星野と落合のドラフト戦略 元中日スカウト部長の回顧録

星野仙一の強運と剛腕、GMとしての能力 87年ドラフトでの立浪和義1位指名の理由とは?

中田宗男

トップシークレットだった沖水・上原の強行指名

 この年は2位で兵庫の超進学校、神戸高の鎌仲政昭、3位で甲子園でも活躍した沖縄水産高の上原晃を指名するなど、前年同様に上位指名は高校生で固められた。

「中途半端な即戦力よりも活きの良い高校生」という星野さんの方針が貫かれた結果とも言える。だが、前年は宿敵巨人の後塵を拝しての2位。優勝を狙う上で駒の足りていない投手陣の補強、整備は必須のはずだった。さすがにドラフト前のスカウト会議で「監督、即戦力の投手はいいんですか?高校生よりも良い投手がいてますけど」とスカウト陣のほうから心配の声が挙がった。しかし星野さんは「ちゃんと考えとる。余計なことはせんでえぇ」という。その意味がわかったのはそれからしばらくしてからだった。
 
 ドラフトを控えた11月はじめ、長らくチームの主軸を担ってきたベテランの大島康徳さんのトレードが発表された。相手は日本ハムのローテーション投手、田中富生(中日・曽田康二と日本ハム・大宮龍男を含めた2対2のトレード)。

「そういうことだったのか」
 
 ドラフトではなくトレードで課題の投手陣を整備する星野さんのやり方に、なるほどと唸らされた。だがトレードはそれで終わらなかった。ドラフトからひと月ほど経った年末に、主力外野手だった平野謙さんと西武のローテーション投手、小野和幸のトレードが発表された。小野の西武での通算勝利数は15勝。平野さんとの実績の差は大きく、このトレードは中日にとって損とみる向きもあった。だが小野は翌年18 勝を挙げ、最多勝を獲得する活躍で星野さんの初優勝に大きく貢献した。星野さんの慧眼がこれ以上ない「即戦力投手」の補強になったのだ。
 
 思い返せば、前年のドラフトも高校生中心だったが、その後に大型トレードで落合さんを獲得していた。「将来性のある選手はドラフトで、即戦力の選手はトレードで獲得する」。それが、この頃の星野さんのチーム強化戦略だった。
 
 GMという言葉がまだ一般的ではなかった時代だったが、全権監督の星野さんはGM としても有能だった。
 
 さて、3位の上原の指名についても触れておこう。上原は明治大進学を表明しプロ入りを拒否していた。もしもプロ志望であれば、この年1位指名された、川島堅(東亜学園高‐広島)、伊良部秀輝(尽誠学園高‐ロッテ)、橋本清(PL学園高‐巨人)と同等の評価になっていただろう。
 
 星野さんは直前のスカウト会議で「(上原は)どうなんじゃ?本当にえぇんか?」と担当スカウトに確認していた。
 
 上原の強行指名は下っ端スカウトだった私には知らされていなかった。球団の中でもトップシークレットだったのだろうと思う。前年の荒川に続いて、2年連続で明治大から選手を奪う形での強行指名となった。
 
 本当に進学が決まっていたのか、星野さんが母校・明治大を利用して裏技を使ったのかはわからない。だが、私は出来レースではなかったと思っている。出来レースだったのであれば、「中日と上原は怪しい」と他球団にきな臭さを嗅ぎつけられていたはずだ。だから星野さんも、ドラフト当日まで上原指名の気配を一切出していなかった。
 
 母校との関係に自信を持っている星野さんだからこそ「交渉が難航したら俺が土下座でも何でも謝りに行けば一件落着するだろう」と考えての強行指名だったと思っている。星野さんにしかできない荒技だ。

【写真提供:カンゼン】

「星野さんは人を残し、落合さんは結果を残した」。スカウト歴38年、闘将とオレ竜に仕え、球団の栄枯盛衰を見てきた男が明かすドラフト舞台裏。

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