さらなる成長を目指して、新たな舞台に
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クラブが発表したのは3月19日、磐田との静岡ダービーの翌日だった。リリースには本人からの838文字にも渡る思いが添えられ、最後には21日に三保グラウンドで本人から挨拶があるという記載があった。
急な展開となったが、当日は三保グラウンドに長蛇の列ができていた。最後のメッセージを受け取ろうと詰めかけたのは、約800人の清水サポーター。全体練習の前に監督、選手、スタッフが見守る中、松岡が笑顔で客席に向かって話し始めた。
「1年半前、大きな伝統のあるクラブに来て、色々な方と出会って、色々な経験をしてきました。その中で、エスパルスに来て一番良かったと思うことがあります。それはこのエスパルスに来て、サッカーがさらに楽しくなりました。また、サッカーがより大好きになりました。それは心の底から言えることですし、感謝しています。ありがとうございます」
異例だったのは、挨拶のあともピッチに残り、ルヴァンカップに向けてチームが調整を行っている横で、ケガからの復帰を目指す成岡輝瑠とともに練習をしていたことだ。成田からブラジルに飛び立つのは翌日。「何もそこまでしなくても」という周囲の考えをよそに、全体練習が終わり居残り練習をしていた乾貴士らとともに最後の最後までボールを蹴っていた。グラウンドに一番に来て、帰るのは一番最後。清水に来てから毎日のように見ていた光景と変わらなかった。
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「上手く行くことも、行かないことも。今考えると日々が特別でした」
と言う。2022年の1月5日には、キリンチャレンジカップ2022 ウズベキスタン代表戦に向けてのA代表に鈴木唯人(現ラシン・クルブ・ドゥ・ストラスブール・アルザス)ともに追加招集された。試合は新型コロナウイルスの感染拡大の影響により中止となったが、日本のトップとの練習に刺激を受けて帰ってきた。ところが、鹿児島キャンプの1月30日、練習中に足関節脛腓靭帯損傷というケガで、リーグ戦に復帰するまでに約3ヶ月かかった。良いことも悪いことも、清水在籍時には様々な経験をして、またひと回り大きくなった。
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「ブラジルで成功した日本人選手って少ないと思います。自分がそこで一番活躍してやるんだという強い気持ちと覚悟を持っているので、そこで活躍することでA代表だったり、道は切り拓かれていくと思っています。まだまだ未熟者ですけど、パイオニアになりたいと思います」
掲げられた横断幕にはこう書かれていた。「清水から世界一へ」。
サポーターにとっては寂しくなるが、
「代表の試合がアイスタであるので、そこに向けて自分も成長した姿でそのピッチに立ちたいと思っています」
と、11月にIAIスタジアム日本平で行われるU-22日本代表の国際親善試合での清水への凱旋に意気込んだ。
ism編集部
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