【新日本プロレス】後藤洋央紀選手が激白! 中2でプロレスラーへの道を決意!!

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【新日本プロレスリング株式会社/後藤洋央紀選手】

新日本プロレスのレスラーや関係者に、ファン時代〜選手や仕事として関わり始めた時代、自分が関わったベストバウトなどを直撃する集中連載! 

初回のゲスト・清野茂樹アナウンサーからバトンを受けた後藤洋央紀選手がプロレスラーを目指した中学〜大学進学まで思い出をプレイバック!

“盟友”柴田勝頼選手との出会いとは? まずは前編をお届け!

※プロフィール写真提供/後藤洋央紀選手

※以下、『“ボクと新日本プロレス”ヒストリー』後藤洋央紀選手編(前編)の序盤をSportsnaviで無料公開!

じつはプロレス自体のキッカケは『ファイヤープロレスリング』っていうゲームだったんですよ。

――さて、後藤選手。この連載はレスラーや関係者の方にリレー方式で新日本プロレスとの関係を中心にうかがっていくインタビューなんですけど、後藤選手はリレー形式で依頼があった「#お家でフルコスチュームに着替えてみた」を断られていましたが。

後藤 ハハハハ! そうですね。残念ながら、自宅にはコスチュームがないので……(苦笑)。
 
――ただ、今回のリレー形式のインタビューは受けていただけると。
 
後藤 もちろん大丈夫ですよ!
 
――清野アナは、Twitterでの後藤選手は素が出ていて一番おもしろいと。そして、もっともっと上に行ける選手だと期待されているとのことでした。

後藤 ありがとうございます。まあ、Twitterではキャラを作らず、ありのままの自分を出していこうと思ってますね。

――では、さっそく本題ですが、最初に新日本プロレスと出会ったのはいつ頃ですか?

後藤 出会ったのは、中学校の1年から2年生ぐらいの間で、『ワールドプロレスリング』から入りましたね。
 
――当時の『ワールドプロレスリング』放送時間帯というのは?
 
後藤 週末の深夜にやっていたので、それを録画して月曜の朝、学校に行く前に観てましたね。

――なるほど。後藤選手のお住まいだった地域では、日曜深夜の放送だったわけですね。

後藤 そうですね。三重県桑名市ではそうだったと思います。

――後藤選手は全日本プロレスもご覧になっていたという話も聞いてますが。

後藤 ええ。当時は全日本もそうですけど、女子プロレスやみちのくプロレスとかいろんな団体を観てましたね。たしか、初めて観たのはJWP(女子プロレス)なんですけど、じつはプロレスにハマった一番最初のキッカケは『ファイヤープロレスリング』っていうゲームだったんですよ。
 
――後藤選手の世代は、じつはファミコンや家庭用のプロレスゲームから入った方が多いですよね。
 
後藤 そうなんですよ。ホントにボクらの世代には多くて、自分も友だちの家でゲームをやり始めてからプロレスを知ったんですよね。

――そこから、実際のプロレスをテレビで観始めたと。

後藤 そうですね。そこから雑誌を読んだり、プロレスを探して観るようになって、「いろんな団体があるんだな」と知っていって、それこそリングス(前田日明氏が主催していた格闘技団体)とかも観てましたよ。

――そのなかでも新日本プロレスが一番気になったと。

後藤 だんだん気になっていきましたね。やっぱり、当時から新日本プロレスはお客さんの盛り上がりも凄かったですし。まだ永田(裕志)さんたちが若手で入ったばっかりの時だったですね。

中学時代から本格的にプロレスごっこしてましたね。セーフティマットをリングにしてみんなで遊んでましたよ。

――当時の新日本プロレスを振り返って、記憶に残ってる試合はありますか?
 
後藤 強烈的に印象に残ってるのは、スタイナーブラザーズ(リック・スタイナーとスコット・スタイナーの兄弟タッグ)vs馳浩さんと武藤敬司さんの(1994年1月4日)東京ドームで、スタイナースクリュードライバーが出た時ですね。あれはメチャクチャ印象に残ってます。

【新日本プロレスワールド】

――その時代だと、ビッグバン・ベイダー選手もいましたよね。

後藤 そうですね。ベイダーと(アントニオ)猪木さんだったり、Uインターと新日本の全面対抗戦・高田(延彦)さんと武藤(敬司)さんの試合なんかも凄く印象に残ってますね。あと、当時の新日本はスペシャル番組もやってたんですけど、ゴールデンタイムでプロレスを観た時はメチャクチャ興奮しましたよ。

――以前、後藤選手は中学生の頃からプロレスごっこをやっていた、とおっしゃっていましたね。
 
後藤 しかも本格的なプロレスごっこをしてましたね。陸上で使う高跳びのセーフティマットをリングにしたりして、みんなで遊んでましたよ。最初は関節技とかマットのいらない技から入って、徐々にエスカレートしていくっていうちょっと危ないことをやってましたね(笑)。
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著者プロフィール

1972年3月6日に創業者のアントニオ猪木が旗揚げ。「キング・オブ・スポーツ」を旗頭にストロングスタイルを掲げ、1980年代-1990年代と一大ブームを巻き起こして、数多くの名選手を輩出した。2010年代以降は、棚橋弘至、中邑真輔、オカダ・カズチカらの台頭で再び隆盛を迎えて、現在は日本だけでなく海外からも多くのファンの支持を集めている。

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