【MGC】男子レポート&コメント:小山直城・赤﨑暁がパリ五輪マラソン日本代表に内定!上位4名がトラックレースにもつれ込む白熱した戦い
【アフロスポーツ】
前回のMGCは競技場建設中のため、また、東京オリンピックではマラソン自体が札幌で開催されたことにより、今回、初めて国立競技場が発着点に。また、幻となった東京オリンピックのコースを一部使用しつつも、直線に近い周回路(2周)や6箇所の折り返しなどが盛り込まれるなど、近年の世界大会で多く採用されているタイプを反映させたコースが、この大会のために設けられました。男子は、2021年12月から始まったJMCシリーズで進出条件を満たした選手67名のうち61名が出場。上位2選手に与えられるパリオリンピック代表の座を懸けて、“一発勝負”の戦いに挑みました。
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午前8時に号砲が鳴った男子は、天候雨、気温14.5℃、湿度62%(主催者発表によるスタート時のデータ)のコンディションのなかレースが始まりました。スタートしてすぐに、これが130回目のマラソンレースとなる川内優輝選手(AD損保)が先頭に立ち、国立競技場での最初の2周をそれぞれ70秒前後で刻むと、その速いペースのまま大集団を従えてスタジアムを飛び出していきました。川内選手は、外苑西通りに出てすぐに迎える最初の1kmを2分50秒というハイペースで通過すると、その後も、猛然と飛ばしていきます。3kmは8分46秒で通過。最初は川内選手につく気配を見せていた作田将希選手(JR東日本)も含めて2位グループとなった後続の大集団との差をここで7秒にすると、その後もぐんぐんと広げていきます。最初の5kmは、川内選手が14分44秒、縦長の大集団が形成された第2グループは先頭に立った田口雅也選手(Honda)と作田将選手が14分51秒で通過(以下、1kmごとのタイム等は速報値、5kmごとのタイムは大会発表の正式記録による)。川内選手は、10kmを29分41秒(この間の5kmは14分57秒、以下同じ)、15kmを44分44秒(15分03秒)、20kmを1時間00分10秒(15分26秒)、中間点を1時間03分33秒で走り抜けると、20~25kmも15分26秒で刻んで25kmを1時間15分36秒で通過。20km過ぎでいったんは縮まる場面もあった後続との差を、この段階で41秒までに広げて終盤戦に突入していきました。
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その後、28km手前で、細谷選手が接触による転倒で途中棄権するアクシデントもありましたが、レース自体に動きが生じたのは29km手前付近。そこまで第2グループの先頭から少し離れた位置で静かにレースを進めていた大迫傑選手(Nike)が、すっと前に上がってきたのです。大迫選手が29kmを通過したところでトップに出て集団を牽引する展開となったことで集団は解体。それまで同じく集団のなかでレースを進めていた堀尾謙介選手(九電工)、鎧坂哲哉選手(旭化成)、さらには小山直城選手(Honda)、赤﨑暁選手(九電工)らがすぐに反応し、大迫選手を追って前方に姿を現しました。先頭の川内選手が1時間31分15秒(15分39秒)で通過した30kmを、2番手に上がった大迫選手は34秒差の1時間31秒49秒で通過。第2集団は、この5kmで初めて川内選手を上回るラップ(15分31秒)を刻み、本格的な追撃態勢に入りました。
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もう1枚の代表切符を得られる2位争いを制したのは、赤﨑選手でした。小山直選手のスパートを2番手で追った大迫選手を、残り3km手前でかわして前に出ると、40kmを過ぎてからの急な坂で大迫選手と川内選手を突き放して単独2位に浮上。ラスト2.195kmは小山直選手を上回って最速となる6分30秒で走り、悪天候にもかかわらず自己記録に5秒まで迫る2時間09分06秒のセカンドベストでフィニッシュしています(小山選手、赤﨑選手のコメントは、別記をご参照ください)。
この2人に続いたのは、大迫選手。残り2kmを切ったところで、川内選手との競り合いになり、いったん4位に順位を落とす場面もありましたが、再逆転して前を行く赤﨑選手を追いかけました。競技場に入ってからも懸命に追ったものの、赤﨑選手のキックも強く、前回のMGCと全く同じ5秒差での3位フィニッシュ(2時間09分11秒)となりました。4位には、スタート直後から最後の最後まで見せ場をつくり続けた川内選手がフィニッシュ。2時間09分18秒をマークして、130回目のマラソンを、自身17回目となるサブ10(2時間10分切り)でレースを終えています。
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【男子 パリ五輪日本代表内定選手コメント】
優勝 2時間08分57秒
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レースは、自分から仕掛けずに、残り5kmまでは無駄な動きに反応せずに、集中して挑もうと思っていた。あらかじめ仕掛けようと考えていた「ここ」というタイミングはなかったが、ラスト2kmからでは差がつかないので、その前には仕掛けたいと思っていた。
(実際には)残り5kmくらいから上り坂に入るのだが、ラスト3kmから、仕掛けたというよりは、「ちょっとずつペースを上げていこうかな」という感じで走っていたら、後ろの選手が離れてくれた。それは自分にとってはラッキーだったかなと思う。最後の2kmは下り基調だったりと、そんなに後ろとの差がつかない(縮まらない)コース。(それもあって)残り2kmくらいで「今日は勝てたかな」と思った。
<勝因は? との質問に> 今回の雨と風という気候は、自分にとってはけっこうプラスだったので、勝因といえるかもしれない。また、自分はあまり注目されていなかったので、仕掛けやすかったという点もよかったかなと思う。
マラソンには、10000mで27分台を出したあたりから移行しようかなと思っていた(注:初の27分台は、2021年7月に27分55秒16をマーク)。初マラソンは2022年(3月)の東京マラソン(2時間08分59秒)となったが、このMGCへの出場権が獲得できる時期が、ちょうどそのあたりだったため、そこでマラソンを始めることになった。オリンピックは、もともと「テレビで見る」という印象が強いものだったが、パリオリンピックに出たいと思ったのは、マラソンを始めるきっけでもあったので、出られることをとても嬉しく思う。
<自身のターニングポイントとなった出来事は?の問いに> 自分の初めての全国大会は、(埼玉・松山)高校3年のときの全国都道府県駅伝(2015年:優勝)だった。このときに4区(区間賞)を走って、前の区間が、当時Hondaの所属だった設楽悠太さん(現西鉄、男子マラソン元日本記録保持者2時間06分11秒=2018年)だった。そこも陸上人生のターニングポイントだったかなと思う。設楽選手は、同じ埼玉県の出身というのもあって、憧れる選手である。
今後は、まずは一回休んで、チームとして臨むことになる(2024年元旦に行われる)ニューイヤー駅伝(全日本実業団駅伝)でしっかり走れるように準備をしていきたい。その後、自分のなかではもう1本、大阪(マラソン)か東京(マラソン)のどちらかのレースに出場して、パリオリンピックにつなげていければと思っている。
パリオリンピックでは、8位入賞を目指してしっかり頑張っていきたい。パリは気温が高いと聞いているので、オリンピック本番に向けては、まずは暑さ対策、そしてスタミナ強化をしていこうと考えている。
2位 2時間09分06秒
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(今日は)ずっと集団のなかのほうで、無駄な体力を使わずに、ラストで仕掛けてスパートして、しっかりと切符を取ろうというレース運びを意識した。最初に川内選手が出たときは、「後半で追いつくことができるだろう」ということで、途中の折返しで見たときに、(川内選手が)良い表情だったので多少の心配要素はあったものの、「たぶん大丈夫だろうな」という考えで冷静に走ることができた。
<大迫選手と(チームメイトの)堀尾選手についての質問に> 堀尾さんはもともと練習ができていたと聞いていた。また、自分のなかでは大迫さんは絶対に上位に来ると考えていたので、しっかりとマークして、大迫さんが仕掛けたら、そこは自分も対応していかなければならないという思いだった。そこはしっかりと後ろにつき、冷静に対応できたと思う。(40km手前で2位に浮上した)最後は、前の選手に早く追いつこうという気持ち。後ろは気にせずに前だけを見て走った。
マラソンは、過去に2回、別大(2022年2月:2時間09分17秒)と福岡国際(2022年12月:2時間09分01秒)で(結果を狙うレースとして)走っていて、その際に、ラスト35km以降でのペースダウンが目立ったことと、ラスト2kmのペースを上げられなかったことが課題になった。また、(準備に際しての)3カ月分の走行距離が足りていないことも課題となったので、今回のマラソン練習では、その(準備段階における)3カ月の走行距離を増やすことと、ポイント練習でのラスト1本なりラスト1kmなりでペースを上げて切り替えることを重点に置いて練習をしてきた。今回は、今まで以上に一番良く練習ができていた。自信を持って挑めたことが、この結果につながってきたのかなと思う。
自分が「(日本)代表になりたい」と思ったのは、(拓殖)大学4年生(2019年)のとき。10000mのレースで28分27秒くらい(28分27秒90)のいい走りができて、そのときに監督をしていた山下(拓郎)監督から「お前は俺が見てきたなかで、日本人で一番強い男だ」と言われた。その言葉を信じて自分も上のクラスを目指し、「それだったら日本代表を目指して頑張っていこうかな」と思い、そこから自分の夢は、マラソンで日本代表になることになった。もともと実業団に行ってマラソンをやりたいという気持ちがあったので、そこからさらに「もっと上で戦いたい」という気持ちがのちのちついてきたような形である。
本番となるパリオリンピックでは、8位入賞を目指して頑張りたい。
文:児玉育美(JAAFメディアチーム)
写真:アフロスポーツ
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