柳下正明『自分に自信を持ってやれ』 あの頃の自分へメッセージ

ツエーゲン金沢
チーム・協会

【zweigen kanazawa】

ぼくらにもあった、「1 年目」 あの頃の自分へメッセージ

第一線で活躍するスポーツ選手も、脚光を浴びるアーティストも、 誰しも若かりし「1 年目」があった。 未熟だったあの頃、もがき苦しんだ経験があるからこそ今の自分がある。 だけどもし、あの頃の迷っていた自分に、 一言だけ助言をしてあげられるなら……。

ベテラン・中堅と呼ばれる人々が綴る、あの頃の自分へ向けたメッセージとは。

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柳下正明監督の指導者としての1年目

――柳下監督の指導者人生は93年、ジュビロ磐田のサテライトコーチとしてスタートしたんですね。

「Jリーグに参入するためのサテライトチームをつくろうということで、高卒の子や若い選手を集めて夜に練習をしていた。それから、ヤマハに入った若い選手もトップチームでは全員見られないからということで、午前中はそっちを見たりもしていた。
バンでグラウンドまで連れて行って、終わったら寮まで送って、そこから事務所に行ったりしていたのでハードだったよ」

――指導方法はいまと違いましたか?
「いや、変わらないよ。みんなそうだと思うけど、やりながら学んでいくことが大事だった。1年目は肩書きはコーチだったけど、練習は全部見て試合もやる。鈴木(政一)さんが総監督だったんだけど、トップチームのほうに行っていたからサテライトのスタッフが俺1人だったんだよね。 だからキーパーも見ていたし、キーパーを入れたトレーニングも必ずやっていた」

――その経験は指導者としては良かったですか?
「そうだね。いろいろ勉強になったよ。コーチと監督はまったく違うものだから。当時はサテライトチームを静岡県リーグに入れさせてもらったんだったかな。1シーズンを闘って2位になって、東海リーグに上がれるかどうかというところで負けてしまった」

――当時の監督のライセンスというのはどうなっていたんですか?

「S級を持っていないとJリーグの監督にはなれなかったけど、当時は確か2週間ぐらいで取れたんだよ。でも、ライセンスを取ったあとが大事だからね。講習も大変だけど、やっぱり実際の現場でやっているほうが大事だし大変だし、実践で学んでいくことが大事。『取ってからのほうが大事だぞ』って、よく言われたよ」

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ジュビロ磐田でスタートした監督1年目

――その後、2003年に磐田の監督になりましたが、監督1年目はどうでしたか?

「前の年に優勝していたから、優勝しなければいけないというプレッシャーは間違いなくあった。監督をやる前の99年にもサテライトリーグで監督をしたんだけど、そのときはほとんど負けなくて、いまのサッカーにも近かったかな。だからトップでもプラスアルファを取り入れようとしていたけど、難しい部分もあって少しずつ変えていった」

――サテライトで結果を出して自信を持 っ て監督になったんですね
「いや、それはまた違うよ。外国人選手もいるし、それまでに実績のある選手たちをまとめることが必要になってくるから。コーチ時代にもファネンブルグ、ドゥンガ、スキラッチと一緒にやっていて、彼らはバンバン自分の意見を言ってくる。でも、こっちが『はい、はい』と全部聞き入れていたらサッカーにならないよね。 『こう、こう、こうだから』と言うと納得してくれる。その経験があったから、監督の1年目でも自分の考えを押し通そうと思っていた」

――どこに行ってもプレッシャーがかかる「監督」という仕事を続けてこられたのはなぜですか?
「札幌での3年間は、もちろん本当はJ1に上がりたかったけど、自分のやりたいことはやった。それから磐田にまた戻ったときは厳しい状況だったけど、J2に落とさないようにしながら、選手たちが頑張ってくれてナビスコを取れた。まあまあの仕事はできたんじゃないかなと思っている。でも、『降格しないように』ってことをまず考えるから語弊を恐れずに言うと一番楽しくない時期ではあったかな50歳を過ぎてからだよ、監督を楽しめるようになったのは」

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今、振り返る。これまでの監督として過ごした時間

ーーここ10年ぐらいは楽しめているんですね。
「そうだね。磐田の時の経験があるからだと思う。指導者としての経験を積み重ねて、喜び、楽しみがわかってきた。オフトなんかは常にサッカーのことを考えているし、オシムも『25時間サッカーのことを考えなさい』って言っていたけど、まさにそうなんだよ。俺もいまは車を運転しているときなんかにも、ふとサッカーのことを考えたりしている。余裕がある分、そうなっているんだろうね」

― ―若い頃と違うのは余裕ですか?
「考える時間をより持てるようになった。そういう余裕ができてきたのは、自分のサッカースタイルが確立されて、それをやるためにどういう練習をすればいいか、どういう選手でチームを作ればいいかというのが整理できたから。自分がやりたいサッカーに不要な練習とかを省けるようになったんだよね。それと、誰でも得意なものと不得意なものがあるから、不得意なものは省いて得意な方法でできるようになった。それで成績が悪くなったり選手のプレーとかが変わらなかったら監督としてダメだけど、いまのところ大きく崩れることもなくうまくいっているから余計に楽しめる」

――いま、監督1年目の自分に声をかけるとしたら?

『自分に自信を持ってやれ』だね。
「誰でも失敗をするしミスをするし、うまくいかないこともある。そのときに悩みすぎると自分の持っている良いものを出せなくなる。それは選手も同じ。『自分を信じて、自信を持って指導しろ』と言いたい。若い頃も自信は持っていたけど、迷ったり、変に考え出して悩んだこともあった。結局、『俺にはこういうことができる。こういうやり方はできない』と整理できてから、苦しまずに楽しくやれるようになった」

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著者プロフィール

1956年に誕生した「金沢サッカークラブ」を礎に、2006年Jリーグ入りを目指すべく「ツエーゲン金沢」として生まれ変わりました。JFL、J3を経て2015年にJ2リーグに昇格。「挑戦を、この街の伝統に。」というクラブ理念を掲げ、石川県で先人の築いてきた伝統を大切に守りながらも新たな伝統をつくるため日々挑戦をしているクラブです。地域に貢献し、地域に愛されて発展していけるよう様々なことに挑戦していきます。

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