ミラノ・コルティナ冬季パラ出場のカギを握る!車いすカーリング&アイスホッケー“若手のけん引役”
【photo by TEAM A】
【車いすカーリング】25歳のリード・松田華奈
「世界車いすカーリング選手権2023」日本代表最年少25歳の松田は、競技歴10年以上のチェアカーラーだ 【photo by TEAM A】
松田が所属するクラブチーム・KiT CURLING CLUBチェア部(北海道北見市)のメンバーは、松田以外の3人全員が50歳前後。車いすカーリングは世界的に見ても、選手の年齢が比較的高く、1998年生まれの松田と同世代の選手は、国内外にほとんどいない。そんな「若手」の松田だが、車いすカーリング歴は10年以上、高校1年生で初めて世界選手権を経験して以来、これまでに計5回日本代表に選出されている。
松田の持ち味はパワフルな投球。初めて思い切り投げたストーンは30m以上先に到達し、周囲をざわつかせたという。
「日本の女子選手は力が弱く、テイク※2ができないと言われていました。力のある女子選手を探していたようで、私の投球を見て『あ、いた!』となったわけです(笑)」
ちょうどそのころ、カナダ・バンクーバーで冬季オリンピックとパラリンピックが開催されていた。テレビでカーリングを知った松田は、「オリンピックには出られないけど、車いすカーリングならパラリンピックにある。それなら、この競技でパラリンピックに出たい!」と夢を抱くようになった。
高校時代は競技を辞めたいと思ったこともある。しかし、チームには松田以外に女性選手がいないため(編集注:パラリンピックのカーリングは男女混合でチームを編成する)、代わりがいないという現実が、責任感の強い松田をとどまらせた。そして、負けず嫌いな性格も競技を続ける原動力になっている。
「ちょっとでも手を抜けば、やっぱり試合で負けてしまいます。負けると悔しいから、もっとやらなきゃ、こんなところでくたばれないと思うんです」
2022年11月にフィンランドで行われた世界車いすBカーリング選手権2022では、松田が出場した5大会で最高の4位と健闘、Aプール昇格のチャンスまであと一歩のところまで迫った。
世界車いすBカーリング選手権2022でリードを務めた松田 【photo by TEAM A】
試合のストリーミング配信や、SNSで結果がすぐに発信されるようになり、競技の認知度は以前と比べて高まっている。松田は「試合を観てくれたり、結果を知った人からメールを送ってもらったりすることが多くなってうれしい」と言い、来る世界車いすカーリング選手権2023(編集注:世界選手権Bプールで3位だったチームが出場を辞退したため、繰り上がりで日本チームのAプールへの出場が決定した)に向けて気持ちを高めているに違いない。
25歳のチェアカーラーが担う最初の一投は、ミラノ・コルティナ冬季パラリンピック出場権獲得への第一歩になる。
松田は同じチームのスキップ坂田谷隆らとコミュニケーションを深めてミラノ・コルティナを目指す 【photo by TEAM A】
※2テイク:相手のストーンをプレーエリアからはじき出すショットとのこと。
【アイスホッケー】若手をけん引する25歳の石川雄大
昨年12月に行われた日韓交流戦の日本代表のうち下から3番目の年齢だった石川。若手のけん引役としてチームに勢いをつける存在だ 【photo by TEAM A】
「若さを武器に、勢いよく攻めて突っ込んでシュートに持っていくという形を作るというのが僕の仕事。プレーでチームを勢いに乗せる切り込み隊長のような役割ですね」
日本代表は逆転負けを喫したものの、石川は先制点を決めるなど存在感を示した。
この4月から社会人になる石川は、大学進学準備中だった18歳のときに骨肉腫を発症。左脚に人工関節を入れた後、抗がん剤の副作用でリハビリの中断を余儀なくされ、関節を動かすことのできない障がいが残った。入院中に紹介された車椅子ソフトボールにもチャレンジしてみたものの、膝が曲げられず車いすでは動きにくかった。入院中から様々なアドバイスで石川を励ましてきた平昌パラリンピック日本代表・堀江航に勧められ、脚を伸ばしたままでプレーできるアイスホッケーの練習に参加。アイスホッケーの世界で戦うことを決めた。
「未経験だったアイスホッケーは、小学4年から高校卒業まで取り組んでいた野球と違って誰よりもうまくやりたいというプライドが一切なかった。純粋にゼロから楽しめた」と当時を振り返り、世界最高峰のパラリンピックを目指せることも競技を続けるモチベーションだと話す。
強みはシュートスピードと視野の広さ。考えるプレーも得意で、頭を使って相手の裏をかいたり、相手を誘い込んでトラップにはめたりする攻撃が好きだという 【photo by TEAM A】
「アイスホッケーを始めるまで、チームを引っ張る立場になったことがなく、性格的にも人に強く言うこともなかったし、言われることもありませんでした。先輩たちを見ていると、個性があって自分を持っている人が多いので、周りのことを気にしすぎなくていいとか、自分を大事にすることが大事だと教えてもらいました」
とくに、パラリンピック5大会出場の吉川守から学ぶことは多かった。同じセットでプレーすることが最も多かったため、合宿や試合の度に議論を重ねた。
「僕より28歳年上の吉川さんからは、本当にたくさんのことを学びました。あるころから僕もプレーに関する意見を言うようになったんですが、吉川さんはしっかり受け止めてくれて。お互いが納得いくまで議論をしてくれる初めての先輩でした。主張することの大切さを教えてくれました。それに、なにより吉川さんと僕でゴールを演出することも多かったんです。その吉川さんが昨シーズンで引退し、今はもういません。少し不安もありますが、吉川さんがよく話していた常に考えるプレーは引き継いでいきます」
個人の課題であるパックを操る技術を磨きながら、チームの柱になるべく奮闘中。目下の目標は、今秋開催予定の世界パラアイスホッケー選手権Bプールで上位2チームに入ること。これによりAプールの昇格となれば、パラリンピック出場に一歩近づくことになる。石川ら若手の成長が日本のパラアイスホッケーの新しい歴史を作り出す。
ホッケー議論の相手は、28歳年上の吉川から高校生の伊藤樹に変わったという 【photo by TEAM A】
※本記事はパラサポWEBに2023年3月に掲載されたものです。
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