今、元世界3階級制覇王者の田中恒成が思い描く未来 4団体統一、5階級制覇、そして井岡一翔へのリベンジ――

船橋真二郎

本心は「井岡さんにリベンジしたい」

この3年、着実に進化の跡を見せてきた 【写真:船橋真二郎】

――現在のスーパーフライ級の世界チャンピオンたちをどう見ていますか。WBAは井岡選手、WBCがエストラーダで……。

 IBFがマルティネス、WBOが中谷潤人くんですよね。まあ、どう見ているかと言われたら、もちろん勝てると思って見てます(笑)。

――井岡陣営はエストラーダとの統一戦に動いているとも言われていますし、中谷選手は次戦で統一戦が実現しないなら、バンタム級に上げることを示唆しています。とりあえず現実的な話は置いて、4階級目を獲るために超えなければいけない相手としての4人はどうですか?

 うーん……。4階級目で失敗したから、4階級目を獲ったときに感動があるかもしれないし、それは別にどっちでもいいんですけど。絶対に4階級目は獲るんで。ただ、この階級でほんとは何がしたいの? って言ったら、井岡さんにリベンジしたい。でも、それを「挑戦」っていう形でしたいとはまったく思ってないです。

――チャンピオンとして。

 その選択肢だとWBA以外になりますよね。まず1個獲って、もう1個獲って、向こうも2個獲って、やるのがいちばんの理想です。どっちにしても、この階級でチャンピオンになったときは、他のベルトを全部獲りに行こうと本気で思ってるし。その理想の形が今、俺が話したこと。現実的な話じゃないとか、すべて抜きにして、今のがほんとの俺の気持ちです。

――昨年12月にシッキボに勝利したリングで「来年、4階級制覇します」と宣言しました。残念ながら今年の4階級再挑戦はなくなりましたが、あの時点で今、言ったことをやる準備ができたというか、今、理想の形と話してくれたことをやれる自信ができた、そう捉えていいですか?

 そうですね。あのときより、今のほうが自信あるし。

――井岡戦のあと、石田匠選手と再起戦が決まったときは「先が見えなくなった」と言っていたこともありました。また先を描けるようになってきたというか、2年前とは全然違いますね。

 うん。違いますね。さすがに(笑)。ただ、ずっと世界戦をやってないんで、このまま終わってもおかしくないのかな、とも思いながら。でも、自分の中ではまったく終わってなくて、4階級を獲って、フィナーレとも思ってないし、4団体制覇する気でいるし。で、それで終わるつもりもないですし。自分に対して、俺はもっと先を見てます。まだまだ全然。

――中谷選手のことはどう見ていますか。年下の若い選手が同じ階級に上がってきたというか。

 サウスポーで、デカくて、誰よりもやりにくいですよね。っていうか誰もがやりにくいんじゃないですか。いちばんやりたくねえやつだな、嫌だな。それが最初のイメージ(笑)。

――長い距離はもちろん、近い距離でもしっかり戦えますしね。

 近い距離はまだいいとして、サウスポーで、長身で、実力もかなりあって、なおかつ年下で。俺のほうが早く結果は残したから、そういう意味で下からどんどん上がってきた選手。こういうやつがほんとに現れたんだな、というか。

――ついに出てきたか、みたいな?

 まあ、自分が登り詰めようとして、停滞している間に下から上がってきて、めっちゃ嫌だな、というのは最初に思って。思ったからこそ、こういう勝負をしたいと思ってます。彼に限定せずにですけど。そんな気持ちにさせてくれる選手は、現状では彼しかいないんで。

――こういう勝負というのは?

 これまでは自分が彼と同じような立ち位置でやってきて、無理やり先輩に受けさせてじゃないけど(笑)、そうやって超えてきたじゃないですか。上だけを見て、上の世代と戦ってきたときとは違うドキドキ感とか、違う恐怖、違ったプライドも出てくるだろうし、そういうものとも戦いながら。そうしたら、また強くなれるんじゃないですか。自分が。そういう勝負。

――年齢を重ねるほど、そういう勝負をしなければいけないときが出てくるでしょうね。

 そうですね。だけど、しなきゃいけないとは思ってないです。ボクシングを通して、いろんな経験をして、カッコいい人になりたいという思いで、ずっとやってるんで。自分がカッコいいと思える戦い方でボクシング人生を歩みたいから、そういう勝負も経験したいという気持ちです。そういう選手が出てきたときは受ける選手でありたいって、自分が登ってるときに思ってたんで。これまで俺との試合を受けてくれた先輩たちのように。

5年前に挙げていた名勝負

田中は5年前、1997年11月、辰吉丈一郎が劇的に世界王座を奪還した一戦を名勝負のひとつに挙げていた。 【写真は共同】

 5年前、専門誌『ボクシング・ビート』に「平成生まれのトップ選手が語る。これぞ名勝負」という企画を提案し、最近の若いトップ選手たちはどんな選手のどんな試合に影響を受けてきたのか、それぞれが思う名勝負を挙げてもらい、思い入れを語ってもらったことがある。

 スーパーフライ級に一気に2階級上げた井上尚弥が鉄壁を誇る手練れの王者を2回で粉砕したオマール・ナルバエス(アルゼンチン)戦ともうひとつ、田中が挙げてくれたのが1997年11月に辰吉丈一郎が全勝を誇った若き20歳の王者シリモンコン・ナコントンパークビュー(タイ)を7回TKOで下し、劇的に世界チャンピオンに返り咲いた一戦だった。

 田中が2歳当時の名勝負は、元トレーナーで父の斉(ひとし)さんの影響で映像を見たことがあるという。ライトフライ級王座を返上し、3階級目のベルトに照準を絞っていた22歳の田中は、辰吉に自分を重ね、こんな思いを語ってくれていた。

《俺と同じように早くに世界を獲って、一度沈んだところから、昔の自分と同じように若くて勢いのある選手に挑んだ試合。想像すると精神的にキツイと思うし、苦しい状況。それでも倒して勝った。そのストーリーがカッコいい》

 今と年齢の尺度は違うとはいえ、実は当時の辰吉は27歳で、現在28歳の田中と変わらないのだ。中谷を例に、かつての自分と同じように若く勢いのある選手との勝負について語ってくれたとき、ふと思い出して、「あのとき話してくれたことと重なる」と伝えた。

 伝えておいて、「沈んでいるかは別として」と付け加えると田中は「いや、だいぶ沈んでますよ。それは認めます」と笑いながら応じた。

「俺はボクシングでこうなりたいって、王道を突っ走るじゃないけど、真っ直ぐな道を進むんだと思ってたけど、いやいや別にどんな道を行ってもいいんじゃない、違う道がいくらでもあるんじゃない、と言ってくれた人がいて。ああ、そうだなと思って」

 スーパーフライ級で4団体統一、5階級制覇、そして井岡一翔へのリベンジの思い――。以前とは違う覚悟と重みをもって、思い描く未来を語れるようになるまでの道のりは、決して平坦ではなかった。

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著者プロフィール

1973年生まれ。東京都出身。『ボクシング・ビート』(フィットネススポーツ)、『ボクシング・マガジン』(ベースボールマガジン社=2022年7月休刊)など、ボクシングを取材し、執筆。文藝春秋Number第13回スポーツノンフィクション新人賞最終候補(2005年)。東日本ボクシング協会が選出する月間賞の選考委員も務める。

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