福留孝介「考えるよりも、感覚を大切に」 侍ジャパンの後輩たちに伝えたいWBCの心構え
2度のWBC優勝に貢献した福留孝介が、今年、世界一決定戦の舞台に臨む後輩たちに伝えたいこととは? 【写真は共同】
昨季限りで現役を引退した福留孝介氏は、2度の歓喜に貢献したひとり。五輪とも違う、独特な国際大会での頂点は「別格ですよね」と振り返る。強烈な重圧とも向き合うことになる最高峰の舞台。短期決戦ならではの心構えや戦い方を、“先人”として伝える。
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「訳もわからずに世界一になった」第1回大会
帰国して翌日に自身の体に異変が。福留孝介(写真右)は当時の状況を振り返る 【写真は共同】
「帰ってきた次の日に、体が先に悲鳴を上げました。逆流性胃炎で病院に行きましたからね。激痛で寝られなくて。人生で初めて胃カメラを飲みましたよ」
海の物とも山の物ともつかなかった第1回大会は「訳もわからず世界一って感じでした」。米国主導で創設され、まだ日本国内の機運は醸成されていなかった。「この大会がどんなものなのかも、位置付けもわからなかった」。侍ジャパンは第2ラウンドから米国へ。日本のファンの注目も届かぬ状況で、絶望的な状況から奇跡的にベスト4に進出。準決勝で韓国を撃破し、決勝もキューバに打ち勝って初代王者となった。
「日本に帰ってから記者会見をやることになったと言われて、そんなジャケットとかちゃんとした服は持ってきてないってなって(笑)。慌ててモールに服を買いに行きましたからね」
WBCと五輪とは別物の感覚だった
2009年のWBCにメジャーリーガーとして臨んだ福留孝介。2006年との心境の変化は? 【写真は共同】
韓国との決勝でイチローが延長10回に放った決勝タイムリーは、象徴的なシーンとして語られる。メジャーリーガーとして臨んだ福留氏は、その偉大な背番号51とともに野手陣を引っ張っていく一員だった。
練習の合間にチームメートから相手投手について問われたイチローは、自らの経験を踏まえて特徴を説明する。その後「なあ孝介、こんな感じだよね?」と話を振られることもしばしば。「『そうですね、そういう感じだと思います。こういうこともあるかもしれません』みたいな話はしていましたね」と当時を思い返す。
2013年の第3回大会、2017年の第4回大会がいずれもベスト4止まりだっただけに、過去の連覇はより輝いて映る。福留氏の24年間のプロ野球人生でも宝物のような存在で「世界一という称号が手に入るのは、ちょっと別格ですよね」と噛み締める。アマチュア時代の1996年、中日時代の2004年に五輪を2度経験しているが「五輪は五輪で別物。なんか違う感覚なんですよね」と言う。