「彼がいなかったら絶対に甲子園で優勝していない」 仙台育英の扇の要・尾形樹人が強力投手陣の能力を引き出すまで

高橋昌江

高校野球のスタートで2時間半の手術

昨夏の甲子園では初優勝に大きく貢献。ただ、入学直後に怪我を負い、恐怖心と戦いながら成長を重ねてきた 【写真は共同】

 実は、尾形の高校野球は大怪我とともにスタートしている。「4月の18日です」と日付まではっきり覚えているほどの負傷があったのだ。

 その日、入学間もない尾形は練習試合でスタメンマスクを被った。プレーボールから3球目。ファウルチップが右手親指を直撃した。爪が剥がれたが、数日後には指を動かしていいと言われ、いざ動かそうとしたが動かない。再び病院に行くと、脱臼骨折だったことが分かり、そのまま手術となった。

「最初は30分くらいって言われたんですけど、2時間半くらいかかって。ウィーンとか聞こえるし、『こっちの組織もぐちゃぐちゃ』とか『めっちゃズレている』みたいなことを言っていて、不安でした。その後がきつかったんですよ。毎日の消毒がめっちゃ痛くて。入院生活が一番、きつかったです」(尾形)

 約3週間の入院。春の大会はスマホの速報で確認していた。痛みと闘いながら、野球をしたいという思いは日に日に募る。と、同時に「このまま野球、終わるのかなって恐怖もありました」と複雑な思いが交錯した。

 父・茂樹さんが仙台育英のOB。3年生だった1995年の春夏と甲子園のベンチ入りを果たしている。仙台育英は幼い頃からの憧れ。2015年夏の甲子園決勝も、2018年夏に須江監督が甲子園で初采配した埼玉・浦和学院戦も現地で応援している。やっと高校生になったのに、怪我で出端を挫かれた。それも、3年生と競争して、夏から出場機会もあったかもしれなかった。「でも、自分が1年夏から出ていたら天狗になっていたと思うので」と、今となってはプラスに捉えている。とはいえ、ファウルチップに対するトラウマは大きく、右手を出すタイミングは遅かった。

「1年秋から2年夏くらいまではすごく苦手でした。もう1回、親指に当たるのが怖くて、全然、出せなくて。でも、2年冬からはしっかりやっていかないと上のレベルでは通用しないと思って、練習してきました。今はそんなに気にすることなく握り替えて投げられるようになったと思います」(尾形)

 はじめから上手かったわけではない。「中学生の時は配球なんて全然、考えていなかった」ため、入学直後の紅白戦で須江監督から「どういう配球が好きなの?」と聞かれた時はうまく答えられなかった。さらには怪我との恐怖心と闘い、投手をリードすれば幾度も痛い目に遭い、多くの教訓を得ながら「捕手」へと成長。チームの屋台骨となった。

「どういう配球が好きなの?」に対する答え

 高校野球の捕手は打撃でインパクトがないと、なかなかスポットライトを浴びにくい。尾形本人が「バッティングが短所っす」と言うようにバットの印象は薄いが、セーフティバントは「天下一品」(須江監督)で、しっかりミートすれば柵越えもある。須江監督は尾形の将来像をこう語る。

「今、大人の中に入れてもやれると思いますよ。大学1年生で4年生をリードできたり、社会人とかでも出られるんじゃないかと思いますけどね。打力は乏しいですけど(苦笑)、打率2割5分くらいは打ってほしいですね。将来的には、やっぱりピッチャーのよさを引き出すキャッチャーになってもらいたい。結局、どのカテゴリーでも生き残っているキャッチャーって、ピッチャーのよさを引き出していますもんね」

 まずはこの夏に仙台育英の投手陣のよさを引き出すことが使命だ。

 昨夏の甲子園後、尾形に「今、『どういう配球が好きなの?』と聞かれたら、なんて答えますか?」と聞いたことがある。尾形は「相手の裏をかく配球が好きで、その中でもピッチャーのよさを最大限に引き出す配球です」と言った。その目指す配球をより質の高いものにするため、須江監督はあることを「期待」していた。そして、その通りの出来事が起こったのである。

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著者プロフィール

1987年、宮城県若柳町(現栗原市)生まれ。中学から大学までソフトボール部に所属。東北地方のアマチュア野球を中心に取材し、ベースボール・マガジン社発刊誌や『野球太郎』、『ホームラン』などに寄稿している。

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