京大野球部の個性的な新入生 疎遠な二人を近づけたアイドルという“共通の趣味”
1回生の手塚(写真)は当初、三原と距離を置いていた 【京都大学野球部提供】
甲子園スターも野球推薦もゼロの難関大野球部が贈る青春奮闘記。菊地高弘著『野球ヲタ、投手コーチになる。 元プロ監督と元生物部学生コーチの京大野球部革命』から、一部抜粋して公開します。
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「クソ陰キャ」と通じ合った日
手塚は宿泊施設で、アナリストとして入部した三原大知の姿を見かけた。三原に対して、手塚はあまりいい印象を抱いていなかった。最初にグラウンドで三原を見た時の感想は「クソ陰キャやな」。出身校が灘高校と聞き、「やっぱり灘って、漫画に出てくるガリ勉みたいなヤツがいっぱいいるんやな」と偏見交じりに納得していた。三原は監督の青木や2回生の池田唯央と話す機会が多く、手塚が会話する機会はほとんどなかった。
そんな三原が着ている部屋着のTシャツを見て、手塚は驚きの声をあげた。
「おまえ、乃木坂好きやったん?」
三原が着ていたのは、乃木坂46のツアーTシャツだった。欅坂ファンである手塚にとっては、同じ「坂道グループ」の同志を見つけた親しみがこみ上げた。
話してみると、三原は乃木坂46の星野みなみ(2022年に卒業、芸能界引退)のファンだとわかった。それ以来、手塚と三原はアイドルという共通の趣味で強固に結ばれていく。
風貌は「陰キャ」「ガリ勉」のムードがあった三原だが、腹を割って話してみると酒好きでくだけた人柄だった。手塚は「なんや、オレらよりファンキーやな」と感じた。
その合宿中、手塚は1回生で初めて130キロ台の球速を計測。「同期で一番乗りや!」と喜んだ。体力が戻らない浪人生や故障者が多く、計測自体ができない投手もいた。
ラプソードで手塚のデータを見た三原は、こんな感想を漏らした。
「ストレートのシュート成分が少し強いから、このボールをどう生かしてほかの球種と組み合わせるかだね。スライダーの数値はいいから、あとはシンカー系の落ちる球があるといいな」
手塚は「何言ってるかわからんけど、なんかすごいことを言ってるんやろな」と三原の言葉を理解できずにいた。
その後も、手塚と三原は関係性を深めていく。時には三原が一人暮らしするアパートでアイドルのライブ配信を鑑賞することもあった。
手塚が巨体を乗り出し、興奮しながら前のめりで楽しむのに対して、三原は背もたれに身を深く埋め、腕組みをしながら堪能する。アイドルに対しての対照的な温度感は、両者の野球に対するスタンスと似通っていた。
天邪鬼のアンダースロー
愛澤は栃木県の宇都宮高校出身。栃木県民から「宇高」(うたか)と呼ばれる、公立の名門進学校である。なぜ栃木から京大を目指そうとしたか、その理由がふるっている。
「宇高には『東大を目指して当然だろ?』みたいな東大至上主義の風潮があって、僕は『凝り固まった価値観ではなく、関西で暮らしたい』と反抗したところがありました。日本文学を勉強していて、京都に対する憧れもありましたし」
理系の学部生が多い京大野球部にあって、愛澤は珍しく文学部の学生だ。愛読書は平安時代の歌物語『伊勢物語』。同作は平安時代初期に実在した貴族の在原業平が主人公と言われ、主人公の恋模様を中心に描かれている。
「言ってしまえば、宮廷文化のゴシップですよね。高貴な身分でも、結局は禁断の恋とかゴシップが好きなんだな、という人間的なところが好きなんです」
こうした言動からも伝わるように、愛澤には物事に対して斜に構えたところがある。
幼少期から野球も勉強も、なんでも器用にこなしてしまう子どもだった。両親から「勉強しなさい」と厳しく言われたことはないが、努力を怠ったことはなかった。愛澤は「見栄っ張りだったんです」と振り返る。
「今にして思えば身の程知らずなんですけど、勉強も野球も誰が相手でも勝てると思っていたんです。勉強なら順位が出されるので、『いい順位を取りたい』と勉強して。いい順位が取れないと、『できる自分』が崩れちゃうような恐怖心がありました」
野球でも宇都宮ポニーで活躍し、強豪私学からの誘いもあった。だが、愛澤はそこでも持ち前の天邪鬼を発揮して「公立進学校で強豪私学に勝ちたい」と宇都宮高校に進む。
大学受験の準備は予備校に通うことなく、高校の授業と自習のみ。長期的な戦略はなく、目の前の課題をクリアし続けて合格最低点を1.5点上回った。愛澤は「公立の中高を出て、塾にも行ってないので、誰よりもコスパよく京大に合格したと思います」と笑う。
その一方で、野球選手としての愛澤には「器用貧乏」というコンプレックスがあった。何をやらせてもそこそここなせる反面、突き抜けた能力がない。高校時代は二塁手としてプレーする傍ら、アンダースローの投手としてもプレーした。
「同じ栃木出身の渡辺俊介さん(元ロッテほか)の『アンダースロー論』(光文社新書)という本を読んで、『アンダースローはあきらめの悪い人種だ』と書いてあったんです。僕も『上から投げても限界があるだろう』というあきらめから腕の振りがどんどん下がっていったので、すごく共感できました。強豪私学に勝つための方法として、アンダースローを磨いていったんです」
大学でも「投手としてリーグ戦のマウンドに立ちたい」という希望があったが、同期には手塚ら大型投手がひしめいていた。身長170センチにも満たない愛澤は「セカンドなら、すぐシートノックに入ってもいいよ」と言われ、内野手として入部することにした。
走攻守をソツなくこなせる愛澤は野手として即戦力になったが、「ピッチャーをやりたかったな」という無念は胸にくすぶり続けた。