運動部の指導者は絶対王政の王様か? 「干す」選手にとって「死」と同等にも…
【写真:アフロスポーツ】
そのキーワードは「人権」だった。人権の世紀と言われる今、どこまでが許され、どこまでが許されないのか高校野球で多くのヒット作を持つ中村計氏が、元球児の弁護士・松坂典洋氏に聞いた。日本人に愛される「高校野球」から日本人が苦手な「人権」を考える知的エンターテインメント。
『高校野球と人権』(著:中村計、松坂典洋)から一部抜粋して公開します。
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監督は絶対王政時代の「王」
松坂 憲法の成り立ちからして違いますからね。日本の場合、国民が一斉蜂起して王様に刃向かい権利を勝ち取ったという歴史はほぼないんですよ。なので、どうしても権利は与えられるもの、という感覚が強いのだと思います。与えられたものだから、場合によっては奪われてしまうこともあると考えてしまう。もっと言うと、奪ってもいいと考えている節があるんですよね。
中村 僕もYouTubeなどで民衆が人権を手に入れるまでの歴史をいちおう、勉強したんです。これまで「革命」と聞いても、王様がそんな無茶苦茶なことをやったら市民は怒るよなくらいにしか考えたことがなかった。まったく実感がともなっていなかったんです。でも「王」を監督に、「民衆」を部員に置き換えて想像したら、いかにすごいことをしたのか少し想像がつくようになりました。
松坂 冗談ではなく、現状を知れば知るほど、運動部の指導者はフランスの絶対王政のときの王様に近いのだなと思います。あまりにも絶対的な権力を持ってしまっているのに抑止力がほとんど働いていない。
2012年に桜宮のバスケットボール部で監督から何度も体罰を受けた生徒が自殺した事件がありましたよね。あれ以降、文科省を含めていろんな団体からガイドラインや通達が出続けています。でも、同じような事件は後を絶ちません。2018年の「不来方(こずかた)高校バレーボール部自殺事件」も監督の指導がもとで生徒が精神的に追い込まれたことが原因でした。2021年の「沖縄コザ高校自死事件」でも暴力はなかったのですが、やはり行き過ぎた指導の結果、空手部の部員が自ら命を絶っています。
中村 体罰の問題は最後に詳しく聞きたいと思っているのですが、桜宮高校の事件のあとも調査の対象によっては指導者の体罰件数はほとんど変わらないという報告も提出されているようです。
松坂 学校の部活における密室性は何も変わっていないのだと思います。だから監督の「王」としてのポジションも変わらない。
中村 今でも少なからずいますが、ひと昔前までの高校球界や大学球界の名物監督と言われるような人たちは、本当に迫力がありました。凄みの利かせ方が、とてもカタギの人には見えませんでしたから。そういう人たちほど人間味があって、僕は少し好きでもあったのですが、少なくとも自分が指導を受けたいとは思えませんでした。逆らったら、本気で殴られたと思うんです。バットで頭を叩かれて死にかけたみたいな逸話、けっこう聞きましたから。選手があまりの怖さに殴られながら失禁してしまったとか。まさに絶対的な権力者ですよね。
松坂 高校球界を代表する古豪は、かつて真剣の上に裸足で乗る練習をしていたという都市伝説みたいな話もありますよね。
中村 有名な話ですよね。そういう監督に部員が反旗を翻したのと同じなわけですよね、昔のヨーロッパの革命は。それまで「はい」しか言わなかった選手たちが突然、監督に対して「もうあなたの好き勝手にはさせませんよ。野球部はあなたのものではない、俺たちのものだ!」と言う。ブルブル震えながら。でも、決然と。ありえないですよ。その状況と同じなのだと考えると、世界的な革命における摩擦たるや想像を絶します。
松坂 世界史上、最大の下剋上といってもいい1789年のフランス革命では、200万人もの人々の命が犠牲になったと言われています。
近代の市民革命において市民は身体の自由を獲得すべく命をかけて戦いました。学生野球のプレイヤーたちもそこは同じだと思うんです。監督に反抗的な意志を示したら試合に出られなくなってしまうかもしれません。干されるという状況は、選手にとっては投獄や死と同義ですからね。決して大げさなたとえでもないと思います。