【浦和レッズ】双子の弟の存在、2度の大怪我…サミュエル グスタフソンは話好きのナイスガイ「新しい冒険は期待通り」
【©URAWA REDS】
しかし、その人物像は、見事に覆された。
いや、不真面目だというわけではない。スウェーデンからやってきたサミュエル グスタフソンは話好きで、ユーモアあふれるナイスガイだった。
インタビューが始まる前には「僕の人生はなかなか興味深いものがありますよ。なんでも聞いてください」とニヤリとしたり、インタビュー終了後には松下イゴール通訳に「僕が3つくらいしか話していないのに、イゴール、きみは10くらい話している。僕の喋ってないことまで話してないかい?」と冗談を飛ばしたり。
そんな茶目っ気たっぷりのサミュエルのサッカー人生は、生まれた瞬間から始まったと言っていい。父親のパトリックがプロサッカー選手だったからだ。
実はサミュエルは双子なのだが、弟のシモンもプロサッカー選手で、3歳下のエリアスもプロサッカー選手と、まさにサッカー一家なのである。
「間違いないですね。子どもの頃は父が常にコーチのような存在でした。ただ、父のチームでプレーするより、弟たちや友人と庭や近所の広場でやっていたサッカーのほうがタフでした。僕はこうした遊びのサッカーからいろんなことを学んだんです」
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「兄弟3人でもサッカーをして遊んでいましたが、まだ小さかったエリアスには大変だったと思いますね。だって、2対1では僕とシモンが攻撃、エリアスはずっとディフェンスをやらされていましたから(笑)」
子どもの頃はストリートホッケーやテニスなど、スポーツ全般を嗜んでいたが、10代になるとサッカー1本に絞っていった。そんなサッカー少年の心を捉えたのが、スペインのサッカーだったという。
まるで少年のような笑みを浮かべ、サミュエルが熱弁する。
「攻撃的なスタイルが大好きで、バレンシアCFとFCバルセロナに惹かれました。特に子どもの頃はバレンシアのファンで、ダビド ビジャ、ダビド シルバ、フアン マタ、(ルベン)バラハ……誰かひとりではなく、みんな好きでしたね。
そのあとは、バルサです。ティキタカに夢中になって、シャビ、(アンドレス)イニエスタ、(セルヒオ)ブスケッツをよく見ていました。コンビネーション、パス、ボールをもらう角度、立ち位置……そこに僕はサッカーの美しさを感じます。そうした美学や哲学は、スペインサッカーの影響でしょうね」
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「初めての海外挑戦で、いいチームに入って、ここからサッカー人生が大きく動いていくというタイミングだったので、悔しかったですね。実は4年後にヘッケンに戻ったときも、今度は右の股関節を痛めて同じように半年間、サッカーができませんでした。ターニングポイントと言えるかどうかはわかりませんが、2度の大怪我は大きな出来事でしたね」
だが、サミュエルはこの出来事をネガティブには捉えていない。むしろ、2度の困難が自身の心と体をさらに強いものにしてくれたと受け止めている。
「リハビリをしている最中は純粋にサッカーがしたくなるので、子どもの頃に庭でサッカーをしていたときのような初心に戻れました。人生について考えたり、自分と向き合ったり。再び上に登っていくために何が必要なのか、そのプロセスを見直すきっかけにもなったんです。復帰までの過程を楽しめたと思いますね」
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“天職”との出会い――アンカーへのコンバートである。
導いてくれたのは、ヴェローナ時代の指揮官、ファビオ グロッソだった。
「イタリアに行くまでの僕は4-2-3-1のトップ下、10番の位置でプレーしていて、今よりももっとオフェンシブな選手だったんです。イタリアでは今(浦和レッズ)と同じようなシステムの8番(インサイドハーフ)で起用されることが多かったのですが、ファビオ グロッソ監督が僕を適切な位置に導いてくれたんです。
実際にプレーしてみて、自分のスキルセットは6番のほうが合うと感じたので、彼には感謝しています。それからですね、よりチーム全体を見ながらプレーしたり、プレス回避やビルドアップに多くの意識を割くようになったのは」
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「シモンは僕がトリノに行く1年前にフェイエノールトに行きました。彼とは子どもの頃から切磋琢磨してきた仲で、同志であり、ライバルです。人生の経験をたくさん共有してきました。これは双子にしかわからない感覚でしょうね(笑)。互いへの理解が深いから、ピッチ内でも互いに何がしたいのかが手に取るようにわかり、僕たちは1+1を3にすることができた。シモンと一緒にプレーするのは、本当に楽しいことです」
翌22シーズンにペア マティアス ヘグモ監督のもとでクラブ史上初となるリーグ優勝を成し遂げると、直後に行われた11月のメキシコ戦に招集され、代表デビューを果たす。その後もスウェーデン代表にコンスタントに名を連ね、キャリアを順調に積み上げていた。
浦和レッズからオファーが届いたのは、そんな頃だった。
まったくの異文化圏である極東の地に赴くのは、簡単な決断ではなかったに違いない。
ところが、サミュエルはあっけらかんと言う。
「躊躇はまったくなかったですね。迷い? いったい何に迷うというんですか(笑)。ヘッケンではリーグ優勝も、カップ戦優勝も果たしました。ヨーロッパの舞台でもプレーし、代表チームの一員にもなった。僕にはさらなるチャレンジが必要だったんです。
それに、イタリアでは怪我もあって、思い描いたような活躍はできませんでしたが、異なる国で新しい文化や言語に接し、人として大きく成長できたという感覚がありました。浦和レッズのようなビッグクラブでのチャレンジに僕は飢えていたし、アジアという未知の世界だからこそ、飛び込んでみたいと思ったんです」
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「ヘッケンで素晴らしい時代をともに過ごした監督ですからね。人間的な部分だけでなく、戦術的にも優れたものを持っている監督です。新しいチームに行くときは、どのようなタイプの監督なのかも重要な判断材料です。だから、マティアス監督の存在は大きかったです。それに、西野(努)テクニカルダイレクターやほかのクラブ幹部とも話をして、なぜ、僕を必要としているのかも聞いて、納得しました。
だから、何も悩む必要はありませんでしたね。もちろん、東京に着いたと思ったらすぐに沖縄に移動して、今度は浦和と慌ただしくて、『子どもが生まれたばかりだというのに、僕はいったい何をしているんだろう?』と思った瞬間もありました(笑)。でも、みんな、優しくしてくれますし、新しいアドベンチャーは期待通りだと感じています」
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「(岩尾)憲は英語を話せるし、日本語を教えてくれたりします。憲の人間性は素晴らしいですね。もちろん、みんなと話すようにしていますが、ヨーロッパの選手たちでグループになりやすいのも確かです。
そうそう、先日は(アレクサンダー)ショルツと彼の家族、マリウス(ホイブラーテン)とうなぎを食べに行ったんです。初めてでしたが、気に入りました。今のところ、すべての日本食が美味しいです。焼肉、そば、ラーメン……食べすぎないように気を使っています(笑)」
どうやらピッチ外での適応は順調らしい。では、ピッチ内ではどう感じているのか。
サンフレッチェ広島との開幕戦を0-2で落としたレッズは、5万人を超える大観衆が詰めかけたホーム開幕戦でも東京ヴェルディに苦戦を強いられ、終了間際のショルツのPKでかろうじて1-1のドローに持ち込んだ。
「みなさんが不安に思うのもわかります。ただ、今は新しいスタッフがやってきて、昨年とはまったく異なるスタイル、トレーニングに取り組んでいるところです。チームのみんなも少し戸惑っているのが感じられます。僕自身もまだ、みんながどんな選手で、どんなことを考えているのか理解を深めている最中です。
明らかなのは、このチームには素晴らしい選手が多いということ。経験のある選手、力のある外国籍選手、若くハングリーな選手が揃っています。取り組んでいることは間違いないので、しっかりとしたプロセスを踏んでいけば、近い将来、みなさんに強いチームをお見せできると確信しています」
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「チームは今、新しい時代に向けてさらに歩みを進めているところです。僕たちも毎日、すべてを尽くしてチームを構築しています。そのプロセスを一緒に楽しんでほしい。もちろん、みなさんのサポート、熱は感じています。
アウェイの広島でみなさんの歌声を聞いたときは鳥肌が立ちましたが、埼玉スタジアムの雰囲気はその何倍も素晴らしく、言葉では言い尽くせない感情になりました。再び埼スタでプレーするときが待ち遠しくて仕方ありません。次こそ一緒に喜び合いたいです。一緒に闘ってください」
北欧から極東の地にやってきた29歳の青年は、真っ赤に染まるスタジアムで長いサッカー人生の新たなステージに挑む。
(取材・文/飯尾篤史)
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