25人の偉大なW 〜Wリーグ編〜

note
チーム・協会
【これはnoteに投稿されたzazouさんによる記事です。】

※リンク先は外部サイトの場合があります

「25人の偉大なW 〜Wリーグ編〜」をお送りする。
これは 2023-24 シーズンのWリーグ25周年を記念して、私が勝手に独断で選出したWリーグ史上最も偉大な選手25人のリストである。

リーグ創設から25年の間にWリーグでプレーした選手の数は1,000人を超える。その中からわずか25人を選ぶというのは非常に困難な作業だが、とりあえず私は各選手がリーグに残した記録(スタッツや受賞歴)を頼りに、この作業を進めることにした。ただのいちファンにすぎない素人の私が、選手の偉大さを測る基準にできるものはデータしかない。

ところで、25人のリストを発表する前に、お詫びと訂正をさせていただく。
以前、ある原稿の中で私は、三好南穂は 50-50-90 クラブ* 唯一の会員であると書いた。
*シーズン平均の「フィールドゴール成功率 / 3ポイント成功率 / フリースロー成功率」が「50% / 50% / 90%」を超えた選手で構成されるクラブのこと。

だが今回、「25人の偉大なW」選出のために過去の記録を改めて調べていたところ、私はそれが誤りであることに気づいた。
三好南穂は、50-50-90 のシュート成功率を達成したWリーグ史上二人目の選手であったのだ。

(問題の原稿を書く前にも、Wリーグの公式サイトで一通り記録を確認したはずなのだが、あの時どうして見落としてしまったのか……。Wリーグ史上最も偉大な選手25人を選出するというアイデアは数日前に突然思いついたものだが、これに取り組んでみることにして本当によかった。危うく日本バスケットボール史上最高のシューターの偉業を無視してしまうところだった……)

Wリーグ史上初めて 50-50-90 を達成した選手の名前はこの後に載せるリストの中で明かすことにするが、先に以上、お詫びして訂正する。

さて、「25人の偉大なW」の選考基準は以下のものである。

候補者は少なくとも2シーズンWリーグでプレーし、次の5つの基準のうち3つを満たしている必要がある。
1.主要な個人タイトルを獲得していること。
2.ベスト5に選出されていること。
3.少なくとも一つの主要スタッツにおいて、キャリア通算ランキングでトップ10に入っていること。
4.Wリーグで優勝経験があること。
5.日本代表に選出されていること。

言うまでもなくこれらの基準は、2001年にWNBA創設25周年を記念して選出されたWNBA史上最も偉大で影響力のある25人「The W25」の選出基準を参考にしているが、そこに含まれている「オールスターゲームに選出されていること」という基準は採用しなかった。Wリーグでは、2003年から2015年までオールスターゲームが開催されなかったためだ。代わりに日本代表への選出を条件のひとつに加えている。Wリーグと直接関係はないが、代表活動による日本バスケット界への貢献と、それがファンに与える影響力は無視できないと考えた。

ここに挙げる選手たちの記録は全てWリーグの公式サイトから引いているが、私がまた見落としや間違いを犯している可能性は否定できない。(間違いに気づいた方がいたら、ぜひ教えてください)
しかし、それを恐れていては何もできないので、前置きはこれくらいにして、とにかく前に進もう。

私が選ぶWリーグ史上最も偉大な選手は以下の25人である。

・上から年齢順
・ポジションと身長はWリーグ公式サイトより
・「*」印は現役Wリーグ選手

1. 楠田 香穂里 (PG / 165cm)

※リンク先は外部サイトの場合があります

旧姓:川上。Wリーグの創設2年目から4連覇を達成し、ジャパンエナジーの黄金期を築いたガード。レギュラーシーズンMVPに1回、ベスト5に3回選出。
日本代表にも選出され、2004年のアテネ五輪では正ポイントガードを務めた。

引退後は共栄大学女子バスケットボール部の監督を長く務め、今年から明星学園のコーチに就任した。

※ Wリーグ公式サイトでは川上香穂里と楠田香穂里が別人として登録されているので注意が必要。

2. 小磯 典子 (C / 183cm)

※リンク先は外部サイトの場合があります

旧姓:濱口。レギュラーシーズンMVP3回、プレイオフMVP2回。リーグ初年度から5年連続でベスト5に選出され、ジャパンエナジーの4連覇に貢献した後、2004年に一度現役を引退するも、約一年後にアイシンで選手兼コーチとして現役復帰。2部のアイシンを1部に昇格させると、再び3年連続でベスト5に選ばれた。

得点王3回、リバウンド王1回、ブロック王3回を獲得。リーグ黎明期のペイントを支配した。

日本代表としても1992年バルセロナ五輪予選から5大会連続で五輪予選に参加。アトランタ、アテネと2度のオリンピックに出場し、不動のセンターとして代表を支えた。

古武術研究家の甲野善紀に師事し、西洋人と東洋人の身体の違いから、いくらトレーニングをやってもアメリカ人にはかなわないが、日本人が持っている繊細な技術の感覚をバスケットに活かせないかと考えて新しいシュートフォームを研究し、また自身が足首の痛みに苦しんだ経験から、「どんなにやっても身体を壊さないバスケットを開発したい」と、引退後も千葉ジェッツアカデミーなどで後進の指導に力を入れた。

3. 大山 妙子 (SG / 173cm)

※リンク先は外部サイトの場合があります

ジャパンエナジー4連覇戦士の一人。
プレイオフMVP1回、ベスト5に4回選出。01-02シーズンにフリースロー成功率 97.1%(34-40)を記録。Wリーグに在籍した5年間の平均3ポイント成功率が 40.4% というピュアシューター。またディフェンスのスペシャリストと呼ばれることもあった。

日本代表では1996年のアトランタ、2004年のアテネと2度のオリンピックに出場し、アテネ五輪では主将を務めた。

4. 永田 睦子 (PF / 178cm)

※リンク先は外部サイトの場合があります

Wリーグ初代MVP、初代得点王となり、シャンソン化粧品をWリーグ初代チャンピオンに導いたレジェンド・オブ・レジェンド。
通算でレギュラーシーズンMVP2回、プレイオフMVP2回、初年度から8年連続でベスト5に選出(日本リーグ時代から数えれば10年連続)。
6年連続の得点王、2度のリバウンド王を獲得。

リーグ初年度に記録した1試合平均24.1得点は、その後現在に至るまで破られていない金字塔。キャリア平均でも1試合あたり20.7得点という史上最高のアベレージを残し、わずか8シーズンで通算得点歴代6位となる 4,561 得点を記録した。
試合で20点を取ってもファンから「今日は調子悪いな」と言われた永田。彼女ほどの得点力を持った選手はその後リーグに現れていない。

身長178cmながらリングにぶら下がれるほどの身体能力を持ち、空中で止まっているかのように見える滞空時間の長いジャンプで「女マイケル・ジョーダン」と呼ばれることも、「怪物」と呼ばれることもあった。

日本代表でもエースとして活躍し、1996年のアトランタ、2004年のアテネ五輪に出場。
2007年に引退を表明すると、翌年に北京五輪を控えた日本バスケットボール協会は慰留に努めたが、彼女の意思は変わらず30歳で現役を引退した。

アテネ五輪の日本代表は、この「25人の偉大なW」に選出された選手8人を擁しながらも予選リーグ1勝にとどまり決勝トーナメント進出を逃した。当時永田は日本と世界との差を語った後にこう言っている。

「……だけどこれだけは言いたいのが、自分たちはいい成績を残せませんでしたが、私たちのオリンピックの試合を見て『将来はナショナルチームに入って世界と戦うぞ』という気持ちになった若い選手たちが出てきてくれたら、自分たちが戦った意味があったと思います

日本代表チームは12人だけで戦っているのではない。彼女たちの前にプレーしたたくさんの選手がいて、彼女たちの後にプレーするたくさんの選手がいる。永田の思いを受け継いだ後輩たちは、17年後のオリンピックで歴史的快挙をなし遂げることになる。

5. 薮内 夏美 (PG / 175cm)

※リンク先は外部サイトの場合があります

日本航空でバスケットボール選手と国内線のキャビンアテンダントを兼任し、04-05シーズンにレギュラーシーズンMVPとベスト5に選出。01-02シーズンから4年連続のアシスト王と5年連続のスティール王に輝く。

高校・短大時代はセンターとしてプレーしていたが、「この身長でガードをやったら世界でも通用する」と、日本航空でポイントガードにコンバートされ、175㎝の身長を活かしたパスワークや相手とのミスマッチをつくポストプレーを得意とする大型司令塔として活躍。チームでは主将も務めた。

日本代表としてアテネ五輪に出場。
けがのため28歳で現役を引退し、いったん客室乗務員に専念するも、翌年日本航空を退社し、富士通のアシスタントコーチとヘッドコーチ、三菱電機のアシスタントコーチ、日立ハイテクのヘッドコーチ、女子日本代表のアシスタントコーチなどを歴任したのち、現在はアンダーカテゴリーの女子日本代表ヘッドコーチを務めている。

中国出身で日本に帰化したバスケット選手、王敏は薮内に憧れて日本名を「薮内敏美」とつけた。

6. 矢代 直美 (C / 182cm)

※リンク先は外部サイトの場合があります

日体大時代、速攻でチームの先頭を走るなど、走れるセンターとして頭角を現す。日本航空に入団した00-01シーズンに新人賞、04-05シーズンにベスト5に選出。5年連続リバウンド王。通算リバウンド数歴代4位、通算得点歴代5位。
日本代表としてアテネ五輪に出場した。

2011年、日本航空女子バスケット部の廃部に伴い引退。

7. 三谷 藍 (PF / 181cm)

※リンク先は外部サイトの場合があります

07-08シーズンにベスト5選出。10-11シーズンに3ポイント成功率1位(42.7%)を獲得。出場試合数と通算3ポイント成功数は後述の矢野に次ぐ歴代2位。
181cmの高さと精度の高い3ポイントシュートを武器に16年間に渡り富士通の得点源として活躍し、07-08シーズンには矢野と一緒にリーグ優勝を果たした。
日本代表として2010年の世界選手権に出場。

優れたバスケット選手が多い1978年生まれ、通称「花の78年組」の一人。

8. 矢野 良子 (PF / 178cm)

※リンク先は外部サイトの場合があります

花の78年組の一人。
Wリーグ初年度から2017年まで18年間プレーし、歴代最多の535試合に出場。(Wリーグで500試合以上に出場した選手は矢野ひとりしかいない)
レギュラーシーズンMVP1回、プレイオフMVP3回、ベスト5に7回選出。06-07シーズンにブロック王を獲得。
また、3年連続を含む史上最多5回の3ポイント成功率1位に輝き、Wリーグでプレーした18年間の平均3ポイント成功率は41.3%を記録。日本バスケットボール史上最高のシューターの一人。

高校までインサイドの選手だった矢野が3ポイントを打ち始めたのはジャパンエナジーに入団以降。若手時代、500本の3ポイントを決めることを日課としたが、最初は5割も入らなかったため、全体練習後、毎日体育館の消灯時間ギリギリまでシューティングをしていたという。
そして積み重ねたキャリア通算の3ポイント成功数 744 本は歴代最多で、この先も破られることがないかもしれないほどの大記録。

通算得点と通算ブロック数は歴代2位。通算リバウンド数は歴代3位であり、
6,000得点、2,000リバウンド、1,000アシストを記録したリーグ史上唯一の選手。
07-08シーズンには、FG% / 3PT% / FT% で、52.3% / 50.0% / 94.6% を記録し、Wリーグ史上初めて 50-50-90 クラブの会員となった。

ジャパンエナジーで4連覇を経験した後、2005年、富士通に移籍。07-08シーズンに富士通を初の優勝に導き、異なるチームでプレイオフMVPを受賞した史上初の選手になると、その年、日本女子バスケット界二人目のプロ契約選手となった。
2009年、トヨタ自動車に移籍。優勝こそ逃したものの移籍初年度にチームをレギュラーシーズン1位に導く。

日本代表として2004年のアテネ五輪に出場。
予選リーグ最終戦で矢野はチームハイの28得点をあげるが、最後のワンプレーで3ポイントシュートを外し、2点差でギリシャ代表に敗れて決勝トーナメント進出を逃した。

「私がシュートを外したせいで、チームは決勝トーナメントに行けなかった……」

それ以来、矢野はずっとその悔しさを抱え、心の中で思い続けてきた。

「もう一度、オリンピックに出たい」

しかし、2008北京オリンピック世界最終予選、2012ロンドンオリンピック世界最終予選に出場するも、再び五輪の出場権を獲得することはできないまま、矢野は日本代表に呼ばれなくなっていった。

そして2017年、東京五輪で3x3が正式種目になるかもしれないと聞くと、矢野はトヨタ自動車を退団し、3x3へ転向する。当時彼女は38歳だったが、3x3ならば3年後の東京五輪に出られるかもしれないと考えての決断だった。
矢野の目標はただオリンピックに出場するだけでなく、東京五輪でのメダル獲得。アテネの悔しさを彼女は忘れていなかった。

ところが、飛び込んでいった女子3x3の現状は厳しいものだった。男子にはトップリーグ「3×3.PREMERE EXE」があったが、女子には3x3のリーグすらなかった。

「とにかく試合数と選手を増やさないと日本はオリンピックに出場できない」

そう考えた矢野は、3x3の女子リーグを自らの手で立ち上げる。スポンサーも自分の足で探した。数十件回って1件取れたらラッキーという確率だったが、1日1件は必ずアポを取って自ら相手先に出向き、1試合につき300万円かかるといわれる資金をかき集めた。こうして国内でのプレー環境を整えながら、選手としても2020年の3x3日本選手権でMVPを獲得。東京五輪出場とメダル獲得という目標を矢野は最後まであきらめなかった。

結果的にもう一度オリンピックに出場するという夢は叶わなかったが、彼女はその過程で日本の女子3x3競技の礎を築くという大仕事をやってのけた。

のちに矢野は、もしアテネ五輪で最後のシュートを外していなかったら、もっと早い段階で現役を引退していたと思うと語っている。もしそうなっていたら、彼女がWリーグに残した数々の大記録は生まれていなかっただろう。
矢野は笑ってこう言う。

「だって負けたままは嫌じゃないですか(笑)。やっぱりアスリートである以上、最高の形で競技人生を終えたいですから」

2021年の43歳の誕生日に矢野はSNSを通じて現役引退を発表した。
「私、矢野良子は24年間のバスケット人生に終止符を打ちました。
元々、2020年東京オリンピックまでと決めていた事もあり、1年長くなってしまいましたがこの度、現役を引退しました

十分過ぎるほどやり切りました!!.
もうお腹いっぱいです!!.」

※リンク先は外部サイトの場合があります

9. 山田 久美子 (C / 192cm)

※リンク先は外部サイトの場合があります

05-06シーズンに得点王とリバウンド王の2冠を獲得し、ベスト5に選出される。
シャンソン化粧品で1度、JOMO(JX、JX-ENEOS)で7度の優勝。シャンソン、JOMOのライバルチーム両方に所属した初の選手でもある。

子供の頃から身長が高く、全中オールスター優勝、名古屋短大付(現・桜花学園)でも全国優勝とエリート街道を歩んで来たが、本人は、自分は運動神経がないし器用でもないと言う。そんな自分がチームに貢献するためにはリバウンドで頑張るしかないと言う山田は、2度のリバウンド王に輝いた。

日本代表として2大会連続で世界選手権に出場。
彼女も花の78年組の一人。

10. 池田 麻美 (PF / 178cm)

※リンク先は外部サイトの場合があります

高校時代は無名ながら、トヨタ自動車に入社後、ひたむきな努力で実力をつけると、チームで主将を務め、日本代表に選出されるまでに成長した。
センタープレーヤーとしては決して大きくない178cmの身長で3年連続ブロック王を獲得し、ベスト5に2度選出。
通算ブロックで歴代4位、通算リバウンドで歴代5位、通算スティールで歴代6位。
チームには得点を取れる選手がいるからと、ディフェンス、リバウンド、ブロック、スティールなどの地味な仕事に徹した努力の人。
日本代表として2007年のアジア選手権に出場。

決してスター選手ではないが、「25人の偉大なW」の5つの条件のうち優勝以外の4つの条件を満たし、文句なしの選出となった。

11. 岩村 裕美 (SG / 168cm)

※リンク先は外部サイトの場合があります

日本航空で主将を務め、高い得点力を誇ったシューター。
09-10シーズン得点王、04-05シーズンに3ポイント成功率1位。通算3ポイント成功数歴代8位。ベスト5選出3回。
2006年のファイナルでは平均14.4得点を叩き出し、ファイナルシリーズ特別賞を受賞。
一度引退した後に新潟で現役復帰し、3シーズンプレーした。
2007年アジア選手権日本代表に選出された。

12. 小畑 亜章子 (PG / 166cm)

※リンク先は外部サイトの場合があります

3度のアシスト王、2度のスティール王に輝く。
同時代に大神雄子、吉田亜沙美というポイントガードがいたため、ベスト5に選出されたことはないが、デンソー一筋で12年間プレーし、通算アシスト数で歴代4位、通算スティール数で歴代5位の記録を持つ。

日本代表として2009年アジア選手権に出場。
現役引退後は筑波大学大学院を卒業し、三遠ネオフェニックスのスクールコーチ、デンソーのアシスタントコーチなど指導者の道を歩む。

13. 大神 雄子 (PG / 170cm)

※リンク先は外部サイトの場合があります

高校時代から常に世代のトップを走り続け、現状に満足することなく新しい目標に挑戦し続けてきた日本女子バスケット界のパイオニア。

レギュラーシーズンMVP2回、プレイオフMVP1回、6年連続のベスト5に選出。3年連続を含む4回のアシスト王、1回のスティール王に輝く。
抜群のスピードと高い得点力を持つコンボガード。

出場試合数、通算アシスト数、通算スティール数で歴代3位。通算得点は歴代4位。ジャパンエナジー(JOMO、JX)で優勝9回。
2007年にはジャパンエナジーと日本女子バスケットボール界初となるプロ選手契約を結んだ。

2001年のアジア選手権にて18歳で日本代表デビュー。2004年のアテネ五輪には最年少の21歳で出場し、2010年の世界選手権で大会得点王に輝く。

小学2年生のときに1年間ロサンゼルスで過ごし、レイカーズの試合を生観戦して「将来はアメリカでプレーしたい」という夢を抱いた大神は、2008年、WNBA挑戦を表明。前年度のWNBAチャンピオン、フェニックス・マーキュリーのトライアウト・トレーニングキャンプに参加すると開幕ロスターを勝ち取り、萩原美樹子に次ぐ日本人2人目のWNBA選手となって夢を叶えた。

2013年にJXを退団し、中国バスケットボールリーグに移籍。WNBAのスーパースター、マヤ・ムーアもオフシーズンにプレーしている山西フレームスで司令塔を務め、チームをリーグ優勝に導く。

2015年、トヨタ自動車で国内復帰すると2018年までプレー。現役引退後はトヨタ自動車のアシスタントコーチをしながら筑波大学大学院でコーチングを学び、2022年からトヨタ自動車のヘッドコーチに就任。

プロ契約、WNBA挑戦、海外(中国)リーグへの移籍と、大神がパイオニアとして切り拓いてきた道はそのまま日本女子バスケの歴史であり、彼女の偉大な遺産はいま、トヨタ自動車の選手たちに確実に受け継がれている。
だがそれは、現役時代から常に「自分は後輩たちに何を残せるのか」を考えながらプレーしてきたという大神が今、自分の遺産を惜しみなく後進に分け与えようとしているからであることを忘れてはならない。

2023年、日本人として3人目となるFIBA殿堂入り。これを受けた彼女のコメントを紹介する。
「小学生でバスケットボールを始めて以来、たくさんのコーチの下で指導を受け、また、所属チームのご理解・ご協力で代表にも送り出していただき、ともに戦ったチームや代表の仲間たちのおかげで今の自分があります。
私はいま指導者の道を歩んでいますが、私の経験が少しでも皆さんのお役にたてるよう、これからも努力を続けていきたいと思います。」

14. 諏訪 裕美 (C / 183cm)

※リンク先は外部サイトの場合があります

長くジャパンエナジーのインサイドを支えてきた小磯典子が引退した2004年に同チームに入団。小磯の背番号15を受け継ぎ、04-05シーズンに新人賞、09-10シーズンにベスト5に選出。07-08シーズンから4年連続でフィールドゴール成功率1位を獲得。10-11シーズンにはフリースロー成功率1位との2冠を達成。
JOMO(JX)で5回の優勝を経験した後、腰のけがが悪化し2012年に一度引退するも、リハビリを続け翌年アイシンで現役復帰。
日本代表として2010年の世界選手権に出場した。

引退後、アメリカに語学留学し、そこで見たバスケットスクールの指導法を取り入れ、帰国後は子供たちへの指導とバスケットの普及に努めている。

15. 吉田 亜沙美 (PG / 166cm)*

※リンク先は外部サイトの場合があります

来シーズン、伝説の一人がリーグに戻ってくる。

史上最多のプレイオフMVP5回、レギュラーシーズンMVP1回、06-07シーズン新人賞、ベスト5に5回選出され、アシスト王4回、スティール王1回に輝く。

高い身体能力と抜群のパスセンス、強烈なキャプテンシーを持った日本女子バスケット界のカリスマ。
JX-ENEOSのキャプテンであり、日本代表のキャプテン。

日本代表としてはアジア選手権で2大会連続ベスト5に選ばれ、2010年の世界選手権でアシスト王を獲得した。

Wリーグで歴代4位の出場試合数。通算 2,401 アシストは歴代最多。通算 705 スティールは歴代2位。

2019年に一度引退を発表するも、東京五輪出場を目指して同年9月に競技復帰。しかし、新型コロナウイルスの蔓延にともなうオリンピックの1年延期を経て、2021年1月に再び現役引退を表明した。

JX-ENEOS(JOMO、JX)で前人未到の11連覇を含む12回の優勝(優勝12回は個人として最多)をなし遂げ、14シーズンにわたってリーグのトップを走り続けてきた吉田の引退は一つの時代の終わりを感じさせるものであり、もう彼女の勇姿を見ることができないことを寂しく思うファンは多かった……。

ところが、2023年4月、吉田がアイシンに入団し3年のブランクを経て現役復帰するというニュースが突然発表される。

吉田亜沙美がWリーグに帰ってくる。

キャリア通算リバウンド数 1963 本の吉田は、あと37本のリバウンドを獲得すれば、リーグで唯一の 2k / 2k / 2k クラブ(通算2,000得点、2,000アシスト、2,000リバウンド)の会員になる。私たちは来シーズン、その歴史的瞬間を目撃することになるだろう。(その時、彼女にスタンディングオベーションを送る準備はできている)

来季、彼女のプレーを見るためにどれだけの人が会場に足を運ぶことになるか想像もつかない一方で、私にはすでに、会場で彼女のサインをもらうために行列を作るファンの姿が見える。

先日、リーグは新型コロナウイルス感染症対策ガイドラインの適用を終了すると発表した。「最後に吉田亜沙美に会いに行こう」ファンがそう思えるというのは喜ばしいことだ。

16. 髙田 真希 (PF / 185cm)*

※リンク先は外部サイトの場合があります

Wリーグ史上、7,000得点以上を記録した初めての選手。
歴代最多得点(7,324 点)、歴代最多リバウンド(3,864 本)、歴代最多スティール(738 本)と歴代3位の 481 ブロックの記録を持ち、来シーズン、キャリア16年目を迎えるWリーグのGOAT。

ゴール下で無双できるフィジカルと技術を持ち、3ポイント成功率は2年連続で40%を超えるという現代的なセンター。

08-09シーズンにデンソーに入団し新人賞を受賞。レギュラーシーズンMVPに2回、ベスト5に7年連続を含む11回選出(渡嘉敷来夢と並び史上最多)。
得点王7回は史上最多。5年連続を含む6回のリバウンド王も史上最多。

2009年から日本代表に選出され、リオデジャネイロ、東京と2度の五輪に出場した日本代表の大黒柱。吉田亜沙美からキャプテンを引き継ぎ、2021年東京五輪では日本バスケットボール史上初となる銀メダルを獲得した。

中学までバスケと空手をかけもちしていた髙田は、強靭な体と強靭なメンタルに加え、30歳を超えてなお進化するスキルを兼ね備えることによりリーグ最強選手になった。
彼女に足りないものはただWリーグチャンピオンという肩書きだけである。

2020年、株式会社TRUE HOPEを立ち上げ、バスケットボール選手と会社社長の二足のわらじを履く髙田は先日、バスケット版「ブレイキングダウン」を始めると発表した。

17. 大崎 佑圭 (C / 185cm)

※リンク先は外部サイトの場合があります

旧姓:間宮。12-13シーズンにレギュラーシーズンMVPと得点王、翌年にプレイオフMVPを獲得。ベスト5選出3回。
2009年にJOMOに入団。翌年入団する渡嘉敷来夢とツインタワーを形成してリーグのゴール下を支配し、2018年に退団するまでの9年間、すべてのシーズンでリーグ優勝をなし遂げた。
通算リバウンドで歴代7位。通算得点は歴代8位。
日本代表としてリオデジャネイロオ五輪に出場。

2017年に結婚を発表して登録名を大崎に変え、2018年、妊娠を機に一度競技から離れるも2020年に日本代表の合宿に参加。東京オリンピック予選に出場し、五輪本大会の出場にも意欲を示していたが、五輪の1年延期を受けて2020年8月に引退した。

18. 岡本 彩也花 (SG / 161cm)*

※リンク先は外部サイトの場合があります

吉田亜沙美から「絶対王者」JX-ENEOSのキャプテンを引き継ぎ、161cmの身長で、9シーズンにわたりほぼ全試合をスターターとして出場し続けた小さな鉄人。個人としての優勝回数は10回。
20-21シーズンにレギュラーシーズンMVPとベストディフェンダー賞を受賞。12-13シーズンに3ポイント成功率1位を獲得。通算3ポイント成功数は歴代3位。

桜花学園の同期で、揃ってJXに入団し16年間一緒にプレーしている渡嘉敷来夢とは公私ともに支え合う盟友。

ほとんどすべての試合においてコート上で一番小さい選手である岡本が、次々とボールをリングに沈めていく姿は驚異としか言いようがない。
この25人のリストの中で、岡本はただ一人A代表に選ばれた経験のない選手だが、Wリーグ25年の歴史を語る上で、絶対に欠かせない選手の一人。

19. 渡嘉敷来夢 (PF / 193cm)*

※リンク先は外部サイトの場合があります

日本女子バスケット界のゴッドファーザー、桜花学園の井上眞一から「100年に一人の逸材」と呼ばれ、過去10年間、リーグの顔として日本のバスケットを牽引してきたスーパースター。

2010年にJXに入団すると、いきなりブロック王を獲得し、Wリーグ史上初となるレギュラーシーズンMVPと新人賞の同時受賞を果たす。史上最多となる8回のレギュラーシーズンMVP、3回のプレイオフMVP。8年連続を含む11回のベスト5選出は髙田真希と並ぶ史上最多。
同期入団の岡本彩也花と同じ10回のWリーグチャンピオン。
4回の得点王とリバウンド王、7年連続を含む10回のブロック王、9年連続を含む10回のフィールドゴール成功率1位。
歴代2位となる通算リバウンド数、歴代3位となる通算得点、通算ブロック数 689 本は歴代トップ。

2015年、日本人3人目のWNBA選手となり、シアトル・ストームで3年間プレー。1年目にはWNBAオールルーキーチームに選ばれた。

史上最年少の16歳で日本代表候補に選出され、2013年、2015年のアジア選手権で2大会連続のMVPを獲得。2016年、リオデジャネイロ五輪に出場。

渡嘉敷はこれまで「100年に一人の逸材」と呼ばれるに恥じない輝かしいキャリアを積み重ねてきた。だが、ここで終わりではない。

彼女の物語にはまだ続きがある。

20. 本川 紗奈生 (SF / 176cm)*

※リンク先は外部サイトの場合があります

2011年にシャンソン化粧品に入団。14-15シーズンから4年連続でベスト5に選出。2020年にデンソーに移籍。
爆発的な得点力を持ちながら、歴代6位の通算アシスト数を記録するなど周りを活かすプレーもうまい。
日本代表としてリオデジャネイロ五輪に出場。

「平野紫耀くんが好き」と公言している。

21. 渡邉 亜弥 (SG / 168cm)*

※リンク先は外部サイトの場合があります

三菱電機の大エース。
1対1に強く、クリエイト能力に長けた現在のリーグを代表するスコアラーの一人。
2019年に新設されたベストディフェンダー賞の初代受賞者に選ばれ、過去5年間で3回同賞を受賞。スティール王も3度獲得しており、ディフェンス力にも定評がある。
ベスト5選出4回。
過去10年間、吉田亜沙美と町田瑠唯の二人が独占していたアシスト王を昨シーズン初めて獲得。

通算スティール数歴代4位。通算アシスト数は5位。通算得点でも歴代10位(現役選手としては髙田、渡嘉敷に次ぐ3位)に入る。

日本代表として2019年のアジアカップに出場。

22. 町田 瑠唯 (PG / 162cm)*

※リンク先は外部サイトの場合があります

2021年の東京五輪で史上最多記録となる1試合18アシストを記録し、大会オールスターファイブに選ばれた「世界の町田」。

2011年に富士通に入団し新人賞を受賞。ベスト5に6回選出。
5年連続を含む6回のアシスト王はリーグ最多記録。
通算アシスト数は吉田亜沙美に次ぐ歴代2位。

2022年、ワシントン・ミスティクスと契約し、1シーズンWNBAでプレー。

リオデジャネイロ、東京と2度五輪に出場し、東京五輪では彼女のプレーを世界中のバスケット人が絶賛した。

23. 宮澤夕貴 (SF / 183cm)*

※リンク先は外部サイトの場合があります

3ポイントラインの外でもペイントの中でも仕事ができるオールラウンダー。
2012年にJXに入団してから最初の4年間で放った3ポイントシュートはたった1本のみだったが、その間、高校までツーハンドで打っていたシュートフォームをワンハンドに変更し、シュートレンジを徐々に広げていくと、17-18シーズンには3ポイント成功率1位(47.1 %、73-155)を獲得。キャリア平均の3ポイント成功率も38.8%という高確率を記録している。

JX-ENEOSが11連覇を果たした年のプレイオフMVP。ベスト5に5回選出。
長いウイングスパンを活かし、歴代5位の通算ブロック数を記録。
JX(JX-ENEOS、ENEOS)で7回の優勝を経験した後、2021年に富士通に移籍。

日本代表としてリオデジャネイロから2大会連続で五輪に出場。東京五輪銀メダルチームのスターティング5。

24. 三好 南穂 (SG / 167cm)

※リンク先は外部サイトの場合があります

2012年、シャンソン化粧品に入団。
2017年、矢野良子が退団した年にトヨタ自動車に移籍し、矢野の背番号12を受け継ぐ。2018年からキャプテンを務め、20-21シーズン、チームをリーグ初優勝に導く。
翌年にリーグ連覇を果たすと、優勝を決めた試合を最後に28歳で惜しまれながら現役を引退した。

3ポイント成功率1位を2度獲得。キャリア平均の3ポイント成功率 39.1 %、歴代4位の通算3ポイント成功数を記録したリーグを代表するシューターの一人。3ポイントラインより遠くから放つ「ディープスリー」で会場を沸かせた。

現役ラストの21-22シーズンに初のベスト5選出。
またこの年、54.7%のフィールドゴール成功率、52.0%の3ポイント成功率、91.9%のフリースロー成功率を記録。Wリーグ史上二人目の 50-50-90 クラブの会員となる。
これによって三好南穂の名前はWリーグの歴史の中で矢野良子の隣に刻まれることになった。

日本代表としてリオデジャネイロ五輪と東京五輪に出場。トヨタ自動車の偉大な先輩である矢野が現役生活の最後まで追い続けたオリンピックのメダルを獲得した。

【zazou】

25. 宮崎 早織 (PG / 167cm)*

※リンク先は外部サイトの場合があります

2014年にJX-ENEOSに入団すると、吉田亜沙美が前十字靱帯断裂の大けがを負ったチーム事情からルーキーシーズンにいきなり24試合で先発出場。しかしその後は吉田や藤岡麻菜美の陰に隠れ、2015年以降、2019年まで先発出場試合がなかった苦労人。
そして吉田、藤岡が抜け、先発ガードのポジションをつかむと、腐らずに続けてきた努力が一気に花開く。

通算アシスト数歴代10位。20-21シーズンにベスト5に選出。

ディフェンスを置き去りにする圧倒的なスピードが注目されがちだが、常に周囲を見渡している気遣いの人であり、オフコートでもチームの潤滑油役を務める天性のゲームメイカー。

リーグ優勝6回。
東京五輪銀メダルチームの一人。

以上が「25人の偉大なW 〜Wリーグ編〜」のリストである。

あらためて強調しておくが、これはあくまで私が思うWリーグ史上最も偉大な選手たちである。

2021年にWNBAが史上最高の25人「The W25」を発表したとき、アメリカのスポーツメディアはこぞって独自の「The W25」を選出して発表した。各メディアが、投票を依頼するメンバーや重視する指標(スタッツ)などによって独自色を出し、オフィシャルの「The W25」とは異なる顔ぶれのリストを出してきた。

同じようにWリーグ25周年をきっかけとして、ファン(あるいはメディア)のそれぞれが考える史上最高の選手たちの議論が盛り上がり、このリーグを築いてきた人たちに改めて光が当てられることを願う。

そのための参考資料として、以下に私が調べた主要スタッツの歴代トップ10ランキングを掲載しておく。

なお、以下の記録はレギュラーシーズンとプレイオフの合算であるが、2部リーグ制時代の2部にあたるW1リーグと1部2部入れ替え戦の記録は含まれていない。
なので、W1リーグや入れ替え戦の記録もカウントしているWリーグ公式の歴代トップ10とは順位に相違がある。

出場試合数

1.矢野 良子       535
2.三谷 藍    447
3.大神 雄子   437
4.吉田 亜沙美  408
5.髙田 真希    391
6.立川 真紗美   360
7.渡辺 由夏      355
8.池田 麻美    349
9.渡嘉敷 来夢   348
10.鈴木 一実    344

得点

1.高田 真希      7324
2.矢野 良子      6641
3.渡嘉敷 来夢     6218
4.大神 雄子      5255
5.矢代 直美         4606
6.永田 睦子      4561
7.小磯 典子      4536
8.大崎 佑圭      4278
9.三谷 藍             4044
10.渡邉 亜弥       4024

アシスト

1.吉田 亜沙美      2401
2.町田 瑠唯          2108
3.大神 雄子          1905
4.小畑 亜章子      1658
5.渡邉 亜弥          1312
6.本川 紗奈生       1186
7.久手堅 笑美       1085
8.矢野 良子           1079
9.矢代 直美            950
10.宮崎 早織          917

リバウンド

1.高田 真希           3864
2.渡嘉敷 来夢      3518
3.矢野 良子           2917
4.矢代 直美           2725
5.池田 麻美           2537
6.王 新朝喜           2195
7.大崎 佑圭           2190
8.小磯 典子           2025
9.三谷 藍               2014
10.永田 睦子         1972

スティール

1.高田 真希            738
2.吉田 亜沙美        705
3.大神 雄子            640
4.渡邉 亜弥            622
5.小畑 亜章子         567
6.池田 麻美            554
7.矢代 直美            520
8.藤吉 佐緒里        506
9.久手堅 笑美        504
10.矢野 良子         500

ブロック

1.渡嘉敷 来夢      689
2.矢野 良子          493
3.高田 真希          481
4. 池田 麻美         390
5.宮澤 夕貴          337
6.小磯 典子          306
7.高橋 礼華          301
8.三谷 藍             275
9.長岡 萌映子      249
10,篠原 恵           244

3ポイントシュート成功数

1.矢野 良子            744
2.三谷 藍               633
3.岡本 彩也花       624
4.三好 南穂            579
5.渡辺 由夏            494
6.根本 葉瑠乃        477
7.相澤 優子            436
8.岩村 裕美            435
9.栗原 三佳            421
10.川原 麻耶          412
これまで、Wリーグを作ってきた25人の偉大な選手たちの業績を詳しく見ていくことで、私たちはこのリーグ25年の歴史を振り返ってきたわけだが(それはリーグ黎明期のレジェンドがアテネ五輪で味わった悔しさを知る現在のレジェンドが東京五輪で銀メダルを勝ち取るまでの歴史でもあった)、ここで原稿を終えてしまっては、片手落ちというものだろう。
私たちが過去を、歴史を参照するのは、より良い未来を築いていくためでなければならない。
そこで最後に、来シーズンのWリーグに対する私の望み/期待を書いておこう。

1. シャンソン化粧品のカムバック

Wリーグ25年の歴史を振り返ったとき、それはシャンソン化粧品の王朝の終わりと同時に始まったのだということがわかる。日本リーグ時代から続いていた連覇を10に伸ばし、初代リーグ女王の座についたシャンソン化粧品は、2004年から2006年にかけての2連覇以降、実に17年間も優勝から遠ざかっている。
しかし長く続いた雌伏の時代は、まもなく終わろうとしているのかもしれない。

昨シーズン、京都精華学園からアーリーエントリーで加入したイゾジェ・ウチェは、いきなり歴代最高となる1試合平均12.3本という記録でリバウンド王を獲得した。1試合平均のリバウンド数が12本を超える選手が現れたのは24年のリーグの歴史で初めてのことだった。(次点は髙田真希の11.9)

そして姫路から白崎みなみが移籍してきた。彼女はシャンソンレジェンドの永田睦子がリーグ初年度に打ち立てた1試合平均24.1得点に次ぐ史上2位となる平均23.2得点を記録し、昨季の得点王に輝いた選手だ。

つまり来季のシャンソンには、史上1位の記録を打ち立てたリバウンド王と史上2位のアベレージを記録した得点王がいるわけだ。
もちろん、ウチェは実質来シーズンがルーキーイヤーであり、白崎は移籍1年目。チーム作りもこれからというところだろうし、来シーズンいきなり王朝復活を求めるのは気が早すぎるだろう。だが、近い将来、シャンソンは歴史的カムバックを果たすのかもしれず、そのメンバーはすでに揃っているのかもしれない。

2. デンソーの悲願達成

髙田真希がすでにリーグのレジェンドであることは、上記のリストの中で確認したとおりだ。そして、そんなレジェンドを一度も優勝杯を持たないまま引退させるわけにはいかないと思っているのは、何も馬瓜エブリンだけではない(彼女は髙田に優勝杯を持たせるためにデンソーに移籍したと公言している)。私たちバスケファンのすべてが、髙田が優勝杯を掲げる瞬間を待ち望んでいる。

そのための戦力は整ってきた。

大学時代、東京医療保健大を無敗のまま大学3冠へ導いたガード、木村亜美は昨季、ポイントガードというポジションでルーキーシーズンに全試合スターターで出場したおそらくWリーグ史上初の選手となり(安谷屋陽子も1年目は1試合だけ先発から外れた)、デンソーをレギュラーシーズンの勝率1位に導いた。リーグ2年目を迎える木村がどんなゲームメイクを見せてくれるのか楽しみでしかたがない。

また、アメリカからの ”逆輸入” 選手、今野紀花(大学女子バスケの強豪・ルイビル大学で日本人初となるNCAAトーナメントファイナル4に出場)。この国ではいまだベールに包まれている彼女の実力がついにWリーグの舞台で披露される。(ニューメキシコ州立大からシャンソンに加入した志田萌との NCAA D1 出身者対決にも注目だ)

「偉大なW」のひとり、本川紗奈生も忘れてはならない。シャンソン化粧品のエースだった彼女が「優勝するために」デンソーに移籍してから、来季で4年目になる。

デンソーは1962年創部の歴史あるチームだが、日本リーグ時代から一度も優勝したことがない。
彼女たちは歴史を変えることができるのか?
来シーズンのデンソーから目が離せない。

3. やっぱり強いエネオス

デンソーの悲願達成の一番のライバルは、やはり現女王のエネオスになるだろう。「25人の偉大なW」にエネオスから現役選手最多の3人が選ばれたことからも今のエネオスの充実ぶりがわかるし、すでにリーグに偉大な足跡を残している岡本、渡嘉敷、宮崎の3人以外にも、先日のアジアカップで日本代表デビューを果たした星杏璃は、コートに出れば必ず仕事をする選手として私たちの記憶に刻まれていったし、個人タイトルを一度も獲得したことがなく、ベスト5に選出されたこともないため今回は選外となったが、実力からすれば当然25人に入ってきておかしくない無冠の女王、長岡萌映子の破壊力も健在だ。

「やっぱり強いな」
エネオスは来シーズンも、きっとそう思わせてくれるだろう。

他にもリーグの伝説の一人、吉田亜沙美をロスターに加えたアイシンや、偉大な25人に選ばれた町田、宮澤に加えて女王エネオスから”リーグ最強のクラッチシューター” 林咲希を迎え、大学バスケット界から即戦力3人を補強した富士通など、25年目を迎えるWリーグの見どころは数えあげればきりがないが、最後に私の一番の期待を書いておこう。

それは、来シーズンのいつかどこかで「25人の偉大なW」がコート上に並んで立つ姿を見ることだ。いや、別に私が選んだ25人である必要はない。25という人数である必要もない。ただ、「このすばらしい25年間にWを開拓してきた過去と現在のレジェンド」が一堂に会し、その姿を私たちが見ることはとても大きな意味を持つだろう。常に彼女たちのことを思い出し、意識し続けることによって、私たちはさらに実り多い未来に向かって進んでいけると思う。

2021年のWNBAプレーオフ第1戦の会場で、「The W25」の記念セレモニーが行われ、「The W25」に選出されたレジェンドたちが集められたのは、なにもその試合の集客や視聴率のためだけではないはずだ。
私たちにはロールモデルが必要で、ヒーローが必要で、歴史が必要だ。

この国にも25年という年月をかけて培われた ”大きな遺産” がある。
それは私たちにとって、とてつもなく貴重な財産だ。25人の偉大な選手たちの足跡をたどることで、私たちはまさにそのことを確認してきた。この遺産をどう活かしていくのかを私たち一人ひとりが問われている。

……と、いろいろ書いてきたが、とにかく何より大事なのは、私たちが彼女たちのことを忘れないということだろう。そして、彼女たちへの感謝と敬意を忘れないということ……。

3ヶ月後、Wリーグは創設25周年を迎える。
それは最初にこのリーグを始めた人たち、Wリーグを今日ある場所まで推し進めてくれた人たちに私たちが感謝と敬意を伝えるまたとない機会であり、私たちはこの機会を逃すべきではない。

絶対に逃してはいけないと思う。


※リンク先は外部サイトの場合があります

  • 前へ
  • 1
  • 次へ

1/1ページ

著者プロフィール

メディアプラットフォーム「note」に投稿されたスポーツに関する記事を配信しています。

スポーツナビからのお知らせ

編集部ピックアップ

おすすめ記事(Doスポーツ)

記事一覧

新着コラム

コラム一覧

日本オリンピック委員会公式サイト

JOC公式アカウント