本当にプロフェッショナルとして仕事をしている。
その姿は、見ているこっちが感動を覚えるというか。普通の人ではなかなかできないことを、24歳の若さでやれている。変えられない現実のなかで成長している。だから、彼はもっといい選手になるんだろうなって、近くで見ながら感じています」
岩尾の予感が正しかったことは、早くも証明されつつある。
(取材・文/飯尾篤史)
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