【新日本プロレス】デスペラード×DOUKIが初対談!二人の出会いとは?

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【新日本プロレスリング株式会社/中原義史】

新日本マットを席巻する“ならず者ルチャドール”エル・デスペラードと、“ハポネス・デル・マル”DOUKI。兄弟分とも言われる固い絆の二人が、ついに初対談! 
 
しかし、その内容はメキシコ現地の“とんでもリング”大放談! いったいどんな驚愕エピソードが飛び出すのか? 知られざる二人の出会いにも言及!!

撮影/中原義史

※以下、デスペラード&DOUKI対談(前編)の序盤をSportsnaviで無料公開!

デスペラード「初めてDOUKIと会ったのは、俺がメキシコの地方から都市部のメキシコシティに出てきて、まだ右も左もわからなかった頃かな?」

【新日本プロレスリング株式会社/中原義史】

――今回、デスペラード選手とDOUKI選手の初対談となります。これは新日本プロレスオフィシャルスマホサイトでのDOUKI選手のインタビューについて、デスペラード選手がTwitter上で「読んでみてふと思った『メキシコとんでもリング自慢』とか楽しそう」とつぶやかれていたので、それを間に受けて実現した企画でして……(笑)。

デスペラード ククク。まさか、あんなツイートでホントに呼ばれるとは思ってなかったけどな(笑)。

DOUKI フフフ。

デスペラード まあ、Twitterのネタでしかなかったものが実現するのも、おもしれーんじゃねえの?

――まずは本題の前に、おふたりが知り合ったきっかけを教えてもらえますか?

デスペラード 初めて会ったのは、俺がメキシコの地方から都市部のメキシコシティに出てきて、まだ右も左もわからなかった頃かな。あのとき、もうDOUKIだった? まだ“カンスケ”だった?

DOUKI ちょうど、挾間くらいかな。

――カンスケというのは、DOUKI選手の以前のリングネームですよね。

DOUKI DOUKIとしての第一戦を観にきてるハズ。ガルサさんがいたとき。

デスペラード ああ、あのときか! ハラペーニョさんと一緒にいたやつ?

DOUKI いや、ハラペーニョさんは同じ会場で違うときかな? たしかそれはファンフェスタか何か……。

――すみません……。いきなり謎の単語が飛び交ってて、会話に全然付いていけないのですが(苦笑)。

デスペラード ああ、悪ィ悪ィ。ガルサさんっていうのは、新日本に何度か来てるエクトール・ガルサさんだな。

――ガルサ選手は存じ上げています。2011年の1.4東京ドームにも参戦したことがあるヘビー級のルチャ戦士ですね。

デスペラード あの人、ああ見えて、元・高飛び込みの選手なんだよ。ガルサさんは高飛び込み出身の選手で飛び技もうまいのに、身体がスゲーデカくてさ。

DOUKI メチャクチャ、デカい。

デスペラード そのガルサさんは13年にガンで亡くなったんだけど。さっきのDOUKIの第一戦の大会って、ガルサさんが現役最後のほうじゃないの?

DOUKI ああ、そうだね。

デスペラード いまはガルサさんの倅のガルサJr.が、WWE(NXT)でがんばってるけど、顔が親父と一緒だよな?

DOUKI フフフ。いまはエンジェル・ガルサでやってて、たしかにオヤジと同じ顔で、身長も同じくらい高い。

デスペラード そうそう……。で、アレ? 何の話だったっけ?

――えーと、おふたりのメキシコの出会いの話ですね(笑)。

DOUKI「俺はメキシコに着いた初日に、タイチに会ってるから」

【新日本プロレスリング株式会社/中原義史】

デスペラード そうだった。そのガルサさんが所属していた“ペロス・デル・マール”の興行で会ったのが最初かな? もともと、デル・マールっていうのは新日本でいえば鈴木軍とかCHAOSみたいな、CMLLのユニットで。でも、人気が出て、そこから紆余曲折あり、CMLLには上がらなくなっちゃって。

――言ってみれば、CHAOSとか鈴木軍が独立したみたいなものでしょうか?

デスペラード そうそう。ラッシャー木村とかの国際軍団みたいなもんかな。

DOUKI 国際軍団(笑)。デル・マールはイホ・デ・ペロ・アグアヨっていう選手を中心に、ガルサさんとかハロウィン、ダミアンとか有名な選手が所属していて。

デスペラード だから、会社としてみた場合はインディーだけど、選手は一流どころが揃ってて。その大会で、カンスケからDOUKIっていう名前に変わったんだ?

DOUKI そうそう。

デスペラード じゃあ、DOUKIとしてのキャリアの最初のスタートを、俺は見てるわけだ。ただ、DOUKIのルチャドールとしてのスタートを知ってるのはタイチだから。

――DOUKIさんと面識のあったミラノコレクションA.T.さんが、当時メキシコ遠征中だったタイチ選手に引き合わせたそうですね。そのとき、DOUKI選手はまだ18歳だったそうで。

DOUKI 俺はメキシコに着いた初日に、タイチに会ってるから。

デスペラード まあ、頼りにしたタイチ自身も、そのときが初メキシコだったけどな(笑)。
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著者プロフィール

1972年3月6日に創業者のアントニオ猪木が旗揚げ。「キング・オブ・スポーツ」を旗頭にストロングスタイルを掲げ、1980年代-1990年代と一大ブームを巻き起こして、数多くの名選手を輩出した。2010年代以降は、棚橋弘至、中邑真輔、オカダ・カズチカらの台頭で再び隆盛を迎えて、現在は日本だけでなく海外からも多くのファンの支持を集めている。

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