京大野球部を指導することになった元プロ野球選手 秀才たちの質問に戸惑いも
自分はプロでは通用しない
怜子は鹿児島県の南側に位置する離島の種子島で生まれ育っている。学生時代はソフトボールをプレーし、息子たちには「ピッチャーもやっていて、すごかったのよ」と自慢げに語った。
怜子は野球にのめり込む怜王を献身的にサポートし、平日も練習に付き合ってくれた。そのかいあってか、怜王は速球派サウスポーとして地域の有名人になった。中学時代に所属した三田リトルシニアでは、シニア日本代表に選ばれ世界大会に出場。高校進学時には60校あまりの強豪校から誘いを受け、名門・報徳学園に進学している。
高校1年時から「スーパー1年生」としてメディアにも取り上げられ、高校在学中に甲子園には3回も出場した。2008年のプロ野球ドラフト会議では、福岡ソフトバンクホークスから3位で指名され、プロ入りを果たす。絵に描いたようなエリートコースである。
だが、近田がプロで輝くことはなかった。高校時代に投球障害であるイップスを発症した影響もあり、近田自身「一番いい時の感覚が戻りきったことはない」と考えている。そして、仮にイップスがなかったとしても、「自分の性格では通用しなかった」と近田は振り返る。
「プロは我が強くて、『オレが、オレが』という選手が多い世界です。先輩を見ていても、中村晃さんなんかプライベートではめちゃくちゃいい人ですけど、自分の芯があってひたすら練習していました。僕の性格上、そこまで入り込むのは無理やったなと感じます」
2学年下の育成選手の後輩を食事に誘ったが、待ち合わせ時間になってもその後輩は現れなかった。近田の心配をよそに、後輩は遅刻しても平然とした様子で店にやってきた。遅刻の理由を尋ねると、「やるべき練習メニューをやってから来ました」とこともなげに言う。近田は怒りよりも先に、「こういうヤツがプロで成功するんやろうな」と感心してしまった。その育成選手とは、のちにソフトバンクのエースとなり、メジャーリーガーとなる千賀滉大である。
1軍で登板できないまま迎えたプロ4年目の夏場からは、野手に転向した。投手に見切りをつけたというよりは、「いつか指導者になった時に野手としてプレーした経験が生きるはず」という考えが強かった。同年秋に、近田はソフトバンクから戦力外通告を受けた。
ただし、球団からは「育成選手として再契約して、野手でもう1年やってほしい」と打診されていた。千賀からは「残って一緒にやりましょうよ」と誘われたが、層の厚いソフトバンクで自分が大成するイメージが描けなかった。近田はソフトバンク退団を決断。今度は投手として12球団合同トライアウトを受験したものの、プロ球団からのオファーは届かなかった。
そんな近田に声をかけてきた人物がいた。当時、社会人野球チーム・JR西日本で総監督を務めていた後藤寿彦である。後藤はアマチュア野球の重鎮で、かつては慶應義塾大の監督として高橋由伸(元巨人)らを指導した。その後もプロアマ混成チームとなった2001年のIBAFワールドカップ日本代表の監督を務めている。近田のことは高校野球のテレビ解説者を務めた際に知り、その後も動静を気にしてくれていたのだ。
「将来指導者になりたいなら、社会人野球を経験したらどうだ?」
後藤の誘いを受け、近田はJR西日本に入社する。野球部が活動する広島に移り住んだ。社会人野球では投手としてプレーしたが、「上から投げる感覚が戻らなくて」とサイドスローに転向。3年間プレーし、社会人野球の一大イベントである都市対抗野球大会にも出場した。
首脳陣からは「残ってくれ」と強い慰留を受けたが、2015年に現役引退を決めた。
「もうプロに戻るのは無理やな、と思ったのと、プロに行けるかもしれない後輩に自分の枠を与えてほしいという思いがありました」
翌年からはJR西日本の鉄道マンとして社業に専念した。猛勉強の末に車掌の資格を取り、京阪神路線で車掌として勤務した。
ラッシュ時に電車が遅れると、乗客からは容赦ない罵声を浴びせられた。今まで野球一筋だった近田にとっては、一つひとつの経験が新鮮だった。
そんな近田に転機が訪れたのは、2016年の秋である。JRの催したパーティーで、近田は同社の大先輩である長谷川勝洋の姿を見つける。長谷川は京大野球部の監督を務めた経験があり、JRの上役として広島まで講演に訪れたこともあった。
「高校野球ではダメでも、大学野球で強いチームとやれるから京大でやっていたんだ」
そう語る長谷川の話を「こんな世界もあるんやな」と近田は興味深く聞いた。挨拶に出向くと、長谷川も近田のことを覚えていてくれた。そして、近田は思いがけない提案を受ける。
「京大に教えにきてくれないか?」
将来的に野球の指導者になりたい希望を持っていた近田は、少しでも経験になればと長谷川の提案を快諾した。監督を務める青木孝守も親子以上に歳の離れた近田を歓迎してくれ、2017年1月にコーチに就任。といっても京大野球部に潤沢な予算はなく、あくまでもボランティアとしての指導だった。
書籍紹介
【写真提供:KADOKAWA】
1人は元ソフトバンクホークス投手の鉄道マン・近田怜王。
もう1人は灘高校生物研究部出身の野球ヲタ・三原大知。
さらには、医学部からプロ入りする規格外の男、
公認会計士の資格を持つクセスゴバットマン、
捕手とアンダースロー投手の二刀流など……
超個性的メンバーが「京大旋風」を巻き起こす!
甲子園スターも野球推薦もゼロの難関大野球部が贈る青春奮闘記。
『下剋上球児』『野球部あるある』シリーズ著者の痛快ノンフィクション。