「個人主義の若者」だった慶應高・森林監督 「高校野球らしさ」に疑問を抱いた原体験とは?
NTT、筑波大で獲得した「外からの目線」
6月になると、心が躍った。森林は連日、スポーツ新聞を買い求め、外回りの合間にファミレスに籠もった。夏の地方大会のトーナメント表を切り抜き、49地区のフォルダに入れた。買い忘れた地区があると、図書館に行ってコピーした。
「組み合わせを見ながら、『初戦からこのカードか、熱いなあ』と思ったり。開幕すると、きょうは北から行こうかな、南からにしようかなって、端から全部トーナメント表に勝ち上がりをつけるんです。7月中旬になると全国で1日400試合になって、2時間ぐらいかかる。ファミレスの滞在時間が長くなっちゃって(笑)。夜、仕事が終わってからもやっていました。中学時代から、高校、大学、社会人と十何年。マニアと言われれば、マニアですね」
入社2年目。「あの空気に戻るしかない」。森林は高校野球の指導者への転身を決断した。迷いはなかった。「さすがにもう親は頼れませんので」。学費を貯めるためにもう1年働いた。教員免許が取得できて、スポーツを一から学べる環境はどこだろうか。順天堂大大学院と筑波大大学院に絞り、後者に決めた。3年目に退職。恩師の上田は当時、米カリフォルニア大ロサンゼルス校(UCLA)に留学中だった。森林はロサンゼルスへ飛んだ。
「それって相談じゃないじゃん。報告だろ。もう決まっているんじゃないか」
上田らしいエールで、前途を祝福してくれた。
つくば市春日4丁目にある築30年のアパートは家賃3万5000円。初の一人暮らしが始まった。
村木征人(ゆきと)が指導教官を務めるコーチング論研究室。陸上やスピードスケート、アメフトに元大相撲の力士……様々な競技の選手と交流し、意見を交わす機会に恵まれた。
「野球ってどうして一緒にウォーミングアップするの? みんな一緒のメニューなんておかしくない?」
野球一筋の森林にとって、他種目のアスリートの声は新鮮だった。「野球界の常識にとらわれてはいけない」との思いが芽生えた。思考停止することなく、「高校野球らしさ」に疑問を抱き、発信していく上での原体験となった。
書籍紹介
【写真提供:新潮社】
彼らの「常識を覆す」チーム作りとは、どんなものなのか?
なぜ選手たちは「自ら考えて動く」ことができるのか?
選手、OB、ライバル校の監督等、関係者に徹底取材。見えてきたのは、1世紀前に遡る「エンジョイ・ベースボール」の系譜と、歴代チームの蹉跌、そして、森林貴彦監督の「まかせて伸ばす」指導法だった。