【新日本プロレス】「内藤は入ると思ってた」YOSHI-HASHI選手の入門秘話!

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【新日本プロレスリング株式会社/YOSHI-HASHI選手】

レスラーや関係者に、ファン時代〜仕事として関わり始めた時代、自分が関わったベストバウトなどを直撃する集中連載! 

今回は、YOSHI-HASHI選手が新日本プロレス入門テストに3回チャレンジ! なんと夢のお告げで新日本入り!?  なんとテストで驚愕の裏工作をしていた? さらに次回のバトンは…あの選手!

※プロフィール写真提供/YOSHI-HASHI選手

※以下、YOSHI-HASHI選手インタビュー(後編)の序盤をSportsnaviで無料公開!

浜口ジムのレスラーコースって、スゲーキツいんですよ。最初はついていけなくて「ヤベー!」って思いましたから

※アニマル浜口ジム時代の写真(YOSHI-HASHI選手提供) 【新日本プロレスリング株式会社/YOSHI-HASHI選手】

――さて、YOSHI-HASHI選手。前回は上京して浜口ジムに入ったところまで伺いました。少し話を戻しますが、愛知にいた頃に新日本プロレスの大会を観戦したことは?

YOSHI やっぱり愛知県体育館にはよく行ってましたね。あとは名古屋レインボーホールとか……。で、初めて生観戦したときに驚いたのがマットに叩きつけた時の音の大きさで、あれだけはテレビ中継を観ててもわからないですね。

――会場にいるからこそ、ドーンというあの音の大きさが響き渡るというか。

YOSHI ええ。初めて会場に行ったのが中三か高一で、そのときの第一試合が井上(亘)さんと柴田(勝頼)さんのシングルだったんですけど、ボディスラムで投げたときの音がスゲー大きくて。あとはエルボー、チョップ、ドロップキックの音とか、「生はテレビと全然違うな」って思いました。

――当時、ほかに生観戦で印象に残った選手は?

YOSHI ケンドー・カシンさんとドクトル・ワグナーJr.さんのIWGPジュニアタッグのタイトルマッチがあったり、スコット・ノートンさんが出たりしてましたね。あと、中西(学)さんはまだドレッドヘアでした(笑)。なんていうか、やっぱり新日本全体のムードが好きでしたね。全日本プロの深夜中継は全然観てなかったんで。

――本当に興味の対象が「新日本のみ」という感じだったんですね。

YOSHI そうでしたね。一度だけ誰かから招待券をもらって大阪プロレスを観にいったことがあって、えべっさんが賽銭箱を持って客席を回ってる姿に「こういうプロレスもあるんだなあ」とは思いましたけど。

――あくまで好きだったのは新日本だ、と。

YOSHI はい。当時はまさか、自分がそのリングに立つことになるとは思ってなかったですけど。あくまで“憧れ”でしたね。

――上京してからは、その憧れにさらに近づいてきたとは思うのですが、浜口ジムではのちにプロレスデビューをはたす選手たちとの出会いもありましたよね?

YOSHI そうですね。新日本だと内藤(哲也)をはじめ、BUSHI。あとはKAI(フリー)さん、いま大日本プロレスにいる中之上(靖文)くんとか。ほかにも、いま他の団体で活躍してる選手が3人くらいいましたね。

――当時、内藤選手やBUSHI選手たちと会話はあったんですか?

YOSHI まあ、ベラベラって感じではないですけど、同じジム生として普通にしゃべってたとは思いますよ。

――内藤選手はYOSHI-HASHI選手と同い年ですし、新日本だけを目指していたという部分で、何か意識はされてましたか?

YOSHI ただ、内藤はボクが入った頃にはすでに身体がデカくて、基礎体力もあったんですよ。あの人は18歳のときに浜口ジムに入ってて、ボクより3年くらい先輩なんで。だから同い年でしたけど、「この人は絶対に入るんだろうな」と思ってました。

――そのときに「正直、もう少し早く東京に来ればよかったな」という気持ちは?

YOSHI ああ、それは入ってすぐ思いましたね。でも、「せっかく入ったんだから、とにかくがんばろう!」と気持ちを入れ替えて。それに浜口ジムのレスラーコースって、スゲーキツいんですよ。最初はついていけなくて「ヤベー!」って思いましたから。

――それは基礎体力トレーニングですか?

YOSHI はい。ジャンピングスクワットとか腕立て伏せとか、練習で完全に潰れることはなかったですけど、めっちゃキツかったですね。

ボクから観ても体力的にも問題なかったし、内藤はマット運動もできてたので、客観的に見て「テストに受かるならこの人だな」って

※2005年12月後楽園ホールでの入門テストの模様。スパークリングの相手は同じテストを受けた内藤哲也。 【新日本プロレスリング株式会社】

――YOSHI-HASHI選手は2005年12月に後楽園ホールで実施された公開入門テストに、内藤選手と共に受けてるんですよね。

YOSHI そうですね、それが初めて受けたときで、その時のテストでは内藤が一人だけ合格して。あとで聞いたら、本当は「誰も取らないかも」っていう話だったみたいですね。

――当時、新弟子が入門できるのは寮の空き状況など、タイミングも左右していたそうですけど、それでも内藤選手は唯一合格することができた、と。その入門テストのことは覚えてますか?

YOSHI よく覚えてます! とにかく会場の後楽園ホールの中が熱くて……。で、みんな緊張していて、最初にスクワットを500回やったんですけど、そのペースがメチャクチャ早かったんですよ(苦笑)。それをなんとかやり終えた段階で「これ、ヤベーな!」って思いましたね。もう足が効いちゃって……。
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著者プロフィール

1972年3月6日に創業者のアントニオ猪木が旗揚げ。「キング・オブ・スポーツ」を旗頭にストロングスタイルを掲げ、1980年代-1990年代と一大ブームを巻き起こして、数多くの名選手を輩出した。2010年代以降は、棚橋弘至、中邑真輔、オカダ・カズチカらの台頭で再び隆盛を迎えて、現在は日本だけでなく海外からも多くのファンの支持を集めている。

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