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「VARの監視」で急落するレフェリーの権威 正確さを求めて機械が主役となる判定の是非

森昌利

レフェリーから自信を奪った

レフェリーが自信をもってジャッジできなくなってきているのは大きな問題だ 【写真:ロイター/アフロ】

 確かにVARには誤審を防ぐだけでなく、故意のラフプレーを防止する役割もある。選手の市場価値が年々上がり、1億ポンド、現在の外国為替市場では日本円にして約190億円を超える選手がごろごろいるプレミアリーグだ。そんな高価な資産を壊されたらたまらない。VARの最大の利点は選手のプロテクションである。

 しかし今回の誤審がきっかけとなって、選手のラフプレーを防止すると同時に、レフェリーから自信を奪って的確に笛を吹けなくしてしまった。

 そこには人間として当然の心理が働いている。常に機械の正確な監視が入っているのだから、不正確な人間の目で誤審して恥をかくことはない。レフェリーがそう思うのも無理はない。

 けれどもそれでは本末転倒である。誤審をなくす手助けのために導入した機械が判定の主役になるのは間違いだ。現在プレミアで起こっている問題の根本にはそうしたVARに対する反発心があると思う。

一切のミスを許さない世界というのは…

86年W杯準々決勝、マラドーナの“神の手”によるゴールはイングランドにとっては忌々しい記憶だ。しかし、仮に当時VARがあり判定が覆っていれば、あの大会のマラドーナ伝説は生まれなかっただろう 【写真:アフロ】

 今回の一連のVAR問題において、筆者が最も感情移入できるのは、リバプール戦で利益を得て、チェルシー戦で被害を受けたトットナムのアンジ・ポステコグルー監督の発言だ。
 
 11月26日に行われたアストン・ヴィラ戦で負けて3連敗を喫したが、今季、エースのハリー・ケインが抜けたトットナムを率いて健闘するオーストラリア人知将は、「私はVARが好きではない」と公言した上で、リバプール戦後に「VARを導入したからといって誤審がなくなることはない」ときっぱり断言した。さらに、前半だけで13分のアディショナルタイムが加算されたチェルシー戦後には「VARにしょっちゅう試合を中断されるのはごめんだ」とズバリ語ると、「このままでは審判に何の権威もなくなり、我々は機械の支配下に置かれることになる」と続けて、ビデオに頼り過ぎる昨今の状況に警鐘を鳴らした。

 その通りである。ほんの数年前まで、フットボールはレフェリーという人間がジャッジするスポーツだった。もちろん誤審もあった。しかしそれが壮大なドラマとなったこともある。

 その最大の物語はディエゴ・マラドーナの“神の手”だろう。1986年6月22日、イングランドとの対戦となったメキシコW杯準々決勝で、アルゼンチン代表のエースがレジェンドとなった。0-0で迎えた後半6分、イングランドMFスティーブ・ホッジがオーバーヘッドでクリアし損ねたボールが、迷い込んだかのように、ゴール前にふんわりとした放物線を描いて侵入すると、身長166センチのマラドーナは“頭では届かない”と判断した瞬間、鋭く短く左手の拳で突いて、ゴールに押し込んだ。

 まさに犯罪的、いや犯罪そのものの先制点だった。しかしこの4分後、W杯史上に残る60メートル独走の5人抜きゴールを決めて、マラドーナは神となった。

 もしもVARがあったら、あのゴールはない。それどころか、悪魔的な天才フットボーラーは一発レッドカードの退場となり、アルゼンチンがこのベスト8戦で2-1の勝利を飾って準決勝に進出し、最終的に優勝した史実が書き換えられていただろう。

 もちろん、イングランドのフットボールファンなら、あの時代にもVARがあったらと心底願うに違いない。ちなみにサッカー史上最大のスターの1人であるマラドーナだが、イングランドでは今も強い嫌悪の対象である。

 しかし、母国のアルゼンチンでは当然のことながら、世界中のサッカーファンが現在もあの試合の2ゴールについて語り続けている。それも主審が、後にも先にもこれ以上ゴールに直結したことがないハンドを見逃すという、重大なミスを犯したからだ。

 もちろん誤審が良いと言っているわけではない。ただし人間のミスはドラマを生む。機械が全てを判定し、1センチのオフサイドまで細かく判定するような世界では、絶対にマラドーナの伝説は生まれなかった。

 それに加えて、人間が一切のミスを許さないという世界になるのは考えものではないだろうか。しかも、それが“正確だから”という理由で機械に判定を任せた結果というのでは救いがない。

 そもそも5年前ならトットナム対リバプール戦でジョーンズが退場となることはなかったし、ディアスのゴールもあっさりオフサイドで終わり、攻撃的な両軍が11対11で死力を尽くす試合となって、今季のプレミアリーグを代表するような名勝負になったかもしれない。

 最後にもう一つ言いたいことは、これからもVARの介入が進めば、1998年から6年連続で世界最優秀審判員に選出されたイタリア人レフェリー、ピエルルイジ・コッリーナのような名レフェリーが出現することはないだろうということだ。

 どんなに殺気だったスタジアムでも鋼鉄のような判定基準を保ち、フットボールの美しさを引き出すようなレフェリングをする。それは、人間は必ずミスを犯すという人間同士の寛容な認識の中で培われ、長年の経験を経て初めて生まれる。

 そうして名レフェリーと呼ばれるところまでたどり着いた審判には、筆者が息子の修士号授与式で見た、古の儀式と祝福を与えるケンブリッジの教授たちに集まる敬意と権威が与えられるべきだろう。

 そのためにはVARを撤廃、少なくとも使用を制限する必要があるのではないだろうか。無論、今さらVARをなくすことは困難だとは思う。けれども英国で人間の感情を揺さぶるフットボールが昨今のデジタル、AI文化のアンチテーゼになるのは面白い。

 前時代的な思考と感じる人もいるとは思うが、便利さや正確さを追求しすぎて、人間のやること全てを機械に奪われる将来には少なからず薄寒い恐怖を感じている。

(企画・編集/YOJI-GEN)

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著者プロフィール

1962年3月24日福岡県生まれ。1993年に英国人女性と結婚して英国に移住し、1998年からサッカーの取材を開始。2001年、日本代表FW西澤明訓がボルトンに移籍したことを契機にプレミアリーグの取材を始め、2024-25で24シーズン目。サッカーの母国イングランドの「フットボール」の興奮と情熱を在住歴トータル29年の現地感覚で伝える。大のビートルズ・ファンで、1960・70年代の英国ロックにも詳しい。

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