【対談】武岡優斗×小林悠「思い出とケガとの向き合い方」

川崎フロンターレ
チーム・協会

【©KAWASAKI FRONTALE】

2020年にプロサッカー選手を引退した武岡優斗さんが働いている再生医療関連事業の企業 セルソース株式会社とメディカルパートナー契約を締結しているフロンターレでは自社ブランドの「PFC-FD™」(自身の血液を採取してPRPを抽出し、さらに無細胞化しフリーズドライ化したもの)を提供し、痛みを抱える選手たちの助けとなっています。そこで今回は「PFC-FD™」を活用している小林悠選手とクラブOBでもあるセルソース株式会社の武岡優斗さんと様々なことを語り合ってもらいました。

対談中も仲の良さが伝わり、笑顔が弾けていた 【© KAWASAKI FRONTALE】

──まず武岡優斗さんと小林悠選手は2014年から2018年までフロンターレで一緒にプレーした間柄ですが、どのような関係性を築いていたのでしょうか。

小林「僕が右サイドハーフをやっていたときユウトくん(武岡)が右サイドバックだったので縦の関係を築いていました。とにかくユウトくんは守備の達人。対人でほとんど負けない選手だったので、ユウトくんに守備を全振りで任せていました(笑)。ユウトくんも『守備は任せろ』と言ってくれていたので攻撃に専念できましたよ」

武岡「たしかに一緒に右サイドをやっていたときは『守備に戻ってこなくていい』と言ってましたね。自分が前のポジションをやっていたときに、後ろに戻りたくないときがあったから少しは気持ちが分かるというのもある(笑)」

小林「あとはよくご飯に連れて行ってもらいました。ユウトくんは顔が広いし、たくさん美味しいお店を知っているんですよ」

武岡「タッピー(田坂祐介/現・強化部)とかノボリ(登里享平)ともよく行ったね。月1くらいで行ってたっけ?」

小林「いや、もっと行ってたよ」

武岡「あと、ごめん。ちょっと話が変わるんだけど、さっきから俺のことを『くん付け』しているのが気持ち悪いんだけど…(笑)」

小林「あ、そっか(笑)。一緒にやっているときは呼び捨てだったもんね。最近、会えていなかったから少し距離を感じて『くん付け』しちゃってた。でも当時から『くん』呼びもしてたよね?」

武岡「たしかに『くん』が入っているときと、入ってないときがあったかもしれない」

小林「ユウトくんは先輩後輩の壁を作らない人ですから。優しかったなあ」

──いま武岡さんがピッチ外から小林選手のプレーを見て感じることはありますか?

武岡「あのギラギラは当時から何も変わっていないです。ゴールで会場の雰囲気を180度変えることができるし、人を感動させるゴールを取れるのがユウ。自分が客観的にテレビやスタンドから見るようになって改めてスゴいなって」

小林「元サッカー選手に言ってもらえるのは嬉しいなあ」

武岡「今まで色んなストライカーを見てきたけど、あれだけ感情を揺さぶれる選手は少ないよ。もちろん一緒にプレーしてきたときも感じていたけど、客観的に見ることが多くなった今は特にゴールを取った瞬間は鳥肌立つ。だから、みんな小林悠のゴールが好きなんだと思う」

小林「いやー、嬉しい(笑)」

J1第30節 福岡戦。チームの勢いに火を付けた小林悠の同点ゴール 【© KAWASAKI FRONTALE】

──そんな武岡さんから小林選手に聞いてみたいことはありますか?

武岡「ユウの本音を聞きたいんだけど『小林悠にとって川崎フロンターレとは』。あんまり聞かれたことないでしょ?」

小林「改めて聞かれたことないですね。今、パッと浮かんだのは等々力の風景。自分がゴールを決めてサポーターと一緒に喜びを分かち合えるのがフロンターレってことかな。あとは2017年の初優勝が浮かんでくる」

武岡「数々のタイトルを獲ってきたと思うけど、あれに勝るものはないよね。待ちわびた初優勝で、最後の追い上げ…。あれを超えるものはないんじゃないかな」

小林「本当にスペシャルな優勝でしたね」

武岡「あともう一つ聞かせて。『小林悠にとってのゴールとは』。ピッチ上でゴールを欲している選手は俺が知っている限り大久保嘉人かユウしかいない。それを隠すことなくさらけ出しているから聞いてみたいなって」

小林「生きてるって感じる瞬間かな」

武岡「それこそアウェイの京都戦(J1第11節 1-0◯)で決勝点を決めたあとに11番のユニフォームを掲げたパフォーマンスが印象に残ってる」

小林「あの日はスタンドで自分のユニフォームを着ている人たちに向けて『俺はここで生きているんだぞ』と見せたかった。あと普段はハーフタイムに動画なんて見ないなんだけど、次男坊が『パパ絶対に決めて』って言ってるのを見て自分を奮い立たせていたのもあった。本当にゴールは自分が生きていると感じる瞬間だし、色んな辛い思いや痛い思い、メンバーに入れなくてイライラするときもあるけど、サッカーをやっているのはゴールのため。それが全てだから」

武岡「かっこいい」

小林「これ本当ですからね(笑)。今シーズンは色んな葛藤があったし、出られないときもあった。そのなかで家族の支えを感じたり、色んなプレッシャーを乗り越えて点を取るときに『俺は生きてるぞ!』って」

武岡「ユウの性格も知ってるし、人間性も知ってるからこそ苦しい状況で折れるような選手でも、ふてくされる人間でもないことは分かっている。そのなかでピッチ上で『チームを助けたい』『結果を出したい』『自分のゴールでチームを勝たせたい』という強い思いが伝わるからこそユウの姿にグッと来るんだよね」

小林「嬉しいな。でもユウトくんもディフェンスで観客を沸かせていましたよね。俺、守備で会場が『うおー』ってなる選手見たことなかったもん」

守備で観衆を沸かせた武岡優斗さん 【© KAWASAKI FRONTALE】

武岡「あの瞬間は楽しかった」

小林「1対1になった瞬間に勝つと思ってた」

武岡「でもプレッシャー半端なかったよ」

小林「抜かれたときを考えるとね(笑)」

武岡「そうそう(笑)。最初は一生懸命やっていたら勝てるようになってきたけど、周りが対人強いと評価するようになってから、自分はそこを求められているんだと認識した。そこからがキツかった。だって勝って当たり前なんだから。負けないために頑張ってた」

小林「まじでスゴかったよ」

武岡「でも2014年とかは練習から能力の高い選手とマッチアップするから大変だった」

小林「あのときのFW陣はレナト、ヨシトさん(大久保嘉人)、俺だったよね」

武岡「トップ下はケンゴさん(中村憲剛FRO)とリョウタ(大島僚太)…。そんなスゴいメンバーと1年間戦うんだよ」

小林「そりゃあ対人強くなるよね(笑)」

武岡「だって試合でケンゴさんより面倒くさいパスを出す人いないし、ユウみたいに面倒くさいオフザボールの動きをする選手もいないし、レナト以上の選手もいない。だから対人の強さも、あの環境があったからこそ」

小林「あと練習も短いなかで強度が高かった。だから判断も早くなるし、自然と強度も高くなる。やっていて楽しかった」

武岡「よく喧嘩もしてたよね。でも練習が終われば仲良しで(笑)」

小林「してた(笑)」

武岡「覚えてるのが新井(新井章太/現・千葉)にユウが『出せよ』って言ったら新井が『出しても取られんだろ! 出せねーよ!』って言ってたこと。でも終わったらユウが『ショウタ、昼飯行こ』って言ってたから嘘でしょって(笑)。お互いがリスペクトして、高い要求をしているからこそ見られたシーンだった思う」

小林「ヨシトさんとかパスを要求したら怒るからなあ。ヘイヘイって呼ぶとシュート打つときに集中できないから言うなって(笑)。俺もよくケンゴさんに文句言ってたなあ」

武岡「言ってたね」

小林「今のタイミングで出せよ!とか(笑)」

武岡「ケンゴさんに言えるのはユウぐらい(笑)」

小林「ヨシトさんもびっくりしたって言ってた。ケンゴさんに言う人いるんだって」

武岡「それぐらいみんなバチバチだったよね」

小林「楽しかったなあ」

2023年3月。セルソース株式会社にて撮影 【© KAWASAKI FRONTALE】

──小林選手はセルソース株式会社で働いている武岡さんを見て感じることはありますか?

小林「選手の寿命を伸ばそうと働いている姿を見てスゴいなと。ユウトくんが膝をケガしている時期も知っているし、自分自身が苦しんだからこそケガをしている選手たちの力になりたいと思って今の仕事を選んだと思います。そういった選択をしたことも含めて尊敬しています」

武岡「サッカー選手とは訳が違うから大変だよ」

小林「やっぱり大変?」

武岡「最初は大変だった。ユウってパソコン使える?」

小林「まったく使えない」

武岡「俺も全く使えなかった。今では少し使えるようになったけど、まだまだ。あとはビジネス用語の横文字が当たり前のように飛び交うし。例えばアジェンダとか分かる?」

小林「分からない」

武岡「会議の議題のことを言うんだけど、それ以外もたくさんあるから覚えるのはけっこう苦労した」

小林「そういうの聞くと俺は無理かも…(笑)。本当に尊敬するよ。今のユウトくんの話もそうだけど、同級生に会社の話を聞くことがあるんだけど、何回聞いてもスゴいなって思うし」

武岡「でもね、今の仕事をしてサポーターが週末を楽しみにしている理由がすごく分かった」

小林「そうだよね。そこに向けて仕事を頑張って応援してくれているということだもんね。感謝を噛み締めてやっていかないといけないな」

──いま小林選手はセルソースのPFC-FD™を打っていますが、2人は治療関連でどのようなコミュニケーションをとっているのでしょうか。

武岡「僕はPFC-FD™を打った本人がどう感じるかを知りたいので、直接聞いたりしています。ユウは打ってみてどうなの?」

小林「すごく感触がいいです。打ったあとはすごくラクになりますし。実はセルソース製を打つ前に別の会社が作っているものをシーズン終了後に自腹で打っていました。そのなかでユウトくんがセルソースに入って、フロンターレと契約を結んでくれたからセルソース製のものを無償で打てるようになりました。値段が高いので1回打つのに躊躇していることもあったけど、今では痛いときにすぐ打つことができるのは本当に有り難いです」

──治療の一つの選択肢としてPFC-FD™があるのは大きなことですよね。

小林「そうですね。もし手術することになったとしても、PFC-FD™を打つことで痛みがなくなるなら手術はしたくない。リハビリ期間の短縮にもなるだろうし、選手としては選択肢が広がりました。あと僕は副反応もなくて、連戦でも安心して打つことができているので、すごく助かっています」

武岡「ユウが何回か採血しているようで、けっこう気に入ってくれているんだなと感じていたし、今の言葉を聞けて嬉しいですね」

──サッカーを続けていれば、どこかしら痛む箇所は出てくると思うのですが、ケガとはどう向き合ってきたのでしょうか。

小林「ケガをしないために色んな準備をして努力をしているなかで、それでもケガをすることがあります。その回数は多いですが、ネガティブになりすぎずにいいコンディションで復帰できるように取り組むこと。前向きにやることが1番だと思います」

武岡「俺は逆かもしれない。メンタルの浮き沈みが激しかった。初めて手術したときはポジティブとネガティブを繰り返していたし、2回目のときは割り切るというか『やるだけやってダメならしょうがない』という感覚だった。そんな自分を受け入れることができてからだいぶラクになった感じはある」

小林「長く付き合っていくには受け入れるしかないところもありますよね」

武岡「痛くない日はないからね」

小林「そうそう。しょうがないと思ってやるしかない」

武岡「どれだけ痛くなかった頃の自分を追いかけても戻ることはない。だったら今の自分でどう戦っていくかを考えないといけないから」

小林「ケアも自分に何が1番合うのかを探しながらやっていました」

武岡「あとはめっちゃ人に聞くこともあるよね。俺は他クラブの選手やドクターにも膝の治療が上手い人を教えてもらったりもした」

小林「痛みがなくなるのであればなんでもしますよね」

まだまだ進化し続ける小林悠 【© KAWASAKI FRONTALE】

──ケガをする前後でケアをする意識も変わりましたか?

小林「今でもケアに関しては試行錯誤しています。一時期はやれるだけやっていたけど、今は少し変わってきて配分するようにもなりました」

武岡「36歳、進化しているね」

小林「筋トレしたほうが調子いいときもあるから、そっちに変わってきているのかなと」

武岡「俺も常に試行錯誤してた」

小林「正直、何をどうしたらいいとか分からないんですよ。例えばすごく痛いときに、痛くなかったときは何をやっていたかを思い出してみるけど、それが正解なわけでもない。だから一時期、膝ノートをつけてました。気温や湿度、膝の状態を細かくメモしてどんなときに痛むのかを探りたくて。でも、結局何も分からなくて3ヶ月ぐらいでやめちゃった(笑)」

武岡「天気も雨だったり寒い日だったり気にしだしたらキリがないよね」

小林「そう。キリがない」

武岡「そこに自分が引っ張られる感覚がある。脳が寒くて痛いと判断しているから、体は大丈夫なのに膝が動かないとか。あと朝起きてからの1歩目ね…」

小林「めっちゃ分かる」

武岡「寝ている間は痛くないのに起きた瞬間に痛みがくる」

小林「俺はアキレス腱とか階段を降りるときに感じる。しかも、その日によって痛みが違うし。痛みがあると最悪な朝ですよ」

武岡「痛みがある人はここから始まるからね。だからサッカー選手はみんなそうやって頑張っているんだと思って見てほしいな。みんなどこかしら痛いなかでも気持ちを奮わせてやっているから」

──では、最後に締めの言葉をいただきたいと思います。

小林「僕の選手寿命を1年でも伸ばせるように、よろしくお願いします!」

武岡「引退するまで、全力でサポートさせていただきます!」

──楽しい対談ありがとうございました!

武岡&小林「ありがとうございました!」

(取材:高澤真輝)

※PFC-FDはセルソース株式会社の保有する登録商標です。
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著者プロフィール

神奈川県川崎市をホームタウンとし、1997年にJリーグ加盟を目指してプロ化。J1での年間2位3回、カップ戦での準優勝5回など、あと一歩のところでタイトルを逃し続けてきたことから「シルバーコレクター」と呼ばれることもあったが、クラブ創設21年目となる2017年に明治安田生命J1リーグ初優勝を果たすと、2023年までに7つのタイトルを獲得。ピッチ外でのホームタウン活動にも力を入れており、Jリーグ観戦者調査では10年連続(2010-2019)で地域貢献度No.1の評価を受けている。

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