【浦和レッズ】2026年W杯は俺の大会だ!世界を目指す生粋の『浦和っ子』、スケールの大きなプレーに注目

浦和レッドダイヤモンズ
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【©URAWA REDS】

伊藤敦樹は昨年11月下旬からの約1ヵ月間、夜な夜なテレビを見ていた。

見ていたのはもちろん、FIFAワールドカップカタール2022。テレビに映る日本代表の躍進や世界トップレベルのプレーに興奮した。

自身がプロサッカー選手になって初めて開催されたワールドカップ。プロになれば夜中に放送される試合を見る機会はそうないと思っていたが、シーズン終了後のオフ期間中に開催されたため、時間を気にせずに見ることができた。


その場に立っている自分をイメージしていたわけではない。プロ生活は2年目を終えたばかり。今までのキャリアでA代表はもちろん、世代別代表にも選ばれたことはない。昨年はレッズの一員としてパリ・サン=ジェルマン、アイントラハト・フランクフルトと対戦したが、海外の選手と相見える経験も多くはない。ワールドカップはそう近いと感じられる場所ではなかった。

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だから日本代表がドイツ、スペインといった世界の強豪と対戦した際にも、一人のサッカーファンとして応援し、勝利を喜んだ。

でも、大会が終わってみると、ある考えが頭に浮かんだ。

「次のワールドカップは絶対に出たい」

伊藤はレッズのホームタウンである旧浦和市で生まれ育った。実家は浦和駒場スタジアムにほど近い。伊藤が生まれたころ、埼玉スタジアムが完成する前はホームスタジアムが近所という環境だった。

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ただ近かっただけではない。両親ともに足しげく駒場に通っていた。たとえば幼少期に初めてスタジアムでサッカーを見て感化されれば強く記憶に残るはずだが、伊藤は初めて観たレッズの試合を覚えていない。いつが最初だったかも覚えていない。母親に抱っこされながら駒場のゴール裏にいたというのは、後に母親から聞いたから知っていることだ。伊藤はいわば、レッズサポーターの家庭に生まれた、生まれながらのレッズサポーターだった。

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だからサッカー選手を目指すことも、レッズの選手になりたいと思うことも当然だった。ジュニアユース、ユースとレッズで育ち、ユースからトップチームに昇格することはできなかったが、流通経済大学で成長を遂げ、2021年にレッズに加入。夢を叶えた。

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レッズの選手になるということとともに、子供のころから夢に見ていたのは、日本代表になってワールドカップでプレーすることだった。今でも思い描く。しかしそれは、幼少期のころのイメージとは違う。

「小さいころはただの夢でした。でも今は、自分次第で実現ができるかもしれません。日本代表は常々入りたい場所です。まだどれくらい離れているか分かりませんが、昨シーズンを通してやっと見えてきた、徐々に近づいてきたという実感があります」


プロ1年目のJ1リーグ開幕戦、FC東京戦で先発出場してプロデビューすると、この2年間で公式戦106試合中95試合に出場した。2021シーズンの天皇杯優勝、2022シーズンのAFCチャンピオンズリーグ(ACL)決勝進出などを果たしたチームにおいて、ボランチのレギュラー格として活躍。その自信が、日本代表との感覚的な距離を縮めていた。

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伊藤のプレースタイルを一言で表すなら、『ボックストゥボックス』の大型ボランチ。182センチメートル、78キログラムの体格からなる強度の高い守備でボールを奪い、味方のピンチの際にゴール前まで戻れば身をていして相手の攻撃をはじき返す。ピッチを縦横無尽に駆け回り、ドリブルで中盤を突破することもあれば、パス&ゴーで抜け出してゴール前に顔を出すこともある。昨季のJ1リーグでは後半戦に4ゴールをマーク。力強いミドルシュートやセットプレーで得点力も発揮する。

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こう書くと伊藤をよく知らない方々は「何でもできる選手なのか」と想像を膨らませるかもいしれない。そう、伊藤はボランチとして必要なあらゆるプレーができる、スケールの大きな選手なのだ。

沖縄トレーニングキャンプを終え、大原サッカー場でトレーニングを重ねていた2月上旬のある日。伊藤は衝撃的なプレーを見せた。

中盤での激しい当たりでボールを奪うと、勢いそのままにドリブルを開始。右サイドで相手がスライディングでボールを奪おうとすると、その瞬間にギアを上げたようにスピードを増して突破する。あくまでトレーニングであることを念頭に置きながらも、まさに世界レベルを感じるスケールだった。

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「今季はああいうシーンを増やしていきたいですね」

最終的には伊藤のクロスに合わせた選手がシュートを外してしまい、絶好機を逃したのだが、伊藤の持ち味が存分に発揮されたシーンだったとともに、今季のJ1リーグ開幕に向けての仕上がりが順調であることも印象付けた。

日本代表で活躍するならば、FIFAワールドカップカタール2022で活躍した選手と勝負しなければならない。日本代表のボランチのレギュラー格として活躍した彼らは、伊藤にとって身近に感じる存在だ。

伊藤が浦和レッズユースに在籍していた際、ボランチではなく3バックの中央ではあったがトップチームで活躍していたのは遠藤航だった。そして流通経済大学に入学した際、4年生で絶大な存在感を発揮していたのは守田英正だった。川崎フロンターレに加入することになる守田は、伊藤にとって尊敬してやまない先輩であり、「こういう選手がプロになるんだ」と身近で実感できた存在だった。

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そして守田は日本代表でも『道』を示してくれた。守田が日本代表に初めて選出されたのはプロ1年目の2018年だったが、それから怪我などもあり、2021年3月に久々に招集された。

「ヒデさんはそこから数ヵ月間で一気に代表に定着しましたよね。数ヵ月でサッカー人生は変わると感じました」

無論、指をくわえているだけでチャンスが来るとは思っていない。

「チャンスをつかむためには、チームで結果を残し続けなければなりません。ヒデさんもそうしてチャンスをつかんでいったと思います。どこかに転機があるはずですし、それをつかめるかどうかで変わってくると思います。まず転機を得るためには、浦和レッズで結果を出し続けることが大事です。それはヒデさんたち先輩を見て思うことです」

日本代表で中心として活躍する先輩にも負けないことはあるか――そう聞かれた伊藤は、少しだけ考える。それは、そう簡単に「勝てる」とは言えない先輩たちに対する敬意。しかし、数秒空けて真剣な表情で発した一言の勢いには、自信が感じられた。

「推進力です」

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そもそも守田や遠藤とはプレースタイルが異なるが、自分の武器は自覚している。

「もし今、日本代表に入るとすれば、ヒデさんや遠藤航さんとポジションを争うことになります。自分の武器で違いを見せなければいけません。そしてそれは当然、日ごろからJリーグで発揮していかなければいけないことでもあります。日本代表やJリーグには自分のようなタイプはあまりいないと思っていますので、その武器を磨いて見てもらえるようになれば可能性はあると思っています。先輩や、現在のチームメートである酒井宏樹選手が出場して活躍したことで、イメージできるようになりました。自分次第で現実になりうることです」

もう、ただの『夢』ではない。その一方で、イメージできるようになったからこそ、まだまだだとも思う。もっと成長しなければいけないというおもいは、むしろFIFAワールドカップカタール2022の大会前よりも強くなっている。

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「4年後、次のワールドカップは28歳になる年です。一般的に良いタイミングだと思いますが、実際にそうなるかどうかも自分次第です。ワールドカップに出場するために、まずは日本代表に選ばれること。レッズのために闘い、チームが上位にいながら自分が結果を残し続けることによって、日本代表にも選ばれると思います」

奇しくも今季は守田が日本代表に定着したのと同じプロ3年目。レッズで結果を残し、4年後に見る立場から見られる立場になる足がかりとするため、2023シーズンもピッチを駆け回る。

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著者プロフィール

1950年に中日本重工サッカー部として創部。1964年に三菱重工業サッカー部、1990年に三菱自動車工業サッカー部と名称を変え、1991年にJリーグ正会員に。浦和レッドダイヤモンズの名前で、1993年に開幕したJリーグに参戦した。チーム名はダイヤモンドが持つ最高の輝き、固い結束力をイメージし、クラブカラーのレッドと組み合わせたもの。2001年5月にホームタウンが「さいたま市」となったが、それまでの「浦和市」の名称をそのまま使用している。エンブレムには県花のサクラソウ、県サッカー発祥の象徴である鳳翔閣、菱形があしらわれている。

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