元プロバイクレーサーの奮闘 権藤俊光(前編)
【(C)BOATRACE】
世界で活躍したバイクレーサー
欧州でも活躍した元バイクレーサー 【(C)BOATRACE】
この上限が引き上げられたのが、106期生の入所試験から。30歳未満になったのだ。また、他のジャンルで目覚ましい活躍を残している者には特別試験が設けられ、こちらには年齢制限がない。30歳を超えて受験する者もおり、実際に合格して30代半ばでデビューした選手もいた。チャンスが広がったのだ。
これにより、他競技で実績のあるボートレーサーも増えた。ボクシングの元日本チャンピオンもいるし、残念ながらデビューできなかったが、元Jリーグのサッカー選手も養成所に入所した。多いのは、オートバイレースで活躍した者たちだ。陸と水の違いはあれど、同じモータースポーツ。スピードへの対処能力や動体視力など、共通点も多いのだろう。今のところまだ、大ブレイクを果たしている選手は出ていないが、着実に成績を伸ばしている者もおり、今後の活躍が期待される。
本稿の主人公である権藤俊光も、ボートレーサーになる前はオートバイレースで鳴らした一人だ。
ややたれ目だが眼光は鋭い 【(C)BOATRACE】
ボートレースの世界に足を踏み入れる前の権藤は、オートバイの全日本選手権で活躍するレーサーだった。海外のチームとプロ契約も結び、イタリアやスペインでレースに参加。イタリアでは年間ランキング14位、スペインでは18位と奮闘した。同じくモータースポーツの世界であるボートレースは、選手寿命が長い。生涯レーサーと心に決めた権藤は、サーキットから水面へと戦いの舞台を移すことを決断した。
デビューした時点で、権藤は28歳の誕生日目前。115期生では最年長であった。同期には10歳以上も年下の者もいた。養成所時代の成績は上々で、リーグ戦勝率は2位。それでもデビュー戦は4着に敗れ、そのレースぶりを師匠である田中信一郎に叱責されたという。ジャンルこそ違え、プロの世界で実績を残してきた権藤にとって、プライドを傷つけられた部分もあっただろう。また、ボートレーサーのデビューとしては決して早くない、いや、むしろ遅い部類に入る年齢での再出発に、不安に思うこともあっただろう。しかし権藤は、これが自分が長く歩み続ける道だと腹を据えて、努力精進に明け暮れるのだった。
デビュー初1着は、15年4月の地元住之江。A1級の先輩らを撃破してのもので、3連単は125,860円という超大穴だった。
この1着を機に、権藤のレースぶりは進歩を見せていく。2勝目まではさらに3カ月を要したが、翌日には3勝目をゲット。その前節ではしっかりと着をまとめて予選突破も果たしている。舟券に絡む機会も格段に増え、デビュー2期目には勝率4.40をマーク。デビュー期の勝率が3.12だから、一気に勝率をアップさせたことになる。16年1月にはびわこでデビュー初優出。努力の積み重ねは確実に権藤を成長させていた。
(後編に続く・・・)3/15(木)更新予定
2018年3月1日更新 文:黒須田守(BOATBoy) 写真:池上一摩(BOATBoy)
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