早大競走部 箱根事後特集『蕾(つぼみ)』 第8回 伊福陽太

チーム・協会
【早稲田スポーツ新聞会】取材・編集 田島凜星

 東京箱根間往復大学駅伝(箱根)で、3年連続となる8区を任された伊福陽太(政経4=京都・洛南)。当日アクシデントに見舞われるも、強い意思でタスキをつなぎ、早大の躍進を後押しした。大学生活最後の21・4キロ、そして4年間の振り返りと、今後に懸ける思いを伺った。

※この取材は1月25日に行われたものです。

「タスキは絶対つなごう」

対談中の伊福 【早稲田スポーツ新聞会】

ーー3年連続の8区となりました。出走が決まった時はどのように感じましたか

 元々8区か9区かの予定でいたので、正直どっちでも良かったというか、どっちも準備はしていました。(8区は)3年連続で経験もあるので、そんなに考えすぎるとか、変に気負うこともなく準備ができたと思います。

ーー箱根前のチームの雰囲気は

 昨年体調不良が直前に出た反省を生かして、今年はインフルエンザの予防投与であったり、短距離の選手にも協力してもらって、寮内での感染症対策もしっかり行いました。当日まで体調不良者もメンバー16人では出ず、練習に関しても本当に16人全員がしっかり積めている状態だったので、僕が見てきた4年間の中では本当に一番いい状況で当日まで迎えることができていたと思います。

ーーご自身の調整具合はいかがでしたか

 全日本(全日本大学駅伝対校選手権)が終わってから、マラソン練習と並行しながら箱根に向けて調整するようなかたちで、周りとは別、少しボリュームを増やしたようなメニューをずっとしていました。割と練習は順調に積めていたというか、非常にいい調子で12月は過ごしていたと思います。

ーー往路はどのように見ていましたか

 4年生が全員復路だったので、今回は4年生中心に寮でテレビで見ていました。 1区からすごくいい出だしだったと思うし、5区の工藤(工藤慎作、スポ2=千葉・八千代松陰)は本当に信頼していたので、見ていてワクワクするような感じだったなと思います。

ーー当日のレースまでの過ごし方を教えてください

 朝起きて朝練をして、その時は本当に全然何もなかったのですが、中継所に送迎の車で向かうタイミングで、心拍がずっと高いなというのを感じていました。それで花田さん(花田勝彦駅伝監督、平6人卒=滋賀・彦根東)にも連絡はしていたのですが、なんでかなというのを感じていました。中継所に着いて、いざアップをしてみると、体の震えが止まらなかったり、寒気やめまいのような感じの症状が出だして、アップを途中でやめてというような感じでした。

ーー結果的にそのまま走ることになり、監督からはどのようなお話がありましたか

 体調が悪くなってしまったのがもう交代が効かない時期になってからで、絶対自分が走らないといけない状況だったので、本当に大丈夫かなという不安は自分の中で結構ありました。つき添いのトレーナーの方経由で、監督に少し厳しいというのは連絡してもらいました。花田さんと僕は直接はあまり喋っていないですが、 大志(伊藤大志駅伝主将、スポ4=長野・佐久長聖)と中継する、タスキをつなぐタイミングで、監督車の方から「伊福笑顔でね」という監督の声が飛んできたので、最後、タスキはなんとか笑顔で受け取ることはできたかなと思います。

ーー3回目の8区ですが、過去2回と比べて走っている最中にどのような違いがありましたか

 ぶっちゃけあまり覚えていないというのが正直なところではあります。初めて走った区間で、本当に思い入れのある区間だったので、3回連続走れたというのを今振り返るといい思い出だなと思いますし、最後の最後にああいうかたちで終わってしまったのは悔しいですが、それも含めての大学4年間だったかなとは思います。

ーー苦手とされていた遊行寺の坂ですが、3回走ったことで成長は見られましたか

 最後の最後で、遊行寺の坂をどんなふうに上っていたか全然覚えていないのですが、苦手なりに頑張ったのかなとは思っています。

ーー走り出す前と走り切った後で心情の変化はありましたか

 そうですね。走る前に関しては、本当にいつどこでやめるかわからないなとか、かなりネガティブな感じになっていたのもあって、本当にどうしよう、大丈夫かなというのはありました。全日本で1回体調悪いのを経験して、あの時は走っている最中に起こってしまったので対応しきれなかったのですが、今回はあらかじめ体調が悪いのはわかっていたので、最悪終わってから点滴受けるなり病院行くなりすればなんとかなるかなと思いながら、もう腹をくくっていました。後ろとも差はあったので、なんとかタスキは絶対つなごうという強い気持ちでスタートしました。中大の選手も多分自分以上に苦しい走りになってしまったことで、順位を1つ上げることができました。後ろと1分半ぐらいありましたし、9区、10区に関しては、体調万全で来ている選手だと思っていました。どうにか目標の3位がまだ見える位置でしっかり次走者につなぐことができて、終わってからは安心したのですが、安心した途端にやはりどっと疲労が来ました。もう終わってからは立てないような状況になったので、トヨタのレンタカーのお店の中で点滴を受けました。でも、終わってからは本当に安心したかなと思います。

ーー監督からはどんな声かけをされましたか

 そんなに覚えていないですが、後々テレビで見返した時に、早稲田を象徴する選手だというのを花田監督がおっしゃっていて、それは本当に嬉しいなと思いましたし、4年間やってきて一番良かったなと思えた瞬間でした。

憧れの箱根を3回も経験できた

箱根8区を走る伊福 【早稲田スポーツ新聞会】

ーー続いて箱根後についてお聞きしていきます。レース後、本格的に練習を再開されるまではどのように過ごしていましたか

 元々は所沢に残って、1日明けてから練習を再開する予定でいました。体調を崩してああいうかたちで終わってしまったのもあって、結局所沢にいても練習することもできなかったので、実家に帰って割とゆっくり、療養みたいな感じで5日間6日間ぐらいは走らずに過ごしました。1月10日ぐらいから練習をスタートした感じです。

ーー現在の体の調子はいかがですか

 休んだおかげで疲労が抜けたのか、もう割といい状態かなと思っています。5キロのインターバルだったり、20キロ走という距離走もしっかりこなせてきて、2月24日の大阪マラソンに向けて今練習を積んでいる状況です。

ーー箱根後にチームで話し合う場などはありましたか

 多分3年生以下で話し合う場はあったのかなと思いますが、僕たち(4年生)は引退なのであまりなかったです。箱根終わってから全体のお疲れ様でしたみたいな慰労会で、4年間ありがとうございましたという感じで話す場は少しあったかなと思います。

ーー今回の箱根をチームとして振り返っていかがですか

 3位を目標にしていた中で4位となって、前とも10秒差ぐらいで、自分がもう少ししっかり走っていればなというのは、やはり後々感じます。僕らが1年生になる時、シード落ちしたチームから表彰台争いをするぐらいまで持ってこられたというのは1つよかったと思っています。僕らはもう終わりですけど、3年生以下が次につながるような大会に今回はなったのかなと思います。

ーー個人としてはレースを振り返っていかがですか

 振り返るほどのことは正直ないなとは思うのですが、今回のレースというよりは4年間しっかり走って、3回も箱根を経験させてもらえたのは本当によかったなと思うのが一番のところです。

ーー3回箱根路を経験されましたが、伊福選手にとって、箱根駅伝とは

 やはり1つ目指していたものではあったので、憧れていたものを3回も経験できて本当にいい経験になったと思いますし、元々競技を続けるつもりもなかったところから、競技を続けようと思えるきっかけにもなった大会の1つだと思います。いい思いも悪い思いもしましたけど、本当にいい大会だなと思っています。自分の中では特別なレースになっているなと思います。

「地に足つけて自分のかたちで」

昨年2月延岡西日本マラソンで優勝した伊福(写真中央)と部員たち 【早稲田大学競走部】

ーー競走部での4年間についてお聞きしていきます。4年間で一番大変だったことは何ですか

 授業との両立というのは大変だったかなと思っています。特に1年生、2年生に関してはポイント練習以外はもう別の時間で、自分で練習する時間を確保してやらないといけなかったです。その中でしっかり単位も取らないといけないというのがあったので、そこの両立が一番大変だったのかなとは思います。

ーー逆に、一番楽しかったことは

 4年間、割と競技にどっぷりの生活をしてたので、本当に競技の中で楽しみを味わう機会も多かったです。学生の3大駅伝だったりとかマラソンだったりとか、本当に1つ1つの大会で結果を残せた時というのが、 自分の中で一番嬉しかったかなと思います。

ーーここまで陸上を続けてくる原動力となったものはありますか

 原動力というか、走ること自体が好きなのもありますし、辛い時もありますが、本当に陸上はタイムでわかりやすく出る競技です。 やはり結果が出た時や、自己ベスト更新できた時は本当に嬉しいので、そういうのが1つモチベーションになっていたかなと思います。

ーー早稲田での4年間で成長した部分は何ですか

 自分で考えて練習するというのは、本当に社会人にもつながるかなと思います。やはり苦しい時期、思うように走れない時期が長かった時もあったので、そういう時に折れずに、自分のやるべきことをしっかり見失わずにやるというのはこの4年間で身についたかなと思っています。そこが競技に対する面においては一番成長した部分かなと思います。

ーー陸上を大学でやる上で、早稲田に入ってよかったと思う部分はありますか

 やはり1つはチームに恵まれたなというのがあります。花田さん、相楽さん(相楽豊前チーム戦略アドバイザー、平15人卒=福島・安積)の両監督もそうですし、同期も本当に仲のいいメンバーだったので、そういう環境で陸上ができたのはとても嬉しいですし、自分の中で宝物になったと思います。

ーー最後に今後についてお聞きしていきたいと思います。実業団の中でも住友電工で陸上を続けると決めた理由はありますか

 花田さんの後輩である渡辺さん(渡辺康幸氏、平8人卒=千葉・市船橋)が監督をされているというのも大きかったですし、あとは自分のやりたいこととか、こういうふうに練習を組み立ててマラソンでやっていきたいというのを受け入れてもらえました。否定せずに、1対1でコミュニケーションを取りながら練習できて、自分で組み立てて、自分で考えてやれる環境というのが住友電工なのかなと思ったのが、そこに進もうと思ったきっかけの1つだと思います。あとは早稲田の選手もたくさん行かれてますし、 自分に足りない部分は正直トラックのスピードかなと思っています。マラソンをやる上でも、やはりトラックでの力はある程度は必要になってくる中で、住友電工はトラックで活躍されている選手が多いので、そういった選手から刺激を受けながら自分で練習して、マラソンにもつなげられるような環境があるのかなと思ったからですね。

ーー今後はマラソンを主戦場にされるのですか

 そうですね。自分も多分一番向いてるんだろうなと思いますし、それでやっていければなと思います。

ーーマラソンに懸ける思いはどんなものでしょうか

 まだ1回しか走ってないので、そんなに強い思いはないのですが、やはり初マラソンで初優勝という経験ができたことが、マラソンでやっていこうというふうに決めるきっかけになりました。まだ2時間9分そこらですけど、6分台とか5分台とか、そういうタイムを狙っていける選手になれればいいかなと思っています。

ーー次の大阪マラソンでの目標を教えてください

 一応6分台から7分台前半を1つターゲットにしていこうと思っています。そんなに上を見すぎても正直足元をすくわれるだけですし、42キロという距離でもう本当に何があるかわからないので、自分の今の力をしっかり見極めながら花田さんと想定を組んでやっていきたいなと思います。やはり箱根がああいうかたちで終わってしまった中で、最後にもう1回エンジを着て走る舞台がありますし、いろいろな人に応援してると言ってもらっているので、しっかりいいかたちで終われれば一番かなと思います。

ーー今後はどこを拠点に練習する予定ですか

 一応東京拠点で練習をすることにはなっています。東京拠点はトラックの選手が多いので、そこでトラックの選手たちからいい刺激を受けながら練習する予定です。ロードのメニューはもしかしたら別メニューでやるようなこともあるかもしれないですが、トラックの力もある程度つけてはいかないとマラソンでも勝負できないので、あまり上を見すぎず、地に足つけて自分のかたちで頑張っていければなと思います。

ーー活躍の場を実業団に移す中で、意識している選手はいますか

 (高校の同期で青学大の)若林(宏樹)と言いたいところですが、気づいたら引退することになっていたので、特に意識する選手はいないです。あまり周りを意識しすぎると自分の調子が狂ってしまうかなとも思うので、周りに左右されず、自分のペースで1つ1つ自分を超えていけたらなと思います。

ーー早稲田の後輩で注目している選手はいますか

 やはり僕自身が推薦で入ってきたわけではないので、宮岡(宮岡凜太、商3=神奈川・鎌倉学園)や幸太郎(伊藤幸太郎、スポ3=埼玉・春日部)です。(2人とも)もうラストイヤーになると思います。宮岡は特に今年箱根を走れず悔しい思いをしてますし、幸太郎も16人に入れなかった分、本当に悔しい思いをして、それを年明けのハーフでもしっかり結果を1つ残してくれました。来年強い新入生も入ってきて、本当に今年以上に16人ないし10人のメンバー争いはかなり激しくなってくると思います。推薦ではなくて一般入試で入ってきた子たちが1年生の頃からコツコツ頑張って、最後にいい結果で締めてくれるのが一番自分としても嬉しいかなと思います。

ーー最後に今後の意気込みをお願いします

 早稲田で4年間やってきたおかげで、実業団で続けるという新しい道を開くことができて、マラソンでやりたいという思いも芽生えたので、 しっかりこの4年間でやってきたことを社会人で生かします。やるからには代表を目指せるような選手になりたいなと思っているので、トップレベルで活躍できるように頑張っていこうかなと思います。

ーーありがとうございました!

【早稲田スポーツ新聞会】

◆伊福陽太(いふく・ようた)

2002(平14)年12月23日生まれ。173センチ。京都・洛南高出身。政治経済学部4年。第101回箱根8区1時間5分54(区間11位)。学生最後の学期、友人に誘われハンドボールを履修している伊福選手。キーパーとしてナイスセーブを連発しているそう。本人曰く、「セカンドキャリア見えてきたわぁ」。身体能力も抜群の伊福選手の今後に注目です!

駅伝強化PJ 第2弾クラファン「箱根の頂点へ、世界へ」 ご支援よろしくお願いします!!!

【早稲田スポーツ新聞会】

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著者プロフィール

「エンジの誇りよ、加速しろ。」 1897年の「早稲田大学体育部」発足から2022年で125年。スポーツを好み、運動を奨励した創設者・大隈重信が唱えた「人生125歳説」にちなみ、早稲田大学は次の125年を「早稲田スポーツ新世紀」として位置づけ、BEYOND125プロジェクトをスタートさせました。 ステークホルダーの喜び(バリュー)を最大化するため、学内外の一体感を醸成し、「早稲田スポーツ」の基盤を強化して、大学スポーツの新たなモデルを作っていきます。

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