8敗の最軽量級ボクサー・高田勇仁からの大きなメッセージ ジム約33年ぶりのタイトルマッチで悲願のベルトを目指す

船橋真二郎

フィリピンから始まったボクシング人生

 母親の故郷である「マニラから車で10時間以上かかる田舎」に生まれ、祖母のもとで育った。そこで「誰でも参加できるボクシングのお祭り」があったのだという。2つ年上のいとこが出ているのを見て、「面白そうだなと思って。親戚のおじさんたちもボクシングが好きで、出ろ、出ろって、自分を出させて(笑)」。使い古されたヘッドギア、グローブで人生初のリングに立った。

「相手にパンチを当てさせないで、自分だけパンチを当てて。思い通りに翻弄する感じでした。それがすっごく楽しくて」

 時は2006年。ちょうどマニー・パッキャオがアメリカのリングを席巻し始めた時期と重なる。母国のヒーローの快進撃にフィリピン中が熱狂した。強豪を次から次と打ち倒し、スターダムにのし上がっていくパッキャオをテレビで見て、高田も「カッコよくて、憧れた」という。

 人生の転機と言ってもいいのだろう。翌年、父親の故郷・日本へ。ゆえあって、ずっと離れて暮らしてきた両親と暮らせる喜びと少しの不安、「ボクシングなら、自分は何者かになれるんじゃないか」という一筋の希望を握りしめ、小柄な少年は海を渡った。

 小学5年、父親が探してくれたボクシングジムで練習を始める。が、スパーリング大会で何度か訪れたライオンズジムに「ここなら強くなれるんじゃないか」と惹かれた。渡邉トレーナーも熱心に声をかけてくれた。昔気質の古山哲夫会長が高田の希望を知り、前のジムに出向いて頭を下げた。それから片道1時間以上かけて練習に通うようになった。

 キッズの盛んなジムだった。U-15全国大会優勝4度、2021年度の全日本新人王で無敗(8勝4KO1分)の日本フェザー級11位、渡邉トレーナーの次男の渡邉海。不戦勝の認定王者を含めてU-15全国大会6連覇、2019年のアジア・ユース選手権女子48kg級金メダルなど、アマチュアで活躍する篠原光(青山学院大学)。4歳下の2人を始め、同じ年頃の子どもたちと競い合うように腕を磨いた。

子どもたちへの大きなメッセージ

昭和の風情漂うライオンズジムで左から古山哲夫会長、高田、渡邉利矢トレーナー 【写真:船橋真二郎】

 ジュニア時代、高田も一度だけ後楽園ホールのリングに立った。中学2年、カバーレ・ユニとして「第5回U-15ボクシング全国大会」に出場した。この年、今、“ネクスト・モンスター”と期待を集める2人と拳を交えている。

 まず東日本予選決勝で、日本人史上初の世界ユース選手権金メダルなど、アマ13冠の実績を引っさげ、鳴り物入りで昨年7月にプロ転向した当時中学1年の堤駿斗(志成)を判定で破り、全国行きの切符をつかむ。そして、臨んだ初の聖地の記憶は断片的だ。「リングが広いな、照明がすごいな、というのと、相手がすごく強かったことぐらい」。わずか34秒でストップされたのは、当時中学3年で前年も優勝していた前WBO世界フライ級王者の中谷潤人だった。

 当然ながら、「すごい選手とやったんだな」と実感するのは、ずっと後のこと。それでも当時の経験が自分を奮い立たせてくれるところもあるという。

「自分は何年も時間がかかって、やっと日本ですけど。次の小浦選手はすごく強いので、これに勝ったら、自分に自信が持てると思うんですよ。ここからもっともっと上を目指せるように」

 負けが込んでも「強い相手とやりたい」という気持ちがくじけたことはない。いずれも判定で敗れた元日本王者のベテラン・田中教仁(三迫)、後に日本王者となる強打の石澤開(M.T)との連戦も二つ返事で受けた。「100%勝てる相手に勝っても、身になるものがないじゃないですか」。

 強い相手に勝つ。そのための厳しい練習も身になってきた。「精神も肉体もタフになった」高田に渡邉トレーナーが授けたのが「倒すパンチ」だった。相手のパンチを前に踏み込んでギリギリでかわしざまに打つ。危険なタイミングのカウンター。もともと勇敢すぎるぐらいの選手だったが、勝利は全部KOの石澤に終了ゴングを聞かせたことにも勇気を得たという。

 すんでのところでかわして打つ。一昨年4月の石澤戦の後から、渡邉トレーナーと繰り返してきた練習は昨年、実を結んだ。伊佐戦は練習してきた通りのカウンターの左フック。森戦は一味違った。踏み込んで左ボディアッパーを打とうとした瞬間、森が右を合わせに来るのが見えた。次の瞬間、「自然と体が動いて」。左は下から顔面を打ち抜いていた。反応して打つ感覚が自分のものになったと感じた。

 小浦はデビューから無傷の14連勝で一時はWBC3位まで上昇。世界挑戦も間近と期待された矢先の1敗を境に勢いを失い、まだトップフォームを取り戻していない。だからこそ、この一戦に懸ける思いはきっと強い。その実力に疑いはない。

 ライオンズジムとしては1990年6月、第1号プロの植田龍太郎が日本フェザー級王者の浅川誠二に挑戦し、3回KO負けして以来、約33年ぶり2度目のタイトルマッチになる。元日本・東洋スーパーライト級王者、国内外で3度の世界挑戦、ライオン古山のリングネーム通りの勇猛で頑丈なサウスポーのファイターだった古山会長。ベルトは「のどから手が出るぐらいほしいね」。心からの声で言った。

 今も毎日、一定時間はミットでパンチを受ける。「ミットを持てなくなったら、ジムは閉めるよ」。77歳になった古山会長、ジムの元A級ボクサーだった渡邉トレーナーに「恩返ししたい。日本(のベルト)では、まだまだ足りないぐらい感謝しかない」と高田は神妙に表情を引き締める。

 あのパッキャオも16歳のデビュー時は、ミニマム級の上限体重に満たなかったのだ。強敵を下して成り上がった憧れの存在のように。高田の勝利は、東京の郊外で綿々と歴史を紡いできた小さなジムの快挙にとどまらないだろう。

 思い浮かぶのは子どもたちの悔し涙だ。負けた瞬間、あふれる大粒の涙。リングを降りた瞬間、こらえきれずにこみ上げてきた涙。昨年のJCL全国大会でも、いくつもの純粋な涙を見た。それでもまた立ち上がる。そんな子どもたちへ。井上兄弟や田中恒成、中谷潤人にも負けない大きなメッセージになる。次は君達の番、と。

※16日の日本ミニマム級王座決定戦は小浦選手の計量失格により中止。対戦相手、日程を変更し、あらためて高田選手が日本タイトルを目指すことになりました。

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著者プロフィール

1973年生まれ。東京都出身。『ボクシング・ビート』(フィットネススポーツ)、『ボクシング・マガジン』(ベースボールマガジン社=2022年7月休刊)など、ボクシングを取材し、執筆。文藝春秋Number第13回スポーツノンフィクション新人賞最終候補(2005年)。東日本ボクシング協会が選出する月間賞の選考委員も務める。

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