京大野球部を指導することになった元プロ野球選手 秀才たちの質問に戸惑いも
近田(写真左)はプロや社会人でのプレー経験を持つが、京大野球部員は出会ったことのない人種に思えたそうだ 【写真は共同】
甲子園スターも野球推薦もゼロの難関大野球部が贈る青春奮闘記。菊地高弘著『野球ヲタ、投手コーチになる。 元プロ監督と元生物部学生コーチの京大野球部革命』から、一部抜粋して公開します。
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京大生も歩けば人に当たる
「こっちが危険を回避してるの、わかってるんかな?」
往来を歩けば、時に人とすれ違うことはある。狭い道であれば、お互いに察知して端に寄り、相手が通れるスペースをつくる。それがごく普通のマナーだと近田は考えていた。
ところが、この構内ではその常識が通じなかった。学生たちは近田の存在など認識していないかのように、ぐんぐん直進してくる。歩きながらスマートフォンを操作しているわけでも、よそ見をしているわけでもない。彼らは近田が道を空けたことすら、気づいていないようだ。
「京大生は、目的に向かって最短距離で向かう性分なんかな?」
近田は戸惑いを隠せないまま、目的地である野球場に向かった。
ここは京都大学吉田キャンパスの吉田南構内である。京大には大きく分けて、「吉田」「宇治」「桂」の三つのキャンパスがある。吉田キャンパスは1897年の大学開校以来、中枢部が置かれる京大最大のキャンパスだ。
京都駅から北東に5キロあまり、京大吉田キャンパスは京都府京都市左京区吉田に通りを挟んで七つの構内に分かれている。京大の象徴である時計台記念館や、巨大なクスノキは本部構内の正門を通ってすぐにそびえている。
その正門と東一条通を隔てて向かいに建つ、吉田南構内に野球場がある。野球場の三塁側から左翼側の外周は学生が頻繁に行き交い、掲示板には膨大な数のサークルの勧誘チラシが貼られている。近田はこの道を歩く京大生が、よく対向者とぶつかるシーンを目撃していた。近田は26歳の青年ながら、京大野球部のコーチになっていた。
「今日はどんなことを聞かれるんかな?」
近田にとって京大生から寄せられる質問は、楽しみでもあり恐ろしくもあった。京大は、日本で2番目に創設された帝国大学・京都帝国大学の流れを汲む国立大学。入試のレベルは日本最難関クラスとして知られている。その入試を突破した大学野球部の部員たちは、近田の26年間の人生で出会ったことのない人種に思えた。
「上腕二頭筋が張ってこないんですけど、上手に使うにはどうすればいいですか?」
部員から寄せられる質問に、近田は困惑した。
(上腕二頭筋って、どこやったっけ……?)
近田自身は、幼少期からプレーヤーとして野球のエリートコースを歩んできた。だが、筋肉や関節の細かい部位を意識してプレーしたことはない。京大生が求めてくるのは、決まって部位ごとの細かな部分だった。近田は苦笑しつつ、メモ帳を開いて「上腕二頭筋」と記した。
兵庫県西宮市に住む近田は、電車とバスを乗り継いで京大の野球場に通っていた。約2時間の移動時間中、近田はスマートフォンを取り出して「上腕二頭筋」と検索する。「ああ、ここか」と理解した近田は、すぐさまコミュニケーションアプリのLINEを起動して、質問してきた部員に返事を打った。
上腕二頭筋などまだ初歩的なほうで、京大生は筋肉、関節、腱まで人体のあらゆる部位の質問を近田に浴びせてきた。そのたびに、近田はメモ書きを元に帰路で調べ、部員たちに答えるようになった。
「俺、医者にでもなるんかな?」
近田はそうひとりごち、笑った。本業の仕事をしながら大学野球部のコーチを務め、2時間かけて帰宅する生活。体力的には大変だったが、不思議と「やめたい」とは思わなかった。どんな形であれ、人から求められることは心地よかった。