【鹿島アントラーズ】勝利に導く「新たな風」は俺たちだ! 松村優太が得た“自信の理由”と“自身へのプレッシャー”の背景とは。

鹿島アントラーズ
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【©KASHIMA ANTLERS】

「また来たか、と思いましたね」

 今年から新たに就任したランコ ポポヴィッチ監督のもと、鹿島アントラーズの2024シーズンが始まった。宮崎キャンプ前、クラブハウスの練習で選手がふり分けられると、ふと気がついた。“自分は主力組ではない”、と。

 今年の夏、パリ五輪が開催される。4月に実施される「AFC U23アジアカップカタール2024」で、その出場権をかけて戦うことになる。松村はパリ五輪世代の日本代表メンバーに長らく名を連ね続けてきた。注目されるシーズンであることを自覚しているからこそ、宮崎キャンプ前に行われたオンライン取材では、「自分がチームを引っ張っていく存在でなければならない」と言葉にした。

「昨年の活躍があったから、今年は松村ではないか。周りの目からはそういうものがあると思うんです。実際に今年はメディア対応も増えています。そのなかでの言葉は、批判でも驕りでも慢心でもなくて。その覚悟を口にしたときぐらいから、主力組ではない状況だったけど、やっぱり昨年の自信もあったから、自分にプレッシャーをかける意味もあったんです」

酒井高徳を対面に知った“広がった感覚”

 昨シーズンは初めての悩みに直面した。ケガはない、プレーも悪くない、それでも出場機会が限られた。松村はこう振り返る。

「前半と後半でまったく違うシーズンでした。前半は特にチームの結果や個人としてもすごく苦しかった。でも、しっかりそれを飲み込んで吸収していったからこそ、最後に代表でのゴールも含めて結果につながった。今まではケガでプレーできない苦しみだったけれど、昨シーズンはケガはない。自分は全然できているし、動けている。それでも、結果が出せない。試合にもなかなか勝てない、なんならベンチにも入れない時期もあった。その意味ですごい苦しみだったけど、最後はこれまでのプロ生活で一番達成感があったんです」

 転機は夏過ぎに訪れた。継続して続けてきた左足のシュートにスイッチが入った。

「ずっと続けてきたことが結果に表れたのが大きかった。なんかふと体とか脳とかのスイッチが切り替わったのか、もう打てる感覚になったんです。自主練をしていてもシュート練習をしていても、今まで10本打てば5本いいところにいくくらいだった。それが、8、9本に増えたタイミングがあったんですよね」

 “左で打てる”というイメージが結果に表れ、ピッチ上での変化を実感した。10月21日、国立競技場で行われた明治安田J1第30節神戸戦のことだ。

「分かりやすいシーンで言えば、国立の神戸戦で点を取ったシーン。まず柴崎選手がパスを受けて前を向いたとき、僕の対面が酒井高徳選手だったんです。海舟くん(佐野選手)が右サイドをオーバーラップしたのもあったと思うんですけど、やっぱり酒井選手の頭にも僕のプレースタイルがあったと思うんです。最初は縦をちょっと警戒して動いたんですね。それで、間があって中に入ってそのままシュートを打った。中と外、その2つの選択肢があれば、空いている方に行けばいい。それができたのは、やっぱり大きい。相手の状況に応じて判断を、スイッチを変えられるようになったのは大きな成長かもしれません。1つ広がったという感覚がありました」

 11月18日にはU-22日本代表とU-22アルゼンチン代表の親善試合が行われ、5-2の逆転勝ち。松村は前半終了間際から出場。縦への仕掛けからクロスで勝ち越しを演出すると、左足ミドルシュートを決めて勝利に貢献した。

「注目される試合で結果を残すことは、記録に残るし人の記憶にも残る。U-22日本代表の試合は地上波で中継があって、そこで結果を出せた。今までで一番自分の名前が日本サッカー界に残ったシーズンになったかなと思います」

”二軍”からの逆襲で得た、チームを引っ張る立場の重要性

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 積み重ねた自信に加えて、昨季にもう一つ松村をひと回り大きくしてくれた経験があった。U-22日本代表として参加したアジア競技大会での経験だ。惜しくも決勝で韓国に敗れ準優勝に終わったが、チームを引っ張る立場になる重要性を教えてくれた。

「当初、悔しかったんです。選ばれたことのうれしさはありながら、二軍だとも言われていた。初招集だったり大学生が多く、練習着はどれを着ればいいのかという選手も多かった。そのなかで、僕はかなり選出回数を重ねていたので、いい意味で代表に慣れて、日の丸を背負う意義や覚悟みたいなものもわかっていた。そこで自分がまとめないといけない、引っ張っていかないといけない覚悟がより強く芽生えたんです」

 松村に加えて数人の代表歴が長い選手たちは、「みんなで集まってざっくばらんにコミュニケーションを取った」ことで徐々にチームをまとめていった。チームを作っていく意味で、その経験は大きかった。

「そういう立場になる、そこに身を置くことによる成長速度、それによって得られる結果を体験することができました」

 それゆえ、今シーズンにかける思いは強かった。

 2月10日に行われたプレシーズンマッチ水戸戦。松村はメンバー入りするも出場機会なし。松村自身、今の立場を理解している。そして、出場機会を得て結果を残せば、一気にポジションを引き寄せられることも。

「そっちに持っていくべきですよね。どの選手にも得意なこと不得意なことがあるわけで、全員が同じ選手になる必要ない。そのなかで、誰がどう考えても僕のプレースタイル的に今求められていることが課題としてある。でも、それを吸収してやっていける自信はあるし、今までもやってきたこと。昨年もそうだし、ザーゴ監督のときも、相馬監督のときもそう。ずっと自分の課題としている部分を求める監督だったわけで、それを跳ね返して自分のものにしながらやってきた自信があるので」

 監督の求めることを表現しながら、選手としての個の強みをその上に乗せて表現していかないと信頼は勝ち取れない。

「今は苦手でなかなか難しいことでも、それを習得してしまえば、それが得意な選手よりも上回ることができる。だって、僕には他の武器があるから。そう考えると、僕の方が絶対に有利なんですよ」

 これまでタイトルを掲げるも不甲斐ないシーズンが続いた。「口だけならいくらでも言える」と、今年の覚悟は結果として表現するつもりだ。まずは2月23日に開幕するリーグ戦でのメンバー入り。ポジション奪取に向けて、松村優太は誰よりも前を見据えている。

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著者プロフィール

1991年10月、地元5自治体43企業の出資を経て、茨城県鹿島町(現鹿嶋市)に鹿島アントラーズFCが誕生。鹿角を意味する「アントラーズ」というクラブ名は、地域を代表する鹿島神宮の神鹿にちなみ、茨城県の“いばら”をイメージしている。本拠地は茨城県立カシマサッカースタジアム。2000年に国内主要タイトル3冠、2007~2009年にJ1リーグ史上初の3連覇、2018年にAFCアジアチャンピオンズリーグ初優勝を果たすなど、これまでにJリーグクラブ最多となる主要タイトル20冠を獲得している。

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