J2降格の鳥栖が「13試合ぶり」の白星 “J初得点”の二人が町田戦で見せた奮起

大島和人

苦境だからこそ問われた立ち居振る舞い

決勝点を演出した西矢(左)と寺山 【(C)J.LEAGUE】

 サポーターがお金を払ってスタジアムに足を運び、声援を送っている以上、選手には全力でプレーをする責任がある。とはいえ現実として残留という最低限の目標が消えた中で、チームと選手がどう振る舞うかは難しい。

 寺山は降格が決まった直後のチームの雰囲気をこう言葉にする。

「すんなり受け入れるなんて、どの選手にもできることではありません。ただ『受け入れずに下を向いてやっていくのがよくない』のは、サッカー選手なら誰しもが分かっていることだと思います」

 町田戦に向けた切り替え、モチベーション作りについてはこう振り返る。

「チームとして『残り4試合、どういう立ち居振る舞いをするかが大事』という話もありました。立ち居振る舞いは例えば練習中の声や、プレーのアグレッシブさです。僕個人も成長しなければいけないし、降格決定でサッカー選手としてのキャリアが終わるわけではない。そのようなモチベーションの作り方は、上手くできたかなと思います」

 寺山のお手本になったのが、FC東京時代のチームメイトだった徳元悠平だ。徳元は寺山とほぼ同じタイミングで名古屋グランパスへの期限付き移籍が決まり、ルヴァンカップ制覇にも貢献している。

「徳元選手は自分がメンバーに選ばれなくても、ひたむきに努力を続けて、腐らずやる姿勢を常に僕らに見せてくれていました。僕もそういう選手の近くでプレーできて、どんな立場に置かれてもやり続けることはすごく大事だなと改めて感じました。自分はサッカーが好きだから、楽しいからやっているところもあります。(試合に出られなくても)その気持ちを忘れず、さらに『日々成長』を常に意識してやっていました」(寺山)

降格後の町田戦が持っていた意味

鳥栖サポーターもスタジアムの前向きな空気を作っていた 【(C)J.LEAGUE】

 受け入れがたい現実に直面すると、チームも個人も悪循環にハマりがちだ。どこに向かうべきかという「道」を共有できず、バラバラになり、迷走を始める――。サッカー、スポーツのみならずどんな組織でも起こり得る現象だろう。ただ、鳥栖は少なくとも再起の一歩目をしっかり踏み出した。

 選手もクラブも、永遠に順風満帆が続くことはない。出番を失ったとき、出場時間が減ったときでも「やり続けられる」選手がJ1に残り、もしくは海外にステップアップを果たす。J1の20クラブのうち降格経験がないクラブは鹿島アントラーズと横浜F・マリノスの2つしかない。つまり降格はほぼ全クラブがいつか迎える現実だ。鳥栖が再びJ1に戻れる保証はないが、とはいえ「やり続ける」しか道はない。

 つまずきがあっても、鳥栖というクラブの歴史と、寺山のサッカー人生はまだ続いていく。11月3日の町田戦は、勝ち点だけを見れば「消化試合」だったのかもしれない。しかし選手やクラブにとって、再スタートの意志を見せる前向きな場だった。

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著者プロフィール

1976年に神奈川県で出生し、育ちは埼玉。現在は東京都北区に在住する。早稲田大在学中にテレビ局のリサーチャーとしてスポーツ報道の現場に足を踏み入れ、世界中のスポーツと接する機会を得た。卒業後は損害保険会社、調査会社などの勤務を経て、2010年からライター活動を開始。取材対象はバスケットボールやサッカー、野球、ラグビー、ハンドボールと幅広い。2021年1月『B.LEAGUE誕生 日本スポーツビジネス秘史』を上梓。

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