最強ライバルと戦った男子200m個人メドレー 30歳の瀬戸大也が3度目の五輪で感じた「幸せ」とは?

大島和人

瀬戸大也は男子200メートル個人メドレーを7位で終えた 【写真は共同】

 瀬戸大也のパリ五輪が8月2日(現地時間)に終わった。400メートル個人メドレー、200メートル個人メドレーとも決勝へ進出したものの、いずれも成績は7位にとどまっている。メダル獲得はならなかった。

 200メートル個人メドレーは準決勝で自己ベストの1分56秒59を記録し、決勝はより積極的なレースを見せた。しかし150メートル過ぎの自由形で失速し、1分57秒21とタイムを落とした。

「最後の自由形はバテバテでした」

 瀬戸は200メートル個人メドレーをこう振り返る。

「うまく泳げなかったです。1分55秒台がメダルラインだと思ったので……。背泳ぎは29秒前半でいきたかったんですけど、29秒8で『頑張り度』が上回って、疲労の中で100メートルを回りました。平(泳ぎ)も落ち着いていこうと思って、隣のダンカン(・スコット)にちょっと置いてかれる形となり焦ってしまって、最後の自由形はバテバテでした。準決勝の方が余力はありましたし、思うような結果が出せなくて残念ですけど、ただこの大会を通して全力で戦えたと思います」

 銅メダルを獲得したリオデジャネイロ五輪を皮切りに、3回連続で五輪に出場している30歳のベテランスイマーでも、「力み」が出てしまうものらしい。「最後にちょっと“力み感”が強くて、前半は空回っちゃった感じです」と悔しさをのぞかせていた。

 世界水泳では4つの金メダルを獲得している彼にとって、五輪で目指すものはメダルだった。7位という成績は、おそらく望んでいたものではない。しかし、記者の前に現れたときの表情は清々しく、やり切ったアスリートが持つ前向きな雰囲気を漂わせていた。「ファンの声援を背に受けて戦えた」ことも、彼にとっては大きかった。

「結果は出せず悔しい気持ちはありますけど、後悔は全くなく、素晴らしい大会だったなと思います。200・400のどちらも出させてもらえて、決勝の舞台で最強のライバルたちと戦えたことが本当に幸せです」

当面は現役続行も、ロス挑戦は不透明

 30歳という年齢は、水泳選手にとって引退の二文字がちらつくタイミングだ。ただ瀬戸はロサンゼルス五輪への挑戦、引退のいずれも明言をしなかった。

「今年はまだ(12月に)世界短水路もあります。世界短水路は7連覇(の可能性)があるのですが、誰もやったことないので、チャレンジしたい気持ちはあります。この後の国体も出る予定です。ただロス五輪は34歳ですし、相当な覚悟がないと自分が続ける必要はないなと思っていて、今すぐここで『ロスを目指します』という発言もできません」

 大会直後の予定については、こう明かしてくれた。

「日本に1回帰って、応援してくださった方々へ挨拶に行きます。今スポンサーさんが6社あって、新しくついてくださったところもあるのですが、しっかりと各社を全部回りつつ、スポンサーさんと一緒になって、子供の水泳教室だったり、自分が教えられるようなイベントだったりをしたい」

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著者プロフィール

1976年に神奈川県で出生し、育ちは埼玉。現在は東京都北区に在住する。早稲田大在学中にテレビ局のリサーチャーとしてスポーツ報道の現場に足を踏み入れ、世界中のスポーツと接する機会を得た。卒業後は損害保険会社、調査会社などの勤務を経て、2010年からライター活動を開始。取材対象はバスケットボールやサッカー、野球、ラグビー、ハンドボールと幅広い。2021年1月『B.LEAGUE誕生 日本スポーツビジネス秘史』を上梓。

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