杉本博昭 ~やりきった男の矜持~ part.3

チーム・協会

神秘の領域で出会った同期たち

公式デビュー戦となった2011年7月5日の東京ガス戦。この日はナンバーエイトのリザーブとしてメンバー入り 【クボタスピアーズ船橋・東京ベイ】

国連の推計によると、地球上の総人口は2022年の時点で80億人を突破したという。およそ500万年前とされる人類の誕生から現在までにはそれこそ80億人の何倍もの数の人々が存在してきたわけで、そう考えると、延々と続く生命のリレーの中で同じ時代を生き、同じ空気を吸う人との出会いは奇跡のように思える。ましてや、同じ時期に、同じ競技で、同じチームに所属した人との巡りあわせは、もはや神秘の領域である。

僕がここまでラグビーを続けてこられたのはいろんな方々のおかげ、と杉本は語る。振り返ってみるとすべての出会いが尊く、「そうした方々に恩を返すのが僕の生き方」だという。

「だから、感謝の気持ちは絶対に忘れてはならない。それが僕の人生のテーマです」

クボタスピアーズというラグビーチームに導かれたのも、間違いなくアクの強い同期たちの存在があったから。杉本のX(旧ツイッター)を覗いてみると、立川直道らと「同期!」「ブラザー!」と呼び合うポストに、同じ時期に同じ競技で同じチームに所属した男たちの絆の強さが伺える。

「リクルートで来た学生たちには、同期のメンバーはよく見たほうがいいとアドバイスさせてもらっています。入団したあと、コーチ陣は変わっていくかもしれません。でも、同期とはずっとつながっていきます。実際に、僕は3人のヘッドコーチと接してきましたが、同期のメンバーは絶対に変わらないんです」

その同期たちの存在は、クボタスピアーズでラグビーを続ける上での大きなモチベーションとなっていた。神秘の領域でめぐり合い、切磋琢磨した同期たちがいたからこそ、“クボタスピアーズの杉本博昭”がある。ただ、ときの流れは誰にも変えられず、2011年入団組で今もクボタスピアーズに残っているのは杉本のみ。去り行く同期たちの背中を見送りながら、杉本は現役選手として残された時間は決して長くはないことを悟った。

「引退」という選択とその決断

2024年3月23日の埼玉パナソニックワイルドナイツとのトレーニングマッチ。今季で引退とは思えぬプレーを見せ、試合も快勝 【クボタスピアーズ船橋・東京ベイ】

アスリートが100人いれば100通りの引き際の美学がある。満身創痍になりながらも闘志の炎が消えるまで闘い続ける姿は実に美しく、またファンが思い描く全盛期のイメージを保ったまま潔く戦線から退く姿には第一線で走り続けた者ならではの品格が感じられる。

おそらく杉本のそれは、後者に近い。コンデョション自体に大きな問題があるわけではなく、致命的な負傷を負ったわけでもない。しかし、自分が追い求める「ラグビー選手の理想像」と「現実」の間に生じたほんのわずかなギャップに、目をつむることができなかった。

「自分が理想としているものに、メンタルが追いつかなくなってきたんです。これまで最前線でプレーしてきたものの、ここ2、3年は自分のパフォーマンスが波打っていることを感じていました。いいときもあれば、まあまあのときもある。その幅が広がってきたたんです」

そして、大きな理由がもう一つ。これまで杉本のアスリートとしての背骨を形成していた、何事にも揺るがなかった「根拠のない自信」にも変化がみられるようになる。

「こいつに負けてたまるかと、そうした気持ちが薄れてきたのも要因の一つです」

自分に嘘はつけないし、噓をつくとこれまで支え続けてきてくれた人たちに申し訳が立たない。しかしながら、人生のテーマである「恩返し」ができていないうちは、自分の都合だけで現役から退くわけにもいかない。

ただ、そもそも何をもって「恩返し」といえるのか。家族、同期、チームメイト、そしてオレンジアーミーたちが、喜びを感じてくれるものとは何なのか。

フッカーに転向し、第一線で走る続けることもの一つ。そして、入団当初、チームメイトと殴り合っていたころには想像もできなかったリーグ優勝を果たすことも、その一つ。やるべきこと、やらなければいけないことは、やり切ったのではないか。杉本は語る。

「だから…、今がいいタイミングなんだと思います。自分で決断して引退できるというのは、アスリートとしてすごくハッピーなことですから」

現在進行形の「やりきった」

2023年5月20日、クボタスピアーズがついにリーグワン初優勝。ピッチには石川充GMとともに喜びを噛みしめる杉本の姿が 【クボタスピアーズ船橋・東京ベイ】

2023年5月、クボタスピアーズは創部45年目にして初のリーグ制覇を成し遂げた。フッカー転向後に大きな影響を受けたマルコム・マークスとともにシーズンを走り抜き、また自身の参考書ともいえる存在のデイン・コールズとも久々の再会を果たした。ドラマの伏線がすべて、きれいに回収されたような、そんな2023年。

「年末に時間があったので、なぜ僕がここにいるのか、なぜラグビーをやっているのか、改めて考えてみたんです。そこで湧いてきたのが、これまでめぐり合ってきた人たちへの感謝の気持ちでした。これは言葉にして、ちゃんと伝えるべきだと。そう思って、中学や高校の先生、そして同期たちに『急にごめん』『ありがとう』って電話をしました。みんな、めっちゃうざかったと思います(苦笑)」

2024年2月21日、杉本はクボタスピアーズ公式HPを通じて正式に引退をアナウンスした。そこに綴られた「やりきった」というコメント。言葉としては過去完了形であるが、これはあくまで現在進行形の「やりきった」である。昨日もやりきった。今日もやりきった。そして、明日もやりきる。次の試合が最後になるかもしれないし、もしかしたらすでにその一戦を戦い終えているのかもしれない。だから、毎日、やりきる。それしかない。

「ヘッドコーチのフラン(ルディケ)が『フィニッシュストロング』(力強い幕引き)という言葉を使うんです。いつ怪我をするかわからないですし、いつメンバーに選ばれるかもわかりません。そういう状況の中で、自分が果たすべき役割や責任を全うする。これが僕の『フィニッシュストロング』だと思っています」

今日もいい日だったねと、そう思える一日にしよう。すべての出会いに感謝を込めて、これがやりきった男のラストラン――。(この項終わり)

文:藤本かずまさ
写真:チームフォトグラファー 福島宏治


日々、完全燃焼の積み重ね。やりきった男の矜持がそこにある 【クボタスピアーズ船橋・東京ベイ】

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著者プロフィール

〈クボタスピアーズ船橋・東京ベイについて〉 1978年創部。1990年、クボタ創業100周年を機にカンパニースポーツと定め、千葉県船橋市のクボタ京葉工場内にグランドとクラブハウスを整備。2003年、ジャパンラグビートップリーグ発足時からトップリーグの常連として戦ってきた。 「Proud Billboard」のビジョンの元、強く、愛されるチームを目指し、ステークホルダーの「誇りの広告塔」となるべくチーム強化を図っている。NTTジャパンラグビー リーグワン2022-23では、創部以来初の決勝に進出。激戦の末に勝利し、優勝という結果でシーズンを終えた。 また、チーム強化だけでなく、SDGsの推進やラグビーを通じた普及・育成活動などといった社会貢献活動を積極的に推進している。スピアーズではファンのことを「共にオレンジを着て戦う仲間」という意図から「オレンジアーミー」と呼んでいる。

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