創設3期目での歓喜と“初”胴上げ 野村克也監督が少年たちに贈ったラストメッセージ
【写真は共同】
秋空の下、野村克也が宙を舞う
この試合、港東ムースにとって予期せぬハプニングで幕を開けた。夏の全日本大会を制した越谷シニアのエース・田中充が試合前に貧血で倒れ、先発登板を回避したのだ。
急遽マウンドに上がった大山武史を攻め立てた港東ムースは2回に津坂崇のスクイズで先制すると、3回にも無死満塁のチャンスを作る。ここで越谷シニアは田中を投入するものの、一死後に田篠健一がレフトに2点タイムリーを放って3対0と試合の主導権を握った。
投げては、中1日での先発マウンドとなった藤森がこの日も危な気ないピッチングを披露する。得意のカーブを投じると越谷打線は手も足も出ない。
こうして、港東ムースは7対2で快勝する。
創設3期目での見事な優勝だった。全国大会ではなく、関東大会での出来事ではあったが、それでも偉業は偉業だ。それは、当時シニアリーグに加盟していたおよそ150チームの中でも、異例のスピードでの栄光だった。
秋晴れの空の下、選手たちは喜びを爆発させている。エース・藤森と、女房役の洋平が熱い抱擁を交わす。ナインたちも口々に「やったー!」と叫んでいる。そして、ライトブルーのユニフォーム姿の野村がベンチからゆっくりと歩を進める。
キャプテンである洋平のリードの下、野村の胴上げが始まろうとしていた。
「南海ホークスで優勝したとき、三冠王を獲ったとき、そして今日が3回目だ。どうでもいいけど落とさんでくれよ……」
その言葉が終わらぬうちに、野村の下に集まってきた選手たちがその巨体を持ち上げた。子どもたちの手によって、指揮官は宙に舞った。野村の表情は上気していた。
「いい気持ちだ。本当にいい気持ちだ。これで心残りなく、ヤクルトに行けるよ。子どもたちに感謝したい」
野村の言葉にあるように、監督としては1973(昭和48)年、南海の兼任監督として胴上げされて以来の歓喜の瞬間だった。その後、ヤクルトの監督に就任して3年目となる92年10月10日に野村はヤクルトをリーグ優勝に導き、甲子園球場の夜空に舞うことになる。
NPBの監督として、それは野村にとっては二度目の快挙だったが、実はその3年前にも野村は少年たちの手によって胴上げの祝福を受けていた。
自身にとって「専任監督」として初めての胴上げはヤクルトではなく、港東ムースだったのだ。報道陣に囲まれた野村は言う。
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