アジア人最多出場記録を樹立した長谷部誠。その軌跡を振り返る

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【(c)Getty Images】

ブンデスリーガ・デビューから14シーズン。3クラブで通算309試合出場

アイントラハト・フランクフルトの長谷部誠が、6月6日に行われたブンデスリーガ第30節のマインツ戦で金字塔を打ち立てた。元韓国代表のチャ・ボンクン氏を抜いて、アジア人歴代最多のブンデスリーガ通算309試合出場を達成したのだ。

リーグ史に刻まれる偉業を成し遂げた長谷部がブンデスリーガでデビューしたのは今から12年前。2008年1月にヴォルフスブルクに加入すると、2月2日の第18節ビーレフェルト戦で記念すべき一歩を踏んだ。当時24歳だった日本人選手が、それから14シーズンにわたってドイツ最高峰の舞台で活躍しつづける――。いったい誰が予想できただろうか。

浦和レッズからやって来たばかりのMFをドイツ仕様のタフな選手へと変貌させたのは、当時ヴォルフスブルクを率いていたフェリックス・マガト監督だ。「鬼軍曹」の異名をとるほどのハードトレーニングで知られる指揮官のもとで頭角を現した長谷部は、すぐにレギュラーの座をつかみ、加入2年目には主力としてリーグ初優勝に貢献した。

2009/10シーズンには日本人選手としては5人目となるチャンピオンズリーグ出場を果たし、2011年8月には一発退場となったチームメイトに代わり、急きょGKを務めたことで話題をさらった。その後、ヴォルフスブルクには13/14シーズン開幕直後まで所属。5シーズン半でリーグ通算135試合に出場するなど、貴重な経験を積んだ。

ピッチ外での語学習得にも意欲的に取り組み、2013年夏に移籍したニュルンベルクの入団会見では流暢なドイツ語を披露。その新天地では中盤の要として奮闘する。しかし、負傷でシーズン後半戦の欠場を余儀なくされ、序盤から苦戦を強いられたチームを降格の危機から救うことはできなかった。

チームの降格によって去就が注目された長谷部は2014年夏にフランクフルトへの移籍を決断する。開幕から本職のボランチで定位置を勝ち取り、加入初年度にはブンデスリーガで自己最多となる33試合に出場。翌シーズンはボランチだけでなく右サイドバックもこなすマルチロールとしてフル稼働した。

そんな長谷部に転機が訪れる。16/17シーズン、当時のニコ・コヴァチ監督にリベロへとコンバートされたのだ。戦術理解、ビルドアップ能力、プレーを先読みする力に秀でる長谷部は、すぐにこの起用に応える。以降はチーム関係者だけでなく、メディアやファンからもリーダーと認められる抜群の存在感を発揮。加齢による衰えの色を見せず、2018年夏に就任したアディ・ヒュッター監督のもとでも重要な戦力でありつづけている。

長谷部が先発を外れれば、地元のメディアやファンは必ずと言っていいほど「なぜ、温存したのか」と指揮官の采配に疑問をなげかけている。36歳となった今でも、フランクフルトに欠かせない存在というわけだ。

今年5月にはクラブとの契約を1年延長し、20/21シーズンもブンデスリーガでプレーする見込みとなった。アジア人最多出場記録という偉大な記録を打ち立てた長谷部が、その数字をさらに伸ばしていく。

文=遠藤孝輔
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