【リーグワン戦士「青春」を語る】神戸スティーラーズ・山本幸輝「あの時代があったから、今も頑張れています」
中学から社会人までプロップを務め、日本代表での出場経験もある山本。「原点」について語ってもらった 【© KOBE STEEL, LTD.】
高校で受けた「スクラム100本」の洗礼
山本 小学校1年からクラブチームで野球をやっていたのですが、中学2年の終わりぐらいにやめて、中学校3年から学校のラグビー部に入りました。野球の練習についていくのも難しかったし、違うスポーツやってみたいという思いもありました。滋賀県にラグビー部がある中学校は5校しかなく、たまたま僕が通っていた野洲中にはあった。一つ上の先輩が「お前は体大きいから絶対ラグビーしたほうがいいよ」って言ってくれたのがきっかけです。
実はラグビーを始めた頃は体重が95㎏ぐらいあったんです。当時はコンビニで売っているメロンパンが大好きで、自転車に乗りながらよく食べていました。それを近所のおばちゃんに見られていて、「あの子、いつも見たらなんか食べている」って言われていましたね(笑)。
――高校は地元滋賀の強豪・八幡工業に進学しました。
山本 僕が高校に入るとき、ちょうど滋賀・光泉高校(現・光泉カトリック)にラグビー部ができるというタイミングでした。それで同級生の多くは光泉高校に進学しました。でも僕はラグビー部に誘ってくれた先輩がいたので、八幡工業への進学を決めました。
――ポジションはずっとプロップ。八幡工業でスクラムを鍛えたのでしょうか。
山本 はい。中学時代はまったくといっていいほどスクラムの組み方とかも知らなくてやっていました。八幡工業に入り、1年でまだ体ができていないけど、たまたま先輩にプロップの人があまりいなくて、いきなり3年生の人と毎日スクラムを組むことになったんです。八幡工業はスクラムにかなり力を入れている高校で、当時の東谷正宏監督がスクラムを100本組む練習を毎日やっていました。
――いきなり8人対8人でのスクラムを、毎日100本ですか?
山本 3人対3人からカウントしていくんですけど、それを30本やって、次は5人対5人、8人対8人でやって、合計100本組んでいました。毎日2時間ぐらいみっちりです。今思ったらもう絶対できないと思うんですけどね(笑)。バックスはその間、キックの練習とかしているんですけど、やることなくなって、気づいたらどこかに行っていました。だけど、フォワードはずっとスクラムをやるという感じでした。
――朝練もあったのでしょうか?
山本 八幡工業のことを略して「八工」というんですが、学校の周囲を2.4キロ走る八工走というのがあって、水曜日の6時間目に全校生徒で走るんです。だけど、ラグビー部は月、火、木、金の朝も走っていて、しかも後ろから東谷先生が自転車で追いかけてきて…(苦笑)。
当然、プロップの僕とかが最後尾になっているので、先生にずっとあおられて「行け!」と言われながら走っていたことが、すごく記憶に残っています。雨が降るとなくなるので、みんなで“雨乞い”もしていました(笑)。でも、高校に入学したとき98キロだったのが、卒業するときは95キロでした。ありがたいことに、動ける体にしてもらいましたね!
朝だけじゃなくて、午後の練習も長かったです。授業が終わって午後4時ぐらいから練習を始めて3、4時間やっていたんじゃないですかね。さらにみんなでしゃべっていたから結局、家に帰るのは夜の8時、9時とかになっていました。
――花園には1、2年時に八幡工業が出場していますね。
山本 僕は1年生の時はレギュラーじゃなかったので、スタンドで先輩たちの勇姿を見ていましたが、今、チームメイトの山中亮平さん(東海大仰星)など、それまで見たことないような大きい選手がいっぱいいて、圧倒されました。あと、大阪の高校の選手が当時は呼吸がしやすいように鼻にテープをつけたり、ヘッドキャップの後ろの紐の色を変えて長めにしたりするのが流行っていた。それを見て、滋賀に帰ったら真似したりしていましたね。
2年のときはレギュラーで試合に出て、初戦は岡谷工業(長野)と対戦しました。独特の緊張感というか、初めての舞台で、やっぱりめちゃくちゃ緊張した記憶がありますけど、同時に初めて花園のピッチに立てて嬉しかったし、喜びを感じたのを覚えています。
2回戦は大阪朝鮮高(大阪)と対戦して負けました。試合前に大阪府の決勝のビデオを見たんですけど、後に宗像サニックスでもプレーした高健二さん(CTB)という選手がいて、めちゃくちゃすごい動きをしていたのをみんなで見て、「こんな人とできんのか!」と言っていたいのを覚えていますね。
――3年生のときは花園に出場できませんでした。
山本 滋賀県予選の決勝で光泉と対戦しました。勝てるペースで試合をやったんですけど、なにせ決勝戦という舞台でミスがあり、最終的には負けてしまいましたね。ただ、僕は意外とあっさりしていて、出し切ったし、苦しいけど仕方ないみたいな感じでした。