ミドル3人の知られざる絆、自身の会心のプレーは… 小野寺太志が明かすバレー男子激闘の舞台裏
五輪予選の激闘の裏側を語ってくれた小野寺選手 【写真:田中夕子】
だいぶ精神をすり減らされながら試合をしていました。試合が終わる時間も遅いので、常にホテルへ戻るのは22~23時頃、そこから食事、治療、その日の試合や翌日の対戦相手の映像を見ると日付が変わる。試合直後で頭が冴えていて、すぐに寝られないんだけれど、次の日はミーティングがある。頭と身体の疲れは常にありました。
――しかも前半の2試合はフルセット。エジプト戦はセットカウント2-0から逆転負けを喫しました。
まず初戦のフィンランド戦でフルセットになって、あそこがよくなかった、ここが悪かった、という反省がありながらも、エジプト戦に向けて新たにデータを頭に入れないといけない。頭を切り替えられていたか、といえば完全にできていたわけではなかったですね。
エジプト戦で負けて、条件的にはだいぶ厳しくなったのも事実でした。あれだけたくさんお客さんも入ってくれている中で、見ている方も「まさかエジプトに負けるなんて」と思っていただろうし、実際僕もマイナスなこと、余計なこともずいぶん考えていました。もしもここでとれなかったらどうなるんだ、チュニジア戦も全然ダメだったらどうしよう、と。
――これまでの大会とはプレッシャーが違った?
そうかもしれません。男子の直前に女子大会もあって、女子(日本代表)がすごくいい試合をした。オリンピック出場権を今回取ることはできなかったけれど、グループ内のランキングも3番目である中、5戦目まで失セットゼロ、しかも世界ランク1位のトルコに対してもいいバレーをして、ブラジルともフルセット。
「次は俺たちの番だ」という気持ちもありましたが、OQTの経験者は(石川)祐希と関田(誠大)さん、山内(晶大)ぐらいしかいない。実際どんな大会かわかっていなかったし、いざ始まるとどの国も死に物狂いでした。すべてが初めてすぎて、どうしてこんなにうまく回らないのか。何でだ、と考えながら試合は進んで行く。前半は苦しかったですね。
――エジプト戦を終えてから切り替えるために、小野寺選手はどのように過ごしていましたか?
僕は極力バレーに触れないようにしていました。試合の映像も見るけれど、なるべくその時間も短く。それ以外の時間はYouTubeでバレーボールとは全く関係のない動画を見たり、家族と連絡を取ったり、ゲームをしたり。バレーボール、OQTだけにならないようにして、翌日のミーティングでコーチ陣がまとめてくれたデータを見て、試合に向けたスタートをもう1回、改めてつくる。テレビもネットも見ず、あえてバレーボールを切り離すようにしました。
――見ると考えてしまうし、切り替えができなくなる?
そうです。見ちゃうと耐えられないかもしれない、見たらパンクしそうだと思って。今だからこそ言えますけど、大会前の合宿からヤマ(山内)も足の調子がよくなくて、大会中に肩を痛めた。(髙橋)健太郎も膝、足首のケガをしていたけれど、ミドルは3人しかいない。2人が万全の状態ではなかったので、最低でも僕は何とか残って踏ん張らないと、という思いがありました。もともとどんな状態であろうとこの3人でやってきた、戦ってきた信頼がある。最後まで3人で戦い抜くためにも、自分の頭がパンクしないように本能的に避けていました。
――翌日、選手間でのミーティングがあった。小野寺選手はどんなことを発したのでしょうか?
まずチームとして祐希の不調がみんなの心配事でもありました。これまで託して、決まっていたところが1か所なくなっていたわけだし、パスも返らなかった。初戦は代わった大塚(達宣)が役割を果たして何とか勝てたけれど、僕はここから総力戦になると思っていたんです。
だからミーティングでも「今まではメンバーがほとんど変わらない状態だったけれど、これからはどこで誰が出るかわからない。1人1人もしんどい思いをしていると思うけれど、お互いの顔を見てコミュニケーションを取ること。それぞれ『自分が試合を決める』ぐらいの気持ちで戦う必要があるし、負けても誰かのせいじゃないし、勝つのも誰かのおかげじゃなく、みんなで戦って勝つ。そういう気持ちで戦おう」という話をしました。