慶應高校野球部―「まかせる力」が人を育てる―

「個人主義の若者」だった慶應高・森林監督 「高校野球らしさ」に疑問を抱いた原体験とは?

加藤弘士(スポーツ報知)

NTT、筑波大で獲得した「外からの目線」

 1996年4月、NTT入社。配属は池袋支店法人営業部だった。周辺の区役所や学校へ営業に行き、NTTの回線を利用したコンピューターネットワークのシステムを売る。「もうFAXや電話の時代じゃないんですよ」と営業トークに磨きをかけた。世はIT革命のまっただ中。業績は悪くなかった。しかし燃え切らない自分がいた。学生コーチ時代に味わった「あの感じ」が忘れられなかった。

 6月になると、心が躍った。森林は連日、スポーツ新聞を買い求め、外回りの合間にファミレスに籠もった。夏の地方大会のトーナメント表を切り抜き、49地区のフォルダに入れた。買い忘れた地区があると、図書館に行ってコピーした。

「組み合わせを見ながら、『初戦からこのカードか、熱いなあ』と思ったり。開幕すると、きょうは北から行こうかな、南からにしようかなって、端から全部トーナメント表に勝ち上がりをつけるんです。7月中旬になると全国で1日400試合になって、2時間ぐらいかかる。ファミレスの滞在時間が長くなっちゃって(笑)。夜、仕事が終わってからもやっていました。中学時代から、高校、大学、社会人と十何年。マニアと言われれば、マニアですね」

 入社2年目。「あの空気に戻るしかない」。森林は高校野球の指導者への転身を決断した。迷いはなかった。「さすがにもう親は頼れませんので」。学費を貯めるためにもう1年働いた。教員免許が取得できて、スポーツを一から学べる環境はどこだろうか。順天堂大大学院と筑波大大学院に絞り、後者に決めた。3年目に退職。恩師の上田は当時、米カリフォルニア大ロサンゼルス校(UCLA)に留学中だった。森林はロサンゼルスへ飛んだ。

「それって相談じゃないじゃん。報告だろ。もう決まっているんじゃないか」

 上田らしいエールで、前途を祝福してくれた。

 つくば市春日4丁目にある築30年のアパートは家賃3万5000円。初の一人暮らしが始まった。

 村木征人(ゆきと)が指導教官を務めるコーチング論研究室。陸上やスピードスケート、アメフトに元大相撲の力士……様々な競技の選手と交流し、意見を交わす機会に恵まれた。

「野球ってどうして一緒にウォーミングアップするの? みんな一緒のメニューなんておかしくない?」

 野球一筋の森林にとって、他種目のアスリートの声は新鮮だった。「野球界の常識にとらわれてはいけない」との思いが芽生えた。思考停止することなく、「高校野球らしさ」に疑問を抱き、発信していく上での原体験となった。

書籍紹介

【写真提供:新潮社】

「高校野球の常識を覆す!」を合言葉に、慶應高校野球部は107年ぶりに全国制覇を成し遂げた。

彼らの「常識を覆す」チーム作りとは、どんなものなのか?
なぜ選手たちは「自ら考えて動く」ことができるのか?

選手、OB、ライバル校の監督等、関係者に徹底取材。見えてきたのは、1世紀前に遡る「エンジョイ・ベースボール」の系譜と、歴代チームの蹉跌、そして、森林貴彦監督の「まかせて伸ばす」指導法だった。

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著者プロフィール

1974年4月7日、茨城県水戸市生まれ。水戸一高、慶應義塾大学法学部法律学科を卒業後、1997年に報知新聞社入社。2003年からアマチュア野球担当としてシダックス監督時代の野村克也氏を取材。2009年にはプロ野球楽天担当として再度、野村氏を取材。その後、アマチュア野球キャップ、巨人、西武などの担当記者、野球デスクを経て、2022年3月現在はスポーツ報知デジタル編集デスク。スポーツ報知公式YouTube「報知プロ野球チャンネル」のメインMCも務める。

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