野球ヲタ、投手コーチになる。 元プロ監督と元生物部学生コーチの京大野球部革命

京大野球部の個性的な新入生 疎遠な二人を近づけたアイドルという“共通の趣味”

菊地高弘

1回生の手塚(写真)は当初、三原と距離を置いていた 【京都大学野球部提供】

 最下位が定位置の京大野球部に2人の革命児が現れた。1人は元ソフトバンクホークス投手の鉄道マン・近田怜王。もう1人は灘高校生物研究部出身の野球ヲタ・三原大知。さらには、医学部からプロ入りする規格外の男、公認会計士の資格を持つクセスゴバットマン、捕手とアンダースロー投手の二刀流など……超個性的メンバーが「京大旋風」を巻き起こす!

 甲子園スターも野球推薦もゼロの難関大野球部が贈る青春奮闘記。菊地高弘著『野球ヲタ、投手コーチになる。 元プロ監督と元生物部学生コーチの京大野球部革命』から、一部抜粋して公開します。

「クソ陰キャ」と通じ合った日

 京大野球部は9月の夏場に1回生だけでキャンプを行う。

 手塚は宿泊施設で、アナリストとして入部した三原大知の姿を見かけた。三原に対して、手塚はあまりいい印象を抱いていなかった。最初にグラウンドで三原を見た時の感想は「クソ陰キャやな」。出身校が灘高校と聞き、「やっぱり灘って、漫画に出てくるガリ勉みたいなヤツがいっぱいいるんやな」と偏見交じりに納得していた。三原は監督の青木や2回生の池田唯央と話す機会が多く、手塚が会話する機会はほとんどなかった。

 そんな三原が着ている部屋着のTシャツを見て、手塚は驚きの声をあげた。

「おまえ、乃木坂好きやったん?」

 三原が着ていたのは、乃木坂46のツアーTシャツだった。欅坂ファンである手塚にとっては、同じ「坂道グループ」の同志を見つけた親しみがこみ上げた。

 話してみると、三原は乃木坂46の星野みなみ(2022年に卒業、芸能界引退)のファンだとわかった。それ以来、手塚と三原はアイドルという共通の趣味で強固に結ばれていく。

 風貌は「陰キャ」「ガリ勉」のムードがあった三原だが、腹を割って話してみると酒好きでくだけた人柄だった。手塚は「なんや、オレらよりファンキーやな」と感じた。

 その合宿中、手塚は1回生で初めて130キロ台の球速を計測。「同期で一番乗りや!」と喜んだ。体力が戻らない浪人生や故障者が多く、計測自体ができない投手もいた。

 ラプソードで手塚のデータを見た三原は、こんな感想を漏らした。

「ストレートのシュート成分が少し強いから、このボールをどう生かしてほかの球種と組み合わせるかだね。スライダーの数値はいいから、あとはシンカー系の落ちる球があるといいな」

 手塚は「何言ってるかわからんけど、なんかすごいことを言ってるんやろな」と三原の言葉を理解できずにいた。

 その後も、手塚と三原は関係性を深めていく。時には三原が一人暮らしするアパートでアイドルのライブ配信を鑑賞することもあった。

 手塚が巨体を乗り出し、興奮しながら前のめりで楽しむのに対して、三原は背もたれに身を深く埋め、腕組みをしながら堪能する。アイドルに対しての対照的な温度感は、両者の野球に対するスタンスと似通っていた。

天邪鬼のアンダースロー

 1回生の投手陣は有望視されていたとはいえ、前述の通り浪人生や故障者も多く早々に戦力になるのは難しかった。そんななか、1回生でいち早くベンチ入りを果たしたのは、内野手の愛澤祐亮である。

 愛澤は栃木県の宇都宮高校出身。栃木県民から「宇高」(うたか)と呼ばれる、公立の名門進学校である。なぜ栃木から京大を目指そうとしたか、その理由がふるっている。

「宇高には『東大を目指して当然だろ?』みたいな東大至上主義の風潮があって、僕は『凝り固まった価値観ではなく、関西で暮らしたい』と反抗したところがありました。日本文学を勉強していて、京都に対する憧れもありましたし」

 理系の学部生が多い京大野球部にあって、愛澤は珍しく文学部の学生だ。愛読書は平安時代の歌物語『伊勢物語』。同作は平安時代初期に実在した貴族の在原業平が主人公と言われ、主人公の恋模様を中心に描かれている。

「言ってしまえば、宮廷文化のゴシップですよね。高貴な身分でも、結局は禁断の恋とかゴシップが好きなんだな、という人間的なところが好きなんです」

 こうした言動からも伝わるように、愛澤には物事に対して斜に構えたところがある。

 幼少期から野球も勉強も、なんでも器用にこなしてしまう子どもだった。両親から「勉強しなさい」と厳しく言われたことはないが、努力を怠ったことはなかった。愛澤は「見栄っ張りだったんです」と振り返る。

「今にして思えば身の程知らずなんですけど、勉強も野球も誰が相手でも勝てると思っていたんです。勉強なら順位が出されるので、『いい順位を取りたい』と勉強して。いい順位が取れないと、『できる自分』が崩れちゃうような恐怖心がありました」
 
 野球でも宇都宮ポニーで活躍し、強豪私学からの誘いもあった。だが、愛澤はそこでも持ち前の天邪鬼を発揮して「公立進学校で強豪私学に勝ちたい」と宇都宮高校に進む。

 大学受験の準備は予備校に通うことなく、高校の授業と自習のみ。長期的な戦略はなく、目の前の課題をクリアし続けて合格最低点を1.5点上回った。愛澤は「公立の中高を出て、塾にも行ってないので、誰よりもコスパよく京大に合格したと思います」と笑う。

 その一方で、野球選手としての愛澤には「器用貧乏」というコンプレックスがあった。何をやらせてもそこそここなせる反面、突き抜けた能力がない。高校時代は二塁手としてプレーする傍ら、アンダースローの投手としてもプレーした。

「同じ栃木出身の渡辺俊介さん(元ロッテほか)の『アンダースロー論』(光文社新書)という本を読んで、『アンダースローはあきらめの悪い人種だ』と書いてあったんです。僕も『上から投げても限界があるだろう』というあきらめから腕の振りがどんどん下がっていったので、すごく共感できました。強豪私学に勝つための方法として、アンダースローを磨いていったんです」

 大学でも「投手としてリーグ戦のマウンドに立ちたい」という希望があったが、同期には手塚ら大型投手がひしめいていた。身長170センチにも満たない愛澤は「セカンドなら、すぐシートノックに入ってもいいよ」と言われ、内野手として入部することにした。

 走攻守をソツなくこなせる愛澤は野手として即戦力になったが、「ピッチャーをやりたかったな」という無念は胸にくすぶり続けた。

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著者プロフィール

1982年生まれ、東京都育ち。野球専門誌『野球太郎』編集部員を経て、フリーの編集兼ライターに。元高校球児で、「野球部研究家」を自称。著書『野球部あるある』シリーズが好評発売中。アニメ『野球部あるある』(北陸朝日放送)もYouTubeで公開中。2018年春、『巨人ファンはどこへ行ったのか?』(イースト・プレス)を上梓。

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